71:記憶
ルーファスがすべての記憶を保持しているのはなぜか。それを彼なりに分析していたが……。かなりざっくりで適当な理由。そう思えたけれど、私はあながち間違っていない気がしている。
さすがにルーファスの運命は、厳しかったと思う。すべての記憶を保持していて、聖皇として転生しても、ズルいとは思わない。むしろ、十五年も暗殺者に狙われたわけで……やはり決して楽な人生を、歩んでいるわけではないのだから!
それにルーファスは、元々は勇者だった。善悪でいうなら「善」の代表。それなのにいきなり「悪」にされ、追われる立場になった。それは……ものすごい葛藤を彼の心にもたらしたと思う。
最終的に『コランダムの心臓』は溶け、呪いも解けて強い神聖力を持つ子供として転生できたけれど……。すべての記憶を保持していた。魔王として何度も生きていた。「悪」から今度は、またも「善」に戻されることになった。その上で聖皇の正しい継承者であるライトを差し置き、自身が聖皇を継ぐことになったのだ。そのことでライトとは不仲になってしまった。そこでもきっと、葛藤があったと思う。
記憶が保持できることは、決していいことばかりではなかったと思うのだ。
「……しかし、不甲斐なかったですね。魔王と呼ばれていたのに。角が一本ないぐらいで、あんなに魔力が落ちるなんて」
「知らなかったのですか? 本当に? 角がなくなったら、魔力が落ちることを……」
「はい。知りませんでした。魔力が角に集中しているということは、それだけ角は強いわけです。よってそう簡単に折れるわけがない。つまりあの時が、初めてのことだったのです。角を折ったのは。本当は、二本とも角がなければ、魔王とはバレなかったと思います。魔力がなければ、翼も出せないですから。……角がなければあの家に尋ねてきた人間も、何もしなかったと思います」
えっ、それって……。
家の外で物音がして、ルーファスは様子を見に行った。でも村人が見に来ていたとは言わなかった。
「ルーファスはあの時、村人が来ていたって気づいたのですか……? でも私に村人がいたとは言いませんでしたよね? それに姿を見られたかもしれないのに、何もしなかったのですか?」
「もしも盗賊や山賊なら、あんなにおどおどしないでしょう。シェナの知り合いの村人だと思いました。ですから『何もするつもりはないので、君たちも何もしないでください』と頼んだら、『分かった』と言われたので、信じてしまいました」
魔王を見つけた。魔王本人は何もするつもりはないと言ったとしても。目の見えない女性が一人暮らす家に、魔王がいるとなれば……。村人としては、助けなきゃいけない!と思ったのだろう。
「……ルーファスは魔王なのに。本当にお人好し。聖女メリアークの護衛騎士も、わざと手に掛けたわけではないのですよね?」
そこでルーファスの表情が曇る。
「ルーファス……?」
「ああ、ごめんなさい。あの時のことを思い出すと……」
ルーファスが私の手をとると、メリアークが短剣で切り裂いた傷痕をなぞるように、腕へキスをした。こんなことをされるのも当然、初めてのことなので、なんだかもう心臓が爆発しそうになっている!
「わたしは元勇者ですが……あの聖女は異常です」
「それはどういうことですか……?」
「手柄を急いでいたのでしょうか。どうしても魔王を倒したい、何か理由があったのかもしれないです。でもあの時と同じですよ」
あの時と同じ、というのは、勇者ミカエルもろとも、ルーファスを倒した時のことだ。
「聖女の使う聖なる力の攻撃は、威力もありますが、精度が低い。本来、そこに魔王一人いる時に使うような大技。それなのにあのメリアークは、おかまいなしで攻撃を行ったのです。わたしはそれでも避けることができました。でも聖女の護衛騎士なんてただの人間。エルフでもドワーフでも魔法使いでもない。簡単に巻き込まれ、そして命を落としました。聖女の聖なる力の攻撃で。でもそれもわたしが……魔王がやったことにされたわけです」
やはりそうだったのね。私はルーファスに汚名が着せられないように、あの場から逃げ出し、みんなに真実を伝えたいと思ったのだけど……。
「あの聖女は、魔法使いの女性のことも、剣で簡単に刺し殺しました。わたしにとどめをさそうとしたのに、ミカエルを庇うことで、邪魔をしたからです。そしてあの聖女は、勇者ミカエルもろともで、わたし達の心臓を貫きました。まさに串刺し。ミカエルはそこで絶命しました。でもわたしはかろうじて虫の息が残っていて……」
ルーファスが深く長い溜息をつき、私も胸が苦しくなっていた。その時のことを思い出すと……。見えなくてよかったと思う。音を聞いているだけでも、辛かったから。
「……あの時、雨が降っていたでしょう? 雷も雨も風も。あれはわたしが全部起こしたものです。わたしが絶命する直前に、青空が広がり、虹がかかりました。それがわたしの最期に見た景色……と思ったのですが、明るくなった瞬間に見えたのです」
腕を伸ばしたルーファスが私を抱き寄せ、ぎゅっと抱きしめる。しばらくそうしてから、ルーファスが苦しそうに声を絞り出した。
「背中に剣が突き立てられ、地面にうつ伏せでピクリとも動かないシェナの姿が。ああ、シェナはあの異常な聖女に、背後から心臓をひと突きで刺されたのか――そう理解し、わたしは逝くことになりました ……」
愛する人のそんな最期を見て旅立つなんて、地獄だ。そんな地獄を見せたのが聖女だなんて……。震えているルーファスの胸に顔を寄せる。
「もう、大丈夫です、ルーファス。終わったことですから。それにあの時、私だけ生き残ったとしても……」
「そんなことないです。シェナはただの人間でした。誰かに迷惑をかけたわけでもないのです。生きてよかったのですよ。あんな風に命を奪われていいわけがなかったのです」
銀色の瞳からこぼれる涙を受け止めるのは、今度は私の番だ。
ルーファスがさっきしてくれたように、その頬を伝う涙を唇で受け止めていると……。
二の腕をルーファスが掴み、彼の唇が私の唇にゆっくり重なり――。