73:どっちでも陥落する
この日のためのドレスは、オートクチュール。
濃淡の違うアイスブルーのチュールは、全部で五色、使われていた。オーバースカートで重ねたチュールは、先端を丸くカットし、花びらが幾重にも重なったようなデザインになっている。パールと模造宝石が全体的に散りばめられ、明かりを受けるとキラキラと煌めき、とてもお洒落だ。
アップにした髪を留める髪飾り、ネックレス、イヤリングは、銀細工にアメシストを飾ったもの。
アイメイクはアイスブルーで、頬とルージュは淡いローズ色。
これはルーファス……聖皇のパートナーになることが決まる前に、仕立てたものだった。それなのにアイスブルーを生地で選んでいたのは……。まさに運命的に思えてしまう。
「レミントン公爵令嬢、準備はできましたか?」
ルーファスが部屋まで迎えに来てくれた。
今日はアイスブルーのテールコートに銀色のローブ、首には純白のショール、そこにはアイスブルーの糸で、聖皇庁の紋章が刺繍されている。頭上にはアイスブルーの聖皇冠。サラサラのアイスブルーの前髪は、左半分を後ろに流し、さらに耳にもかけているので、いつもと違った雰囲気に見えた。
つまり、普段とは違った雰囲気で、さらに彼の美貌が際立っているように感じてしまう。
「こんな素敵なドレスをお持ちだったのですね……」
ルーファスは感嘆のため息を漏らし、そしてこんな可愛らしい言葉を口にする。
「わたしだけのために、わたしと二人きりの時だけに、着ていただきたいドレスですね。これはレミントン公爵令嬢の美しさを最大限に高めてしまうドレスなので、落ち着きません。……今日はライト副団長のそばには、いかないでくださいね」
三百年前のあの日。
噴火口に落ちていくルーファスは、ノクスを最初、道連れにしようとしていたのか。その件を確認すると……。
ノクスが勝利を確信したその時。「遂に魔王を討伐した! ミレアにプロポーズする」と呟いた言葉を、ルーファスは聞いてしまった。ノクスを害するつもりはなかったが、つい手が出ていた……というのだ。そして今も。ルーファスはノクスに似ているライト副団長を見ると、落ち着かないようだ。
もうすべてが明らかになったのに。私がルーファス以外に目を向けることはないと分かっているのに。こんな風に可愛らしくリクエストするルーファスには、思わずキュンとしてしまう。
それに心配なのは私だって同じ。だって……。
「最上級の誉め言葉、ありがとうございます。でも聖皇様も、今日は髪型がいつもと違い、多くの令嬢のハートを、射止めてしまいそうですわ」
「わたしの瞳に映るのは、レミントン公爵令嬢、あなたただ一人です」
そう言うとルーファスは私の手をとり、まずは甲にキスをしてから、エスコートして歩き出す。平静を装い、エスコートしてもらっているけれど。正直なところ、たった今、ルーファスが告げた言葉に、腰砕けするところだった。
どうしたって聖皇としてふるまうルーファスに言われた言葉は、なんというか神がかっており、必要以上にドキドキしてしまう。ではルーファスの口調で言われたらどうなのかというと……。
どっちでも陥落するわね。
そんなことを思いながら馬車に乗り込むと。
「あー、シェナ。わたしの心臓を止めるつもりですか」
そう言うとルーファスは身を乗り出し、私の両腕を掴む。
隣の席ではなく、対面の席に座っていたので、油断していた。
正面でこんな風に引き寄せられると、すぐにでもキスができそうな距離に顔が近づいてしまう。
「心臓が止まりそうなのは、私の方です! ルーファス、ち、近いわ」
「……シェナ、キスをしてもいいですか?」
聖皇が、わ、わた、私にキス!?
「ダメです! お化粧しているのですよ。ルーファスの……聖皇様の唇にルージュがついていたら、大騒ぎになります!」
「では……」と言ったルーファスは「ちゅっ」と愛らしい音を響かせ、頬にキスをした。もし座席に腰をおろしていなかったら、床にへたりこんでいたかもしれない。ドキドキと胸を高鳴らせていると……。
「もう舞踏会へ行くのはやめて、わたしの部屋で寛ぎませんか、シェナ」
「ルーファス……。今日の舞踏会では、聖皇様が健在であることを、国内外に示す必要があるのですよ」
「シェナ、なんだか硬いです……」
聖皇が拗ねている……! これはキュンとしてしまうが、心を鬼にする。
「それは……仕方ないですよね。今はオルゼア聖皇のパートナーとして、気持ちを切り替えていますから。シェナになったら、ルーファスに抱きついてしまいそうです。それを我慢しているのですから……」
私の言葉にルーファスがますます甘い表情を浮かべるので、目をぎゅっと閉じ、必死に高まる気持ちを抑える。すると……。
鼻にふわりと気配を感じたと思ったら、キスをされていた。
ルージュが落ちてしまう……という理由で唇へのキスを禁止したら、鼻に可愛らしく口づけするなんて!
お化粧に問題はないが、私の心臓は大問題だ。
緊張を抑える魔法なんてあったかしら?と考えている間に宮殿に到着した。
会場となるのは『ザ・ミラージュ』と呼ばれる部屋で、通常は解放されていない特別な場所。窓ガラス以外の三方面の壁が鏡になっている不思議な空間で、床はガラスだ。ガラスの床の下には、水がはられている。天井には、朝焼けから星空までが全面を使い表現されており、それが足元の水面に映り込む。まさにワンダーランドへ迷い込んだような、不思議な気持ちになった。
『ザ・ミラージュ』に到着すると、まずはこの部屋に驚き、しばし夢中で観察することになる。その感動が落ち着いてくると、周囲の招待客に目を向けるわけだ。そうなると一番注目を集めるのは……聖皇。ここ数日、建国祭のイベントに顔を出していなかったのだから、皆、彼に声をかける。そうなると私は……少し離れた場所で、聖騎士と共にその様子を見守ることになった。