30:隠された意図
この絵は“Hidden meaning arts(隠された意図を持つ絵)”。
表向きの意味とは違うことが、この絵には込められている。
それが何であるのか、ノクスが教えてくれた。
「この空から舞い落ちるように描かれているのは、白い薔薇の花びらです。白い薔薇は純粋無垢な象徴であり、平和のシンボルとも考えられますが……葬祭の場でも使われることから、喪失や深い悲しみも意味しています」
なんだか幸せな場面を描いた絵だと思ったら、いきなり隠された意図が、不穏なことに驚く。
「ここに描かれているこの女性も、多くの人が建国王の王妃と思うでしょう。でも違うのです。魔王が討伐された際に、犠牲になった命がありました。でも画家は、それが不吉であると描きたがらない。そこでこの絵を注文した方は“Hidden meaning arts(隠された意図を持つ絵)”にすると決めたのです。そしてこれはシルバーブロンドに見えますが、本当に描きたかったのは、銀髪。紫がかったピンク色の瞳ではなく、本来はアメシストのような紫の瞳を、描いて欲しいと願っていました」
まさか……本当は、私を描こうとしてくれていたの!?
きっと……そうなんだ。
思わず胸が熱くなる。
「建国王は、跡継ぎは養子にして、生涯独身を通すと言われました。でも周囲がそれを許すわけがありません。建国したばかりで、いきなり次の王が養子になるのは、国の根幹を揺るがすことになると。そこで彼は条件を出しました。妃にするなら、銀色の髪、その瞳はアメシストのような紫の瞳である者を、と」
ノクスはなんて我がままを言い出したの!?
しかもなんで外見を私に寄せるの!?
え、もしかして……。
絵画に私に似た女性が描かれることで、私の功績を後世に伝えようとした……ということ!?
もしそうであるならば、ノクス、あなた、生真面目すぎる……!
「ただ、その条件に合致する者は、なかなかいなかったそうです。そこでようやく見つかったのが、ミリア王妃。それでも銀髪ではなく、シルバーブロンド。瞳の色も、紫がかったピンク色。建国王は首を縦にふりませんでしたが、ミリア王妃の名をネナからミリアという名に変えることで、ようやくその縁談はまとまったそうです」
ノクス、あなたやりすぎよ。名前まで変えるなんて……。
というか自分の結婚相手なのに。
そこまで自分を犠牲にしなくていいのに。
自分が好きと思う相手と結婚すればいいのに、ノクスは何をやっているの?
それに私、そこまでして後世の人に記憶されたいと、思っていないのに!
「建国王が心から愛し、生涯を共にしたいと思った女性は、魔王に奪われました。彼の目の前で、魔王と共に、彼女はノースマウンテンの噴火口へと落ちていったのです。その喪失と共に、生涯独身を貫くことを願ったのに。それは許されず。ミリア王妃は、その亡くなった女性の身代わりでした」
あ、え、そんな……。
「身代わり……でしたが、婚儀を挙げた後は、よき夫として、父として、そして国王として。ミリア王妃と共に生きられたそうです。ただ建国王は死の間際、ミリア王妃をそばに呼び『ミレア』と声をかけ、息を引き取られたそうです」
血の気が引いてしまった。
とんでもない話を聞いてしまったと思う。
そんな、まさか、ノクス、あなたは……。
「この絵の依頼主は建国王です。“Hidden meaning arts(隠された意図を持つ絵)”として込められたメッセージは『実現しなかった世界』。純白のドレスを着て、彼の横に立つはずだった女性、天才魔法使いミレア・マヴィリスを描いた絵なのです」
めまいがして倒れそうになる。
「レディ、大丈夫ですか」
実に紳士的に、ノクスが体を支えてくれた。
支えてくれたが、離れなければいけないと思い、奥歯に力を込める。
「すみません。お酒の酔いが、今頃回ってきたのかもしれません」
「そうですか。そうとは知らず、引き留めてしまい、申し訳ありませんでした。エントランスホールへ、向かわれるのでしたよね?」
「え、ええ、そうです。でも一人で大丈夫ですわ。巡回中の近衛騎士の副団長様のお手を煩わすわけにはいきません」
「巡回は自主的に行っているものです。本日の勤務は既に終了していますので、遠慮いただく必要はありません」
ノクスは私の手をとり、腰を支えるように腕を回していた。
に、逃げられない……。
ここはもう可及的速やかにエントランスホールへ向かうしかないと、観念する。
「レディ。よろしければ、お名前を教えていただけないでしょうか」
私の手をとり、ゆっくりエスコートを始めたノクスが、落ち着いた声で尋ねる。オルゼアの同行を探り、暗殺者を送り込んでいるのだ。私のことなど、とっくに調べはついているだろうに。
そう思うが、お互いを知らない前提でここまで来ているのだ。名乗るしかないだろう。
二階のランディングスペースに着いたところで、自分の名を告げる。
「クレア・ロゼ・レミントンと申します。レミントン公爵家の長女です」
「レミントン公爵家。西都の名門ですね。……レミントン公爵夫妻と兄君は、夕食会のお席でお見かけしています。その時にクレア様は……」
両親も当然、今日の夕食会に招待されている。ただ、席はうんと離れていた。何せ私は聖皇のパートナー。周囲の席には王族ばかり。両親や兄は、同格の公爵家が座るテーブルに、案内されていた。
「私は、家族とは別行動ですので」
「ほう……。婚約者と行動を?」
「!? ち、違います。婚約者はいたのですが、婚約解消しました。今は、婚約者はいません」
ようやく一階に到着した。
シャンデリアに照らされた廊下は、とても明るい。
冷静に考えると、四階なんて、真っ暗に近い状態だった。シャンデリアの明かりは抑えられ、廊下の窓にカーテンはなかったので、かろうじて月明かりがあるぐらい。いくら考え事をしているとはいえ、そんなところへうっかり行ってしまうなんて。うっかりにも程があるわよね。
「婚約者はいない。……お一人で王都へいらしたのですか? あ、いえ。そういえば夕食会で聖皇様のお隣に……クレア様は、聖皇様のパートナーなのですか?」
「はい、そうなのです。話すと長くなる事情がありまして。結果的に聖皇様のパートナーを、この建国祭の間、務めることになりました」
どうしてノクスとこんな歯がゆい会話を、しないといけないのだろう。魔王討伐のために共に旅をしていた時は、もっと気楽に会話できたのに。こんな敬語ではなく、フランクに、仲間として。
仲間……。
ノクスはあのパーティのリーダーであり、仲間だと思っていた。でもノクスは違っていたの? 私を……。
うーん、本当に、私のこと、好きだったの?
もしかしたら自分を助けるために、魔王の道連れに私がなったから、その責任感で「自分はミレアのことが好きなんだ!」と思い込むようになったのでは!? ノクスは誠実で真面目過ぎるから、そんな可能性もありそうだ。
チラリと横を歩くノクスを見ると、その碧眼の瞳と目があう。
「まだお若いリアス王太子様の近衛騎士をしていると、国王陛下や王妃殿下の近衛騎士から、うらやましがられるのです。理由は想像できますか」
突然想像もしていない質問をされ、面食らう。だがニコリと笑顔のノクスは、爽やか好青年そのものだ。
「それは……リアス王太子様がお可愛いからでは? その成長を見守ることができるなんて、羨ましい!ということではないでしょうか」
「そんな発想ができるクレア様こそ、お可愛いですね」
ノクス! あなたそういう冗談言う性格でしたっけ!?
楽しそうに笑った後、ノクスは正解を教えてくれる。
「交代時間が早いのですよ。朝食の後から王太子様の護衛につき、この時間には解放されます。舞踏会であれば、真夜中まで開催されているでしょう。途中からでも参加できます。婚約者がいれば会いに行ける。結婚していれば、妻の相手をする時間もありますよね。だから羨ましいと言われるのです」
エントランスホールが見えてきた。まだ宵の口にもなっていないが、それなりの数の人の姿が見えている。場所を変えて飲もうとする数名の男女、親密になりたい男女が、馬車の手配をエントランスホールで待っていた。
「なるほど。スタンリー様もこの後、ご予定があるのでは? エントランスホールはすぐそこです。一人でも私は平気ですから。ここまでで、大丈夫ですよ」
まだ一時間は経っていないので、エントランスホールに、オルゼアがいる可能性は低い。何せあれだけ沢山の人に囲まれていたのだ。到底一時間では足りないだろう。そうなると到着が遅れるぐらいが、妥当と思えた。
それでも。
もしかすると、エントランスホールにいるかもしれない。私がノクスにエスコートされているのを、オルゼアが見たら……。