47:生きとし生ける者を愛しく思える。
昼食を終えると、王宮の庭園に向かうことになった。
オルゼアはリアス王太子と急遽話すことになり、王宮へ向かうと言う。つまり、共に馬車に乗り込み、王宮へ向かうことになった。その馬車の中で、オルゼアは私に神聖力を使う。一度目は、朝からの疲れが神聖力で回復されていた。すっきり爽快で、今、目覚めたみたいだ。その上で、さらに神聖力を使うと……。
私の体は芯の部分から、ぽかぽかしているように感じた。
寒さを感じず、体も心も温かく思え、さらに穏やかな気持ちに満たされる。神聖力をその身に宿すオルゼアは、いつもこんな状態なのかしら? もしそうであるならば……。
魔王ルーファスに覚醒することはない。
そう確信できた。
こんなに気分が落ち着いて、隣にいるオルゼアを見て、とてつもない幸せを感じられる。オルゼアもそうだし、窓から見える木々や花、鳥のさえずりにさえ、涙がこぼれ出そうだった。生きとし生ける者を愛しく思える。
魔王ルーファスが過去にやったと言われる大量虐殺、焼き討ち、略奪などの極悪非道なことを考えるなんて、この神聖力が体にある状態では絶対に無理だ。
オルゼアは、魔王ルーファスの生まれ変わり。でも前世の記憶は覚醒することなく、その生を終えるだろう。そしてもしまた生まれ変わることがあっても、その時はもう、魔王として生まれ変わることはない。『コランダムの心臓』は失われたのだから。きっとこの次もまた、聖皇として生まれ変わるに違いない――そう思えた。
「レミントン公爵令嬢、大丈夫ですか? 少しやり過ぎてしまったでしょうか……」
心配そうに私の顔を覗き込むオルゼアの顔を、両手を伸ばし、包み込む。
「いいえ、問題ありません。聖皇様、ありがとうございます。風一つ吹かない湖面のように、私の心は落ち着いています。頭が澄み渡り、生きとし生ける者への感謝の気持ちでいっぱいです」
その気持ちが溢れ、オルゼアの額に祝福の口づけを行っていた。
「レミントン公爵令嬢……!」
「聖皇様。あなたがこの世界に存在してくださっていることに、心から感謝します。前世など関係ありません。前世がどんなものであろうと、今のあなたが全てです。今を大切に、真心を込めて生きれば、前世での罪は許されるはず 」
もはやこの世界と一体になったぐらい、心のスケールが壮大になっていた。オルゼアが前世魔王ルーファスだった時、私を道連れにして噴火口に飛び込んだことさえ、許す気持ちになっていたのだ。
さらに。
私の名前を呼び、突然抱きついて来たオルゼアに対しても、驚きや怒りの感情はない。ぎゅっと彼を抱きしめ、「大丈夫です。聖皇様は、聖皇様ですから」と何度も囁き、その背を撫でる。
そうしているうちに王宮に到着した。
私は庭園へ、オルゼアは王宮の建物に入ることになる。
オルゼアは銀色の瞳に美しい涙を浮かべ、私から離れたくないと懇願する。対して私は聖母のように微笑み「すぐにまた会えますから」と、騎士のように跪くオルゼアの髪に優しく触れた。
オルゼアは髪に触れていた私の手をとると、その甲に、何度も口づけをしている。こんなに敬ってもらえるなんて……。それではなくても嬉しい気持ちで満たされているのに。さらに気分が良くなってしまう。
聖官や聖騎士は何が起きているのか分からないという状況で、オルゼアと私を見守っていたが。それぞれ約束の時間がある。ついにオルゼアの両手から自分の手をひき、私は聖騎士を連れ、庭園へ向かい歩き出す。
肩を落とすオルゼアを、聖官が立ち上がらせ、彼も王宮へと向かう。
こうして私は王宮の庭園の中に入ると、そこにはメイドと従者が待っており、東屋へと案内してくれる。
「レミントン公爵令嬢様~!」
追悼セレモニーから一転。マヤはフリルたっぷりのミモザ色のドレスを着ている。髪にはドレスとお揃いの大ぶりなリボン。
「よくいらしてくださいましたわ、レミントン公爵令嬢」
マヤとお揃いのドレスを着た第二王妃のアナベルが私を迎え、既に着席していたマダム達を紹介してくれる。公爵家、伯爵家、子爵家……それぞれ名門のマダムばかりだ。そこに二番目の側妃であるヴァレリーがやってきた。
ヴァレリーはマルタ大公国の公女だった。でもマルタ大公国は隣国のローラン国に滅ぼされ、ヴァレリーは敗戦国の公女として、ローラン国の王の愛妾にされかけた。自国を滅ぼした国王の愛妾になどなりたくないと、ヴァレリーはワイン樽の中に身を潜ませ、アウラ王国へやってきた。
ヴァレリーはまさに身一つで「どうか自分を側妃として娶って欲しい」と国王陛下に直談判したのだ。その豪快さと大胆不敵な行動に驚き、でも面白いと国王陛下は、ヴァレリーを側妃に迎えた。が。ヴァレリーは完全に男装の麗人となってしまい、国王陛下との間に子供はなく、二人は顔を合わせると乗馬を楽しみ、剣術をしているという。
つまりは完全に男友達状態!
ちなみに大国であるアウラ王国からすると、ローラン国など取るに足らない小国。その力関係をよく理解しているので、ローラン国の王は、ヴァレリーを深追いすることもなかった。
ということでやってきたヴァレリーは、ブラウンの短髪に騎士が着ているような赤の隊服姿で、もう本当に男性にしか見えない。
「あとはクロエ様だけなのよ。どうされたのかしら。遅いわね……」
ヴァレリーが着席してから十分程経つが、まだクロエは到着していなかった。クロエはまだ幼いし、迷子になったり、支度に時間がかかっていたりするのかもしれない。そう私が言うと、その場にいた全員が「さすが聖皇様のパートナー! 寛大です」と感動してくれる。
そこにクロエが黒髪を乱し、ココア色の肌に汗を浮かべ、駆け足でやってきた。オレンジ色の生地に白や黄色の大柄の花が描かれたドレスもヨレヨレで、彼女が一心不乱でここへ来たのだと分かった。
「まあまあ、あなたは側妃なのですから、そんな風に走るのも、髪を乱すのも、ダメですよ」
アナベルは椅子から立ち上がると、クロエを抱きしめ、乱れた髪を手櫛でなおし、ドレスの乱れも整えてあげている。まるでもう一人の自分の子供のようにクロエを扱うと、椅子に座らせた。
「どうしてこんなに遅くなってしまったのかしら?」
「申し訳ありません。王宮の庭園ではなく、宮殿の庭園へ行ってしまいました」
アナベルに尋ねられたクロエがこう答えると「あらまあ」と取り巻きのマダムが、あきれた様子で口々に彼女を非難する言葉を囁いている。でもこれはクロエだけが悪いわけではない。彼女についているメイドも、場所を間違えたのだから、こんな風に責めるのは可哀そうだ。
そのことを私が指摘すると、またも「さすが聖皇様のパートナー! 寛大です」と絶賛されてしまう。なんだか少し居心地の悪さを感じてしまった。神聖力で軽くなっていた気持ちが、マダム達の悪意で、しぼんでいくように感じていた。
「そう言えばクロエ様は、レミントン公爵令嬢のために、クッキーをご用意されたのですよね?」
「は、はいっ、そうなのです」
クロエはドレスのポケットから、ラッピングしたクッキーを取り出した。なんでもクロエの故郷で有名なショートブレッドクッキーで、砕いたマカデミアナッツが生地に練り込まれており、たっぷりのバターの風味もきいて、絶品らしい。
「私のためにわざわざ用意してくださったのですね。ありがとうございます、クロエ妃殿下」
私の席までやってきたクロエから、そのクッキーを受け取ろうとする。すると、とても小さな囁き声が、クロエから聞こえた。でも何を言っているか聞き取れない。そこで私も小声で魔法を詠唱する。つまり増幅魔法を使い、クロエの声を、私にだけ大きく聞こえるようにしたのだ。そうして聞こえてきたクロエの声は……。
「このクッキーは食べちゃダメ。絶対に食べちゃダメ」