67:守らないといけない
すっかりアナベルに心を許していたクロエは、この王宮に嫁いできてから、聖なる力に目覚めたことを打ち明けた。
魔王がいない今となっては、役に立つこともない力。むしろそんな力を持っていると知られたら、奇特がられ、疎まれるとクロエは思っていた。よって聖なる力のことも、聖女であることも、クロエは黙っていたと言う。それを聞いたアナベルは「そんなことはないですよ、クロエ様。それは主からのギフトなのですから」と彼女をなぐさめた。
本心は別のところにあった。聖なる力がどこかで役立つかもしれない。それだけだ。
一方、自分に寄り添ってくれたアナベルから嫌われたくないと、クロエは思っていた。それに王太子に迷惑をかけたくない。何より、クロエは王太子に好意を感じていた。よってアナベルの「変なことを疑われてしまいます。何より、王太子様には婚約者もいるのです。そうなったら、王太子様はお立場がなくなりますわ」という言葉が、とても恐ろしく聞こえた。
結局、国王陛下にこのハンカチの件は黙っておくから、自分の指示に従えとアナベルに言われたクロエは、従うしかなかった。つまりはヒュドラーの猛毒入りクッキーを用意し、それを私に食べさせろと命じられ、「嫌です」と断ることができない。
なぜ私に毒入りクッキーを食べさせるのか。理由なんて知る必要はない――そうアナベルはクロエに言った。私にクッキーを食べさせることに失敗したら、国王陛下にハンカチの件を話すまでだと言い切られた。
そんなことを命じられたクロエは、大いに迷うことになる。第一、私のことをろくに知らない。聖皇のパートナーであり、公爵家の令嬢であることぐらいしか知らないのだ。何の恨みもない人間、自分にとっては無関係の人間に、毒入りのクッキーを食べさせるなんて。
不安が高じ、お茶会の場所まで間違えてしまう。
場所を間違え、遅刻をした時点で、アナベルに何を言われるかと恐慌状態。その上で、圧をかけられた。もうクロエは限界となり、言われるままクッキーを食べ、私にも食べることを勧めていたというわけだ。
もし師匠が動かず、アナベルのお茶会毒クッキー事件が成功していたら、すべての罪を幼いクロエが負うことになっていた。たった一枚の王太子のハンカチ。そこからバレてしまった秘めた想い。王太子を守らないといけない――クロエは自分が犠牲になることを選ぶ。
「王太子様のハンカチ一枚で、クロエ妃殿下がそこまでするなんて……」
思わず私が驚くと、師匠は「王太子様のハンカチは、さらなる活躍をしたのだぞ」と言い出すので、驚いてしまう。
「これはライト副団長が教えてくれた。追悼セレモニーで用意されていた、王大姪のマリナの棺。あの棺の中には、ヒュドラーの猛毒をたっぷり含んだ王太子のハンカチが、入れられていた。その意味は、分かるよな? 棺を最初に開けるのは、聖皇だ。アナベルはヒュドラーの毒で、聖皇を害せないか試していた」
「……! あの時、聖皇様が片膝を床につき、跪いたのは、王大姪のマリナへの情愛のためではなかったのですね……!」
「情愛? 何の話だ? 愛弟子は、色恋沙汰には本当に疎くて困る。聖皇は愛弟子にゾッコンだ。他の女に目をくれるはずがない。あの時の聖皇は、三百人を簡単に死に至らしめる猛毒を一人で受け止め、自身の神聖力で浄化したんだ。俺は見ていないが、それは大変なことだったと思うぞ」
師匠のこの言葉には、まさに絶句だ。情愛がどうのと言っていた自分が、恥ずかしくなる。
「もし室内でなく屋外であれば。外気で希釈することもできた。でも室内だからな。空気は停滞している。勿論、換気はされていたが、外にいるのとは違う。先代聖皇だったら、浄化しきれなかったかもしれない。誰一人被害を出すことなく、しかも短時間ですべて清めたわけだ」
青白い顔になり、額に汗を浮かべ、少し体を震わす程度で、三百人は死に至らしめるヒュドラーの猛毒をやり過ごしたなんて。……偉業だ。
さらに師匠は、ライト副団長が漏らしたという言葉を、教えてくれた。