13 留年はしない
結論から言うと、リリアは中庭に行かなかった。
昼休みになってすぐ、図書館に駆け込んだのだ。
「私、恰好悪い……」
逃げてばかりだ。エスターがレティシアに舞踏会のパートナーになってほしいと申し込むのを見ていられなかった。用意周到なエスターのことだ、リリアがパートナーを見つける可能性も視野に入れ、この七日間何かしらの準備をしているはずだ。
レティシアに嫉妬するであろう他の女子生徒への対策、自分を追いかける女子生徒への対応も用意してあるのだろう。
リリアの協力がいらないと言うのは、そういうことだ。
「リリア先輩が恰好良かったことなんてあった?」
図書館の自習スペースで落ち込んでいるリリアの隣にはアッシュがいる。アッシュが図書館によくいるのは知っていたことだし、なんら不思議ではない。
「失礼ね…私だって、やる時はやるのよ…」
「覇気がない…」
自分ひとりでいるよりも、誰かといた方がさっきから痛む失恋の傷がいくらかマシになる気がする。その点では、十中八九知り合いがいるとわかっている図書館に足が向いたのは自然なことだ。
そう。
(別に、新しい恋愛をしてみたいだとか、そういうわけじゃない…)
リリアが失恋を悟ったのは前世でのことになる。
失恋してもエスターはすぐ側にいたし、甘やかされて育ったリリアにとっては自分が好きなものを誰かのために手放すという選択肢はなかった。
エスターが強くそれを望まなかったこともある。
でも、死に際。火事でリリアを助けるために一度逃げたはずのエスターが部屋に飛び込み、そのまま落ちてきた柱からリリアを守って下敷きになった時。段々と生命が失われていく様を見ながら、無力感に打ちひしがれたリリアは、ふと。
エスターは、好きでもない女性と結婚して、幸せだったのだろうかと思ったのだ。
「そんなことより、これ見て。この問題って、やっぱりこの公式を使った方が早く解けると思うんだけど、先輩はどう思う?」
リリアの悩んでいる姿を全く気にしない、この後輩を見てほしい。
これがエスターなら、絶対にリリアを慰めているところなのに、彼はあろうことかノートをぐいぐいと頬に押し付けてくる。
「ああもう、痛いわね。見る、見るからそれやめて頂戴」
上半身を持ち上げ、ノートを覗き込む。几帳面に揃えられた字のが並ぶ、この課題。
「ってそれ、四年生で習う内容じゃない」
リリア達三年生も、まだ触れていない部分である。
「リリア先輩ならわかるだろう? 三年生の中でも成績が常にトップクラスだと聞いたが」
「わかるけど…うっ、この公式嫌いなのよね」
二回目の人生。元々頭は良い方だったが、一回目の人生でもとった科目なら、全ての授業が二回目だ。テスト内容も完全に覚えているわけではないが、何処の辺りから出たかは粗方予想がつく。成績上位五人に入るのは難しいことではない。
ノートにペンを走らせ、乞われるままに解説する。
真剣に聞く様子はなんだか後輩らしくて、悩みも溶けていく気がした。
教えている内容は一年生に言うようなことじゃないけれど。
「だから、この公式の方が良いわ」
「なるほど。リリア先輩って本当に頭が良かったんだな」
「喧嘩売られてるのかしら、私」
やっぱり後輩らしくないかもしれない。異能の話になると表情豊かになるけど、それ以外の時はこのように表情筋はお留守だし。皮肉なのか本気なのかわからないようなことも言ってくる。
可愛くないと言えば、嘘になるけど。
「そろそろ昼休みも終わるから、私は教室に戻るわね。貴方も、勉強は根を詰め過ぎないように」
「リリア先輩」
「何?」
食堂で慣れているが、自習スペースのリリア周辺は生徒が寄り付かない。図書館にいるタイプでないリリアがいることで、他の生徒の気を散らしてしまうのも悪いので、今度は談話室を借りようと思いながら席を立つ。
呼び止められるとは思わなくて、ちょっとそっけなく返してしまった。アッシュは気にしていなそうだが。
「飛び級制度って知っているか」
「ああ…、それを狙っているの? かなり大変だし、どうしても早期卒業しなければいけない場合じゃないとお勧めしないけれど」
「その制度を使って、俺は来年三年生になろうと思ったんだ」
その頃にはリリアは四年生だが。
「だから先輩は今から成績を落として留年してもらいたい」
「却下するわ」
流石に冗談っぽかったが、真顔で言われると本気かと思ってしまうのでやめてほしい。
つくづく。
おかげで、中庭の前を通り、生徒たちが騒いでいるのを見ても、もうあまり気にならなかったけれど。
教室は、次の授業そっちのけで、エスターとレティシアの話題で持ちきりだった。リリアが教室に入ってきたことにも気づかず、エスターが大きな花束を持ち、片膝をついてレティシアに大々的に申し込んだことをそれぞれ、自分が見れた情報を繋ぎ合わせて話している。
渦中の二人はまだおらず、恐らく質問攻めにされるのを恐れて授業が始まるギリギリに来るつもりだろうことは伺えた。
予想通り、先生とタッチの差で入ってきた二人は自席につくと、他生徒からの視線に全く応えることなく教科書を広げていた。ほとぼりが冷めるまでは、休憩時間はどこかに隠れているつもりなのだろう。
(応援してるわよ)
入ってきたエスターの耳が少し赤らんでいるのを確認し、心の中でエールを送った。
次の休み時間になるとまた廊下に飛び出していった二人に、クラスメイトは好奇心に駆られたようであれこれ憶測を投げかけている。
あらぬ方向に噂が広がらぬよう、カイルが偶に口を挟んでいた。
他にも、エスターがあらかじめ手を回していたと思われる生徒が数人いて、この様子では明後日辺りには、お祭り騒ぎも収まるかもしれない。
エスターに恋をしていたと思われる女子生徒がやって来て、「リリアさんは抗議するべきだ」とかなんとか、エスターとレティシアのパートナー解除に私を焚きつけようとしてきたが、勿論しっかり否定しておいた。
自分では何もできないから、エスターを動かせるリリアに頼っているのだ。悪知恵が働く人もいるものである。
困ったのは、その女子よりも、エスターに付きまとっていた女子に交代するかのように矢鱈話しかけてくる男子が増えたことだ。リリアをパートナーに誘ってもエスターが出てこないと踏んだのだろう。その憶測は合っているが、まずリリアに既にパートナーがいる可能性を考えるべきだった。
「はあ、疲れた…」
結局、アッシュ達がいる教室に辿り着いたのも、いつもより遅くなってしまった。
「男子生徒を撒くの、大変だっただろう」
「アッシュ~」
なんだろう、アッシュを見ると落ち着く。疲れが癒えていく気がする。この世の後輩にこんな効果があるのなら、一度目の人生も他学年にもっと気を配れば良かったかもしれない。
「俺のクラスメイトも、玉砕覚悟でそっちに申し込みに行くって言ってた」
「それ止めてよ。もう俺がパートナーだから~って言って」
「面倒だったから」
先輩が面倒なことになっているのは看過するのか。
「大多数は記念受験みたいなノリだと思うし、真面目に取り合わなくていいよ。中には、本当にリリア先輩に好意があって、周りに乗っかって舞踏会に誘うことでどうにか疑似告白をしている生徒もいると思うけど」
「それを聞いたら真面目に聞かなくちゃって思うわよ…」
例え断ることになるのだとしても。
リリアも失恋した身だ。失恋の痛みはわかっているし、それを軽減させられるのが自分の断り方にあるのも理解していた。
「…仕方ないな。昼休みは図書館に来て。その間は、俺も図書館にいる。何か言ってくる人がいても断りやすいはずだ」
「貴方にしては気遣いができるわね…」
「同じクラスならもっと簡単だが」
「留年はしないわよ」