36:鎮魂の祈り
『祈りの儀式』は、粛々と進んでいく。
国王陛下が建国王――ノクスの果たした偉業を語り、その後は建国の歌を捧げ、一人一本ずつ、白薔薇を彫像の前に奉納する。聖皇であるオルゼアが、鎮魂の祈りを行った。
オルゼアが鎮魂の祈りを行っている間。
すすり泣きが絶えることがなかった。彼の声は慈愛に満ち、その言葉一つ一つに心が解きほぐされ、自然と涙がこぼれ落ちた。その時、この場にいたフォンスもトッコも。そして私も。オルゼアが、魔王ルーファスの生まれ変わりであることを、忘れたと思う。それぐらい心の琴線に触れる祈りだった。
オルゼアの祈りが終了すると、再び国王陛下が明日からの建国祭について報告する。さらに無事、祭事を行えるよう国王陛下が祈願したところで、『祈りの儀式』は終了だった。
儀式が終了すると、静寂から一転。ざわざわと囁き声が漏れる中、それぞれの近衛騎士に守られ、王族たちが『静謐の間』から出るため、出入口の扉へと向かう。そこで先頭にいた騎士が扉を押すが、扉は……開かない。
「何事じゃ? 早く扉を開けよ」
国王陛下がそう大声で命じた時、薔薇の花とは違う、甘い香りが漂ってきた。この香りは……。
「これはマルメロの香り……ですが、それに混じり、セドロールの香りが含まれています。皆さん、手と鼻を布で覆い、この香りを極力かがないようにして下さい。強烈な眠気に襲われます」
オルゼアが叫び、その場は騒然となる。
騒然となるが、この甘い香りに、若干皆、酔ったような顔になっていた。既に眠気に襲われる人も多いようで、かくいう私もハンカチを取り出そうとするが、力が入らない。
「レミントン公爵令嬢、これを」と、オルゼアが自身のハンカチを私の鼻と口を覆うように当ててくれる。感謝の気持ちを込めつつ、オルゼアは大丈夫なのかと、閉じそうになる瞼を必死にこじ開けた。やっとの思いでその瞳を見上げると「わたしは神聖力があるので、問題ありませんから」と、彼は銀色の瞳を細める。
だがそうしている間にも、何人かの人がずるすると座り込み、眠りへと落ちていく。
「邪悪なる者の意志を砕き 清浄なる空気を」
オルゼアが祈りを込めると、強い光が一瞬、彼の姿を包み込む。
マルメロの甘い香りが瞬時になくなった。冷たさを感じる爽やかな空気に、目が覚める。
近衛騎士達が『静謐の間』の扉を開けようと試み、力自慢のトッコがそれを手伝う。一方のフォンスは、空気の流れを追っていたようで、声を挙げた。
「この部屋には、この出入口以外の扉がありませんか? 祭壇の右手奥から、風の流れを感じます」
フォンスのこの言葉に反応したのは、ライト副団長だった。
「あります。万一に備えた緊急脱出用の通路があります。ただ、そこは狭く、一人ずつが通って出るような、狭い通路ですが」
「ではそこから脱出しましょう。まずは国王陛下夫妻の避難を!」
フォンスの言葉にライト副団長が先導し、国王陛下夫妻とその近衛騎士が、移動を始める。突然の出来事に、てっきり聖皇の命を狙う暗殺者……とも思ったが、この場にはリアス王太子もいる。それにライト副団長自身も、この場にいた。そうなるとこれは聖皇の命を狙う者とは、また違った何者かが動いている可能性があった。それが何者であるかは……見当がつかない。
「おい、わたしが先だ!」「いや、わしが先だ!」
狭い脱出通路を巡り、我先にと逃げ出そうとする王族たちの間で、言い争いが始まった。それをオルゼアが神聖力を使い、収める。彼の力で興奮気味の王族たちの気持ちを静め、冷静な行動を促した。
「トッコ、扉は開きそう!?」
私が尋ねると、扉に手を当てたトッコが肩をすくめる。
「こちらからは、押して開けることになるのじゃが……。いくら押してもびくともせん。まるで外側からガッチリ何かで、固められているようじゃ」
「ではここは、魔法で開けます!」
その時だった。
大きな地震のような揺れを感じた。一度大きく揺れた後は、余震のような揺れが続く。天井から埃や砂のようなものが、パラパラと落ちてきている。
叫び声が起き、せっかくオルゼアにより落ち着いた王族達が、再び騒ぎだす。
一体、何が起きているの!?
ともかく天井の崩落を避けないといけない。
強化魔法と膨張魔法を使い、天井の石の強度を上げる。膨張魔法で隙間を埋め、互いの石が支えあう状態を維持し、崩落を防ぐ。
「ライト副団長様、フォンス。王族の皆様の避難は、進んでいますか?」
「まずは子供と女性、高齢の方から避難させています。ですがいかんせん、一人ずつしか通れませんので……」
ライト副団長の言葉に、フォンスも頷いて私を見る。
通路が狭いと言っていたので、それは仕方ない。やはりこの扉を開け、ここから避難した方が早いだろう。ただ、揺れは続いている。天井には強化魔法と膨張魔法を使っているが、壁も強化した方がよさそうだ。
扉の周囲の壁に強化魔法をかけた上で、皆に伝える。
「これからこの扉を、魔法を使い、破壊します。破片が吹き飛ぶ可能性もあります。一旦、床に伏せ、頭を隠してください」
私の言葉に反論するものが現れるが、それはオルゼアが宥め「怪我をしてもすぐにわたしが癒しますから、安心してください」と伝え、「風の精霊の力で極力衝撃を緩和させますので、安心してください」とフォンスも言ってくれる。
ならばと私は、扉の破壊を決意した。
扉を開けようと集まっていたトッコや近衛騎士達も、一旦後退する。
扉の前に立ち、その状態を確認する。相当厚みのある石の扉だ。
破壊するのではなく、一気に風圧をかけ、扉を吹き飛ばす方がいいだろう。
扉から距離を開け、皆に目配せをする。
全員が床に伏せた。
手を扉に向け、指輪の魔法石と連動させ、呪文を詠唱する。
「増幅魔法 風圧膨張」
ドオオオン……という轟音に、私自身も腰が抜けそうになったが、分厚い石の扉は吹き飛んだ。
「よおおし! さすがクレア! 天才魔法使い」
そう言うとトッコが先陣を切って、ぽっかり空いた空間へ駆けだし、その後を周囲にいた近衛騎士達が続いた。これで一気に避難が進むと思ったが。
「うわあああああ」とトッコの叫び声が聞こえた。扉があった場所へと向かおうとしていた者たちの動きが、すぐに止まる。
ダッシュで近衛騎士と共にこちらへ戻って来たトッコが叫ぶ。
「久方ぶりに見たぞ。あれはモンスターだ。暗くてよう見えなかったが、モンスターがこっちへ向かってきている」
これには悲鳴が起こり、緊急脱出用の避難通路の方へ、皆、逆戻りした。
「伝承によると、霊廟を守るモンスターが二体いると言われています。地上と地下に一体ずつ。もしかすると扉の破壊が、霊廟への不法な侵入と見なされてしまったのかもしれません。応戦します。近衛騎士は扉の前で盾の陣形を組み、王族の皆を守れ!」
ライト副団長が近衛騎士達に声をかけ、あっという間に陣形が組まれる。そこはさすが近衛騎士だ。文句ばかりの王族達と違い、統制がとれ、気概もある。
その一方で、ライト副団長の代わりを務めてくれているのは、オルゼアだ。扉の破壊に文句を言い、慌てふためく王族達を、神聖力で強制的に宥めさせてくれた。トッコはその王族達を、継続して避難通路へ誘導してくれる。
「クレア、君は間違ったことはしていないです。それに扉を破ったぐらいでモンスターが動くなんて、ノクスはやりすぎですよ」
そばに駆け寄ったフォンスが、声をかけてくれる。
「久々のモンスター狩りですが、やれますよね、ミレア」
そう言ったフォンスは、近衛騎士に借りた弓矢を手にしている。「勿論です」と頷いた私は、フォンスの弓と矢に強化魔法をかけた。
「ふふ。食えるモンスターだといいなぁ。ノクスはそこ、気を使ってくれているといいんじゃが」
オルゼアに王族の避難の誘導を任せたトッコは、手に斧を持っている。かつての大斧に比べると、かなり小さい。
「増幅魔法 質量増大」
「おおおっ、この大きさ、この重さ。これじゃ、これ! 久々に腕が鳴るぞ」
トッコが、魔法で質量が増した大斧を手に、肩を回したその時。
扉があった場所の先、つまりは暗闇に光る二つの赤い目が、見えた。