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1 さようなら、旦那様

「リリア?」


 エスターの目が見開かれる。いつもの爽やかで余裕のある表情は鳴りを潜め、驚愕と焦りが浮かんでいた。


(やっぱり。エスターは、私の行動をただの子供の火遊びだと思っていたんだわ)


 これが火遊びでないこと、本気でリリアがエスターと結婚するつもりがないことを、これからもずっと示していかなくてはいけない。


 夜の舞踏会会場は、楽隊による音楽と人々の話し声で溢れ、それぞれパートナーと踊っていた。エスターの側にも可愛らしく着飾ったレティシアがいる。


(さようなら、私の、前世の、旦那様)


 エスターに返事を返すことなく、リリアは自分のパートナーを見やる。

 リリアの瞳に合わせ、紅色の飾りをつけている、この愛想のない男が、今夜リリアをエスコートする。人当たりの良いエスターと真逆の後輩。


「アッシュ、踊らないの?」

「リリア先輩は、ダンスが好きではないと聞いたのだが」


 どうやら、この可愛げのない後輩は噂話もよく聞いているようだ。


「ええ、確かに。でも、踊れないわけじゃないわよ。私のお願いに付き合ってくれた後輩を、リードするくらいの甲斐性はあるわ」


 そっと笑いかけてやると、アッシュは後輩扱いされたことを不満げにしながらも、リリアに手を伸ばした。



「リリアは次の舞踏会、やっぱりエスターさんをパートナーにお誘いするのよね?」


 ステイロット王立学園は、十三歳から十八歳までの少年少女が通う、全寮制の学舎である。その女子寮、学園で開かれる舞踏会が告知された夜とあれば、どの部屋でも似たような話題になるだろう。

 例に漏れず、リリアのルームメイト、マリーナは目を輝かせ、恋バナに花を咲かせていた。


「エスターをパートナーに? そんなわけないじゃない」

「ええっ? 本当に?」


 エスター・カンザス。カンザス公爵家の嫡男であり、文武両道、爽やかで人当たりが良く、非常に整った容姿の青年だ。学年で一番のモテ男と呼んで間違いないだろう。しかし、その側には高確率でリリアが居た。カンザス家と深い交流のあるエンダロイン侯爵家の令嬢がいれば、それを押しのけてエスターに話しかけられる女子生徒はまずいなかったのである。


 秋の終わりにある舞踏会は、十五歳、つまり三年生から会場に入ることを許される。今年初めての参加となるリリア達の学年は、誰が誰のパートナーになるのかを探る、情報戦により浮き足立っていた。


「それなら、リリアは誰をパートナーにするの? リリアのことだから、誘えば誰でも頷くだろうけど……」


 マリーナの視線は、ベッドで寝転ぶリリアの肢体に向けられる。腰まである黒髪は華やかな波を打ち、鳩の血より鮮やかな瞳を黒檀の睫毛が縁取った。白く滑らかな肌に、紅を差していなくとも血色の良い唇。肌触りの良さそうなネグリジェの上からでも、豊満な胸を初め、女性らしいボディラインがわかる。同性であっても当てられてしまいそうな、濃密な色気に、マリーナは視線を外した。


「考えている途中よ」


 侯爵令嬢であるリリアにとって、例え学園の子供だけで行うパーティーと言えども、下手な相手を連れて行くことはできない。恋人や婚約者のいない現在、後腐れがなく、断らなさそうで、家柄もそれなりだがこの縁を逃すまいと無理に婚約を迫ってこないような人間を、と考えればかなり絞られてしまう。


「ま、困ったら私が一緒に行ってあげるわ」

「男女ペアじゃないと入場は認められないわよ」

「どちらかが男装……ああ、リリアは無理そうね」


 その立派な胸ではすぐバレるわね、と茶目っ気たっぷりに返され、リリアは口元を緩めた。リリアが悩んでいるのを察して、軽い冗談を言ってくれるこのルームメイトが好きだった。


「そろそろ消灯時間よ。マリーナも寝た方がいいわ。この頃問題行動を起こせば、舞踏会に行く権利を剥奪されちゃうらしいから」


「去年も舞踏会に行けなかった先輩がいたって聞いたわ。学校側も酷よね」


 リリアの忠告に素直に従い、マリーナは蝋燭の火を消して二段ベッドの上段に潜り込んだ。


「おやすみマリーナ」

「おやすみリリア」


 いつもと変わらない、あまりにも口に馴染んだ挨拶。当然だ。マリーナからすれば入学してたった二年間繰り返した夜の挨拶でも、リリアにとっては七年目であるのだから。


 ──リリア・エンダロインには前世の記憶がある。


 正しくは、リリアとして、一度生き、二十二歳で死んだ記憶があった。

 一度目の人生の終幕は、エスターの実家、カンザス公爵家の寝室。冬の夜、乾いた空気に火の粉が舞っていた。伝統的な木材で建設された屋敷は、たちまち火の海に呑み込まれ、身重だった故に逃げ遅れたリリアと、リリアを迎えに行ったエスターは、そこで息絶えてしまった。


 不運な事故。

 次に気がついた時は、世界の時間が巻き戻っており、死ぬまでの記憶を引き継いだまま、赤子に還っていた。それから更に十五年の時が過ぎ、今リリアは大筋は前世通りの人生を辿って学園に入学。めでたく三年生となったのである。

 前世と大きく違うのは、エスターと婚約関係にないことだろう。


 親同士仕事でもプライベートでも密な付き合いのあるカンザス家とエンダロイン家は、もういっそ家族になってしまおうか、という親の軽い取り決めで婚約関係が生まれた。しかし、一度目の人生の記憶があるリリアの猛反対(秘技駄々捏ね)により、話は流れている。子供に甘い親で良かった。


 リリアは、己の記憶を手繰りながら、襲ってきた睡魔に身を投げ出してしまった。



 翌朝。

 ピチチ、という小鳥の鳴き声と、カーテンから漏れる太陽の光。マリーナは目を擦って体を起こした。


「おはようマリーナ」


 目覚めて一番に見るものが、美しいリリアの顔だというのも、随分贅沢な話だと思う。既に制服を着てメイクを終えたリリアは、鏡に向かいながら髪をといていた。ステイロットの女子用制服は、膝が隠れるか隠れないかのワンピースに、ボレロを羽織る。また、学年毎に違う色のリボンを身につけており、三年生のリリア達は緑色だった。


「やっぱり少し古臭いんじゃない? この制服」

「そう? 私は好きだけど」


 リリアは鏡に映る自分が不満らしい。確かに歴史あるステイロット学園は伝統を重んじる傾向があり、その流れは制服にも現れていた。けれど、リリアの上品さを際立たせ、年不相応とも言える色香を抑えるのに、制服は一役買っているだろう。


 リリアは、するりと二段ベッドから下りたマリーナに鏡台前を譲り、今日の授業で必要な教材の準備を始めた。

 粗方終わると朝食の時間になっており、寮の廊下も活気付き始めている。ステイロットの生徒は、その半数を貴族出身が占める。とは言え伯爵位以上、つまり領地持ちの大貴族に限れば一握りであり、貴族らしいマナーも満足に身につける機会のなかった、名ばかりの貴族が大多数である。彼ら彼女らは、自分のことは自分でできるし、使用人に頼ることもない。


 しかし、確かに使用人に身の回り全てをさせていた貴族も、在籍しているのである。

 その代表格は、前世のリリアだろう。


 下級生や同級生を部屋に呼び、自分の着替えや髪、化粧、教科書持ちに至るまでやらせていた。言っておくが、初めはリリアが命令したわけではない。リリアの元に媚を売ろうと集った取り巻きが世話をすることを願い出て、それを受け入れたに過ぎない。


 生徒が自分の言うことを聞くのが当たり前だと勘違いしてしまったリリアは、入学して数年間、当然の権利だと思い込み、自分の行動に疑問すら抱かなかった。


(思い返しただけでも恥ずかしいものね…)


 十代の後半、四年生辺りになってくると、流石に自分の行いが周りと比べて逸脱したものになっていると気づき、自分でできることは自分でやろうと挑戦し始めた。取り巻きに手伝ってもらうのが全くなくなったわけではないが、世話をされるのが当たり前、と生まれてこの方身についていた常識を見直すことができたのである。


 今、リリアが自分で自分の世話ができるのは、一度目の人生で味わった失敗を繰り返さないよう、努力したお陰であった。


 男子寮と女子寮の間、食堂に着く。

 学園内では建前上、皆平等と謳われており、身分差はないものとされている。しかし、生まれ持ったリリアの威厳に気圧され、リリアが座った席には平民が寄り付かなくなってしまうのである。

 その美貌を一目見ようと、精々勇気のある男子生徒が近い席に座るくらいか。


「相変わらず、リリアが座ると見晴らしが良くなるわねぇ」


 リリアに席をとらせ、二人分の朝食を運んできたマリーナがおかしそうに笑う。


「好きでこうしているわけじゃないわ」


 一度目の人生では、取り巻きが囲んでいたからここまで見晴らしは良くなかった。つんと唇を尖らせるリリアに、マリーナは微笑んで朝食のパイにフォークを突き立てる。

 と、その時。


「おはようリリア、マリーナさん。席が空いているなら、お邪魔してもいいかな?」

「どうも〜」


 朝から爽やかな笑顔を振りまき、女子生徒の視線を集める男が、自分のルームメイトを連れ、リリア達に話しかけてきた。


 エスター・カンザス。


 一度目の人生でリリアが結婚し、子供も身籠った、たった一人の元夫である。

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