28:まるで王子様
オルゼアは、魔王ルーファスの記憶を取り戻していない。だから一緒にいるだけ。彼が前世の記憶を取り戻したら、私は……逃げる。
そう、離れないと。
記憶を取り戻したオルゼアは今とは別人、あの魔王ルーファスに人格が変わってしまう可能性がある。それに師匠のせいでルーファスは、自身と私は両想いだと勘違いしているのだから! 逃げてそれでもダメなら師匠の魅了の魔法だ。一応、最後まではあがいてみよう。
ひとまずノクスへの対応は決まっている。だったら彼と会うことを、迷う必要はない。
扉をノックする音に、我に返る。
迷う必要はなかった。ただ、今日ではなくても、と思っている。
「師匠、今日はいいです。いろいろあって、疲れました。ノクスとはまた後日、私から声をかけます」と言うと、鳥を窓から外へと放つ。そして「今、開けます!」と返事をし、駆け足で扉へ向かう。
慌てていたので勢いよく扉を開け、そしてそこで心配そうに私を待つ、銀色の瞳と目が合う。
「あ……」
その後の言葉が続かない。
てっきり聖皇として、ローブを着ていると思ったのに。違っていた。
オルゼアは、アイスブルーのテールコートを着ている。同色のズボンを着用し、白い革のロングブーツも履いている。白シャツの首元には銀色のタイ、ベストはボタニカル模様を織り出したシルクのブロケード。
アイスブルーの長い髪は左側で一本に束ねられ、銀色のリングで留められている。左右の頬に残る後れ毛といい、いつもとガラリと雰囲気が変わっていた。
「レミントン公爵令嬢、迎えに来たのですが……準備はできているようですね。その……わたしの装いは似合わないでしょうか……」
オルゼアの銀色の瞳が、困ったように揺れている。
「い、いえ、似合っていないなんて、そんなことございません。ローブ姿を見慣れていたので、少し驚いてしまっただけです。大変よくお似合いです」
「……無理していませんか?」
不安を隠せない表情のオルゼアは、なんだか可愛らしく感じてしまう。
「無理なんてしていません。聖皇様と私の仲ではありませんか。そんな気遣いは不要ですよね? もし似合わないと感じたら、ハッキリ申し上げます。皆の前で恥をかかせるわけにはいかないですから。間違いなく、今日のそのお召し物は、聖皇様によくあっていらっしゃいます。ただ聖皇様には見えません。王族か、高位な貴族のご子息のように見えますよ」
「そうですか。そこまで言っていただけると安心です。……聖皇には見えない……。ふふ。そうですね。聖皇であることを忘れ、レミントン公爵令嬢と夕食を楽しみたい気分なので、丁度いいかもしれません。では参りましょうか」
私が返事をしようとすると、オルゼアの細い指が、そっと唇に触れた。切れた唇を癒してくれた時のように。「失礼、レミントン公爵令嬢」と言うと、パタンと扉が閉じる音がして、オルゼアが部屋の中に入って来た。
ドキッとして、そのまま部屋の中を進むオルゼアの後ろ姿を目で追う。
廊下に取り残された聖騎士は、動揺していそうだ。
それでもパートナーである女性の部屋に入っていったのだ。強引に踏み込むことは、できないだろう。
というかオルゼアは、どうしたの?
そう思ったら、彼は窓に近づく。
あ、さっき、師匠の鳥を外へ放ち、窓を閉めるのを忘れていたわ。
オルゼアは窓を閉め、カチャリと鍵をかける。
「空気の入れ替えをされていたのですか? ここは王城内なので、警備は厳重です。でもこの警備が厳重な王城から、聖皇とそのパートナーが姿を消していた。誰にも気づかれずに。つまりいくら厳重でも、完璧ではないということです。用心に越したことはありません。戸締りは忘れないでくださいね」
そう言ってオルゼアは、微笑の聖皇になる。
その姿でそんな風に微笑まれると、まるで師匠が言っていた“王子様”だわ。
王子様になったオルゼアは「では、夕食会へ行きましょう」と、リックの時とは違い、礼儀正しく手を差し出す。その手に私が手をのせると、彼はゆっくりエスコートをはじめ、部屋から出た。
聖皇なのに、聖皇ではない装い。
夕食会の席では、圧倒的にオルゼアに注目が集まってしまった。食事の最中も、皆が彼には話しかける。これまで皆は、聖皇である彼にしか興味を持っていなかった。会話も、神聖力のことや病気や怪我の相談。
でも今回は違う。聖皇ではない彼に興味を持ち、休日の過ごし方、趣味、女性の好み……。着席し、食事をしている最中は、まだ彼に話しかける人物は限られていた。でも夕食会が終わると……。
晩餐会ではないが、隣室でアルコールや紅茶やコーヒーが用意された。沢山のデザートや軽食も。そこにオルゼアは連れて行かれ、あらゆる人々から声をかけられる。王侯貴族、各国の大使、他国の騎士団長、隣国の神官さえ、彼に話しかけた。パートナーである私は、彼の隣に座っているものの。
邪魔だ。
自分でも分かる。ここに私がいるのは「邪魔」以外の何物でもない。だからオルゼアに「満腹なので、少し散歩でもしてから、部屋に戻ります」と告げることにした。当然だが彼は「ではわたしも」と言ったが、それを制する。
彼に話しかける人々の中には、美しい令嬢や姫君も多い。それは聖皇妃になりうる方かもしれなかった。まだ魔王ルーファスは、覚醒していない。覚醒する前に、どなたかと恋に落ち、その方を聖皇妃に迎えてくれれば。私はルーファスの求婚から、逃れることができる。
聖皇と聖皇妃の間に子供ができれば、その子は神聖力を持つ。ならば聖皇には、多くの側妃を迎えてもらおう……という動きはなかったわけではない。それを実践された聖皇もいたという。だが結果は……。ダメだった。聖皇妃との間の子供だけが、神聖力を持った。しかも神聖力は、長男>次男>三男……四男以降はほぼ神聖力がない状態。しかも長男と次男との神聖力の差は、歴然。長男のみが、一人勝ち状態なのだ。
よって聖皇には、一人の聖皇妃のみ。そうなった。何より、側妃を何人も迎えた際は、側妃同士の争いも絶えず、さらに財政も圧迫された。聖皇妃も苛立ち、聖皇とは、離婚寸前までいったという。
つまりオルゼアが魔王ルーファスとして覚醒する前に結婚してしまえば、私は勝ち逃げできた。勝ち逃げ……何に勝つのか分からないけれど。
いや、うん、そう。前世ではノクスが魔王を倒し、勝者はノクス率いる魔王討伐パーティだった。道連れにされた私は、悲劇の魔法使いとして、名を刻むことになる。絵画に少しだけ描かれ、教科書にも一行は名前が出るが、それだけだ。つまりは負け組。
でも今回、オルゼアがどこぞやかの姫君や令嬢と結婚してくれたら……。覚醒した魔王ルーファスは「そんな!」となるかもしれないが、もう後の祭りだ。聖皇妃との離婚は、認められていない。そもそもこの国では、離婚は社会的な規範から反するとされていた。不倫同様に。聖皇という立場で離婚なんて、もってのほか。前例もない。それでいて側妃も認められていないのだから、ルーファスは、あきらめるしかない。
完全勝利よ、そうなれば!
「ずっと誰かと一緒です。聖騎士様もそばにいて、部屋にはメイド。少しの時間でいいので、一人に、自由にさせていただけないでしょうか。この建物から外には出ませんから。一時間後、エントランスホールで会いましょう」
そう私が告げた時、オルゼアはハッとした表情となり、すぐに私の思いを汲んでくれた。
そこはなんだか彼の優しさにつけこんだようで、申し訳ないな、と思う。
なぜならオルゼアこそ常に「一人になりたい、自由になりたい」と思っているのだろうから。
聖皇であり、しかも暗殺者から狙われていることは分かっている。オルゼアのそばには、聖官や聖騎士が常に控えていた。今日のように魔法を使わない限り、思い付きで彼が一人になり、自由になれる時間は、もてないだろう。だからお忍びで孤児院に足を運んでいたようだが、それは急に実現できることではない。用意周到にことを運び、そしてようやく数か月に一度だけ、できたことだと思う
一人になりたい、自由になりたい。
その気持ちを人一倍感じているオルゼアだからこそ、私の申し出を却下することも、代案を出すこともできなかった。ただ一瞬悲しそうな顔になり、でも私の手をとり、甲へ優しく口づけをした。そして「では一時間後にエントランスホールで」と言うので、彼は精一杯だった。