4:激変
まさに天と地の違いね。
さすが聖皇だ。
私の待遇が劇的に改善された。
まず、聖皇が地下牢を出ると、看守は私にベッドから起き上がり、壁に行くように命じた。つまりまた、枷をつけられ、立ちっぱなしになる。そう思っていたのだけど……。
こちらに背を向けたオルゼアに、今の私は見えていない。それなのに彼は「わたしはこれから看守長に、クレア・ロゼ・レミントンの待遇改善を求めます。現状、彼女の処遇は宙に浮いた状態。もし彼女に対し、不当な対応があれば、それはわたし、聖皇に向けられたものと解釈させていただきます」と振り返ることなく、そう言い放った。そして聖官を連れ、歩き出す。
私のそばにいた看守の顔は、分かりやすくサーッと青ざめた。ここ、西都において、聖皇の存在は絶対。時にそれは、国王陛下さえ超えると言われている。よって今の一言は、看守にとてつもない衝撃を与えたようだ。
「クレア・ロゼ・レミントン様。そちらのベッドで恐縮ですが、お座りください」
突然、様付き、かつ敬語で声をかけられ、驚くしかない。バケツの水を私にかけた看守なのに。
「服が……濡れていますね。着替えを用意させます。食事はとられますか? ずっと何も召し上がっていませんが」
何も食べていない。それはそうだ。ここはネズミが這い回り、暗くじめじめした地下牢。カビのはえかけたパンや何が入っている分からないスープを出され、口にする気になれるはずがない。
それに着替えを用意するというが、ここは格子しかなく、廊下からは丸見えの地下牢。まさかこんなところで、着替えをさせるつもりなの? しかも足元は湿っており、ネズミの糞も転がっている。こんなところで着替えても、服はすぐ汚れるだろう。何より、足も汚れている。入浴をさせてほしい。
そこで断られるかもしれないと思ったが「着替える前に入浴をしたいのですが。きちんと服を着替えた後で、ここではない場所で食事をしたいです」と言ってみた。看守は鼻で笑うかと思ったが「分かりました。入浴ぐらいは自分の一存で可能ですので、ご案内します。女性の看守もつけます」と応じたのだ。
これには「まさか」と「やはり」と、二つの気持ちが入り混じる。まさか応じてくれるなんて! でも私への対応は、イコール聖皇への対応となるのだ。やはり変なことはできないのだろう。
こうしてあっさり地下牢から出され、女性の看守が使うバスルームへ案内された。入浴を手伝う女性の看守も、聖皇の一言を聞かされていたようで、とても丁寧に扱ってくれる。入浴が終わり、清潔なバスタオルで体を拭いていると、なんだか騒然とした様子が伝わってきた。
髪を乾かすのを手伝ってくれる女性の看守が「クレア・ロゼ・レミントン様、今、新たに滞在いただく部屋の準備が進められています。衣装も手配していますので」と教えてくれる。それは「聖皇様の指示ですか?」と尋ねると「聖皇様と獄長が話し合った結果です」という返事をもらい「え!」と声を挙げることになった。
看守長と話す……と思っていた。だがどうやら看守長は、聖皇と話すのは、自分ではないとすぐに気づいたのだろう。あっという間にこの監獄のトップと聖皇は、話し合いができたようだ。
髪を乾かした後、用意された衣装に着替えた。さすがにドレスの用意は無理だったのだろう。それでも急ごしらえで用意した割には、ちゃんとしたワンピースだった。オフホワイトの平織り綿には、小さなピンク色の薔薇がハンドプリントされており、ウエストには赤のリボンベルト。肩にも同色のリボンが飾られている。
何よりきちんと靴を履けたことで、心の負担が軽くなっている。
そしてこの劇的な変化は、これだけでは終わらなかった。
聖皇の指示のおかげで、待遇は目まぐるしい勢いで改善されている。それでもいまだ自分が罪人として扱われていることに、変わりはない。そうではあっても靴を得ることができた意味は、大きい。
そもそも逃亡防止のため、そして罪人の心を折るために。素足であることが、この監獄では求められていた。それなのに靴を履くことが、認められたのだ。
私が覚醒する前のクレアは、裸足でいることに、すっかり気落ちしていた。それは私でも同じだ。クレア程ではないが、自分の立場を思い知らされた気分だった。でも今、靴を履けたことで、名誉を少しだけ取り戻せた気分だ。
さらに地下牢から移された部屋にも、驚くことになる。そこは三階の部屋で、窓に格子はあるものの、日当たりもいい。毛足の長い絨毯が敷かれ、家具などもあり、調度品は木目が美しいマホガニー材が使われている。ベッドもなんと天蓋付きで、清潔感のあるクリーム色で統一されていた。壁紙もマリーゴールド柄と、まるで貴族の邸宅を模したようだ。
しかもちょうどお昼の時間だったので、部屋に料理が運ばれてきたのだけど……。
テーブルには、ちゃんと白のクロスを敷いてくれた。そこには、小ぶりの冬咲きするマーガレットの花が飾られた小さな花瓶も、置いてくれている。並べられた焼き立てのパン、暖かそうなポタージュのスープ、豆のサラダ、肉汁溢れるイノシシ肉。とても監獄で出される料理とは思えない。しかもカトラリーも、きちんとした有名ブランドのものだ。
椅子に腰をおろし、グラスにいれられた水を飲むと、ずっと忘れていた食欲が沸いてくる。そこからは、無我夢中になりそうになるのをなんとか抑え、すべての料理をいただいた。でもマナーとして少し残すのは、忘れないようにする。すると食後にちょっとした焼き菓子と紅茶まで出され、実感することになった。
地下牢とは天と地ほどの違いがあると。しかもメイドの代わりで女性の看守が一人、専属で私についてくれた。さらにティータイムと言われる時間に、両親と兄が私に会いに来て、なんと私が収監されている部屋までやってきたのだ。これには心底、驚いてしまう。
前世での話になるが、魔王討伐で人型のモンスターが地下牢に収監されている時は、直接その牢獄まで足を運ぶこともあった。だが監獄内に収監されている罪人と会う時、それは面談室で会うのが普通だった。手足に枷をつけられた罪人と面談することになる。
それが収監されている部屋で面談できるなんて!
すべて聖皇のおかげ。
そう分かっているが、私からすると彼は、あくまで魔王ルーファスの生まれ変わり。しかも私を道連れにしたルーファスにより、こんな高待遇に変えられたことは、皮肉でしかない。
さらに私に会った父親ロジャー・トーマス・レミントンは、こんなことを教えてくれたのだ。
「今朝早く、王都から勅使が来た。今夜遅くに刑が執行されると聞き、まさかそんなに早くと、母さんと泣き崩れてしまった」
そう語る私の父親は、紫がかった黒い瞳をしている。髪も瞳と同じ。顔つきは私に似ていた。自分が前世のミレア・マヴィリスの姿そのままで転生しながらも、ちゃんとクレアの父親に似ていることを、不思議に感じてしまう。
その父親は少し声を震わせながら、話を続けた。
「だが朝食の時間に、聖皇庁から使者が来た。聖皇が、刑の執行を延期するよう、国王陛下に進言していると言うじゃないか! しかも裁判のやり直し、セル・オッドワードとココ・A・ウォールデンの聴取を再度行うために動いていると、聞かされたのだよ。王都へ早馬が出され、今まさに二人への聴取も、行われていると言うじゃないか!」
これには用意されたブラックティーを吹き出しそうになる程、ビックリしてしまう。今晩の刑の執行を止めるため、早馬を出しているのは分かる。そうしないと私の刑が、執行されてしまうからだ。
でもセルとココへの聴取を、まさか即日で行うなんて!と思ってしまう。でもそうすることで二人は、事前に何も話すことはできなかったはず。つまり口裏合わせができていない。
これは大きな揺さぶりをかけることができる。ぼろがでる可能性が高い。しかも再聴取を命じているのが、あの聖皇だと知ったら……。
両親と兄との、これまた規定時間を大幅に上回る、そしてお咎めもなかった二時間の面談を終えた後。
今度は部屋に、獄長がやってきた。