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12 エスター

 エスターとリリアが初めて顔を合わせたのは、二人が五回目の誕生日を迎えた頃のことだった。


「はじめまして、エスター。私はリリア・エンダロインよ」


 そう言って、完璧なカーテシーをしてみせたリリアは、エスターがこれまで見たどんな子供よりもずっと大人びていた。容姿の話だけではない。滲み出る所作と仕草、言動は無邪気さを残しながらも、まるで確かな経験を積んできたレディのように見えたのだ。


 これまでカンザス家嫡男のエスターと懇意にさせようと、公爵家に訪れる客人は必ずと言っていいほど年の近い子供を連れて、大人の話が終わるまで話し相手に、とエスターに押し付けてきた。両親が「仲良くしろ」とは言わなかったこともあり、適当に相手をしていた。


 その子供たちと、リリアは絶対的に異なる。

 それを悟ったのは、両親の反応だった。リリアを連れてきた男女に親しく笑いかけた後、エスターの母はリリアへ、実の娘にするように微笑みかけたのだ。


「ごめんなさい、リリアちゃんがあまりに可愛いから、うちの息子は挨拶を忘れてしまったみたい。いつもはもっと礼儀正しいのだけど」

「気にしていません」


 母の言葉に我に返り、改めて向き直る。


「失礼した。僕はエスター・カンザスと言う。よろしく」

「リリアちゃんと仲良くするのよ、エスター」


 母は、リリアとエスターが結婚することを望んでいるように見える。幼いながらに、自分はこの女の子と一緒に暮らすのだと、ぼんやり思った。


 大人びていたリリアは、他の子がエスターに強制するようなおままごとやかけっこをすることはなかった。彼女は静かに本を読んだり、かと思えば無防備に寝ていたりする。癇癪を起こすことも、唐突に泣き叫ぶこともない。エスターから話しかければ応えるが、彼女の方はさしてエスターと仲良くしたいと思ってはいないようだ。


 それでも良かった。美しい、大人びた同世代の異性が同じ部屋にいることに緊張したのも初めだけで、リリアが自分に何も求めてこないのを知ると、随分居心地の良いことに気が付いた。自分は無意識に、他人の顔色を伺う癖がついている。よく気が付く良い子になろうとしたせいかもしれない。そうしなくてもいい存在となったリリアは自分にとって都合が良かった。

 

 リリアの両親が毎日のようにリリアを連れて来始めてから二か月経ったある日。

 あの日のことは一生忘れることがないだろう。


 本が読みやすいよう置いていたランタンが、エスターの手が当たったはずみで絨毯に落下してしまったのだ。炎は緩やかに広がり、絨毯の焦げた嫌な臭いが漂い始める。

 ランタンをよく使うエスターの家には消火用の道具がよく配置されている。使用人を呼べば、この程度の炎はすぐに消してくれる筈である。


 ともかく、同じ部屋にいるはずのリリアを探して避難させなければ、と辺りを見渡せば、彼女は部屋の隅で、顔面蒼白になったまま震えていた。


「リリア、一度ここから離れよう。火が出口まで広がらない内に。平気だよ、このくらいなら火事にもならない」


 平然と本を読んでいるとばかり思ったので、怯える姿に意表を突かれながら、リリアに逃げるよう促す。頭のどこかで、やはり彼女も子供に違いないのだと思った。

 けれど。


「い、いや、エスター、エスター、だめよ、貴方が死んだら私、私、貴方を失ったら生きていけない。目を覚まして、お願い、お願い、死なないで」


 何か。様子がおかしかった。

 異常な発汗、震える体とパニックのあまり呼吸も酷く乱れている。焦点は合わず、うわ言を呟いている。


「リリア、僕はここにいるよ、こっちを見て、落ち着いて」

「はあ、はあ、いや、私を置いていかないで、エスター、どうして私を助けたりなんかしたの」


 怯え切った彼女は最早こちらを認識していなかった。

 しきりにエスターと名前を呼びながら、けれども側にいるエスターのことは見ていない。

 煙に気づいた使用人が駆け付け、炎を消し止めるとリリアはがくりと体を倒した。気絶している。


 公爵家御用達の医者を呼び、診察を行った後、彼女は両親に連れられて家に帰っていった。

 数週間後、何事もなかったかのようにカンザスの敷居を踏んだ少女は自分がパニックを起こしたことをすっかり忘れていた。


「僕が、もっと気を付けてランタンを見ていればよかった。僕が、もっとリリアの顔色に気を配っていれば良かった。僕が」


 宥める為に抱きしめた体は小刻みに震えていて、酷く小さかった。


「僕が、リリアを守らなくちゃ」


 エスターが、覚悟を決めた瞬間だった。


 その後、両親の間で話されていたらしいリリアとの婚約がリリアの拒否で流れたことを聞いた後も、エスターの覚悟は揺るがなかった。

 今婚約しなくとも、将来自分の隣にはリリアがいるはずだと疑わなかった。

 


 二度目の人生なのに、いや、二度目の人生だからなのかもしれない。リリアにとってエスターは最もリリアを理解し、リリアの意志に沿って行動してくれる男だった。

 はっきりそうと自覚していたわけではない。

 むしろ、リリアが自覚する余地もないほど、彼が完璧にリリアを見ていてくれたから、気づけなかった。


 思い上がりも甚だしい。

 ましてや、今は夫婦でも婚約者でもないのだ。わかってもらえる、理解せずともリリアの希望を察せばその通りにしてくれると考えていた。

 エスターだけがリリアに依存していたわけじゃない。

 リリアだって、突き放すつもりができていなかった。


「本気、なんだね」


 ぽつん、とエスターの声が寂しそうに響いた。


「ええ」


 表情は読めない。エスターがリリアに読ませなかった。


「わかった。僕も君の本気を受け止めることにする。明日、レティシアさんに正式に申し込もう。君の協力は必要ない。もしも約束が果たされたことを確認したいのなら、昼休みに中庭に来るといい」


 話はこれでお終いだ、という風に、エスターが食べ終わったトレイを持ち上げた。


「君の分も片づけておこう。遅いとマリーナさんが心配するだろうから、先に帰っておいてくれ」

「ありがとう、おやすみなさい」


 リリアとこれ以上一緒に居たくなかったのかもしれない。

 真っ向から自分の助言を跳ね返されたのだ。優しさに、厳しさで応えた。嫌われても仕方がない。


 言われたとおりに部屋に戻ると、浮かない顔をしたリリアに気づいたマリーナは何も言わずに寄り添ってくれた。

 明日。リリアの好きな人は、他の女性に舞踏会のパートナーを申し込む。協力しようかと言ったのはリリアだが、心の中では却下されたことで安心していた。

 もし、目の前で行われたら、自分がどんな表情になってしまうのか、予想もつかなかった。


「私も、そろそろこの気持ちに整理をつける時ね」


 寄り添うというか、もたれかかって寝てしまったマリーナに布団をかけてやり、そっと呟く。

 前世の恋心を引きずりすぎるのも良くない。

 エスターの恋路を見守り続けるには、邪魔なものでしかない。


「リリア、失恋を癒すのに一番良いのは新しい恋よ」

「きゃあっ」


 寝てなかったのか。しんみりしていたところに、マリーナがぱっちり目を開けて、悪だくみが成功したというように笑っている。


「起きてたのね…」

「ふふ。リリアなら、乗り越えられるわよ」

「……うん。ありがとう」


 新しい恋。

 一瞬、銀色の髪が頭をよぎる。

 エスターと正反対の、あの後輩。もし、もしも次に恋をするなら、彼がいい。


「それは心当たりがあるって顔?」

「う、うるさいわね…マリーナこそ、カイルさんとどうなの?」

「ぐう」


 自分が揶揄われる対象になったと察知した瞬間の狸寝入りだ。

 非常に素早かった。

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