27:これでよかった……のかな。
「ロゼ、どうですか? 気持ちは落ち着きましたか?」
ハッとして我に返る。
「え、ええ。とてもリラックスできました。ありがとうございます」
既にあの男達のことが、遠い過去の出来事に思えた。
「こんな形になり、本当に申し訳ありませんでした。……帰りましょうか」
「リック」
「はい」
オルゼアの胸から顔をはなし、彼の顔を見上げる。
いつもと違う髪色と瞳のオルゼア。
オルゼアだけど、オルゼアではない彼だから、素直になれた。
「ハプニングもありましたが、屋台を見て回り、食べてみたかったチョコリンゴも食べることができました。私はとても楽しかったですよ」
オルゼアの瞳が、嬉しそうに輝く。
「それに自分の非力さを思い知り、同時にリックの素晴らしさを深く知ることができたと思います。正直、引きこもりの聖皇様だと思っていたので。あんな風に立ち回れるとは、思いませんでした。咄嗟にあれだけ動けるのは、すごいことだと思います。武器もなかったのに。かっこよかったです。しかも私の怪我もすぐに癒してくれましたよね。本当にありがとうございます」
ペコリと頭を下げ、そして笑顔でちゃんと言うことができた。
「もしまた誘っていただけたら。私は喜んで街へ行きたいと思います」
この時のオルゼア笑顔は……微笑の聖皇なのに、でも泣き出しそうで。なんだか言葉にならないという感じだ。
「わたしは……そう言っていただけて、とても嬉しいです。ロゼ、心から感謝します」
感無量という感じでそう言うと、オルゼアが私の手をとる。私はその手をぎゅっと握りしめ、ゆっくり石のベンチから立ち上がった。
この後、夕食会がある。それは晩餐会ではないので、格式ばったものではない。とはいえ招待されているのは、国内外の王侯貴族に諸外国の大使だ。緊張もするだろう。今、完全にパワーを使い切るわけにはいかない。
ということで王城までは、馬車に乗ることにした。
西都を出て、王都へ向かう道中の馬車は、一時、隣同士で座った時もあった。でもそれ以外は、対面で向き合う形で座っていた。ところが今、自然と横並びで座っている。しかも手をつないだまま。お互いの肩に寄りかかるようにして、馬車の揺れに合わせ、目を閉じていた。
オルゼアが魔王ルーファスの生まれ変わりであることは、この時の私は完全に忘れていたと思う。
「もうすぐ着きますね。徒歩で広場に向かった時は、随分遠くに感じました。でも馬車だとあっという間ですね」
それはまさに同感。もう正門が見えてきている。
「夕食会の会場まで、また馬車で移動します。時間が近づいたら、部屋まで迎えに行きますね」
「はい。分かりました」
「この変身魔法は、部屋に戻ったら解除されるのですよね」
「そうですね」と答えると、オルゼアはつないでいる手に力を込め、そして私を見る。
「馬車の中で二人きりなので、名前で呼びますね。……レミントン公爵令嬢」
「はい」
「本来の姿に戻っても、今と同じように、接していただけますか」
「!? それはどいうことですか……?」
少し頬を赤くしたオルゼアが、切実そうな表情で私を見た。
その表情に私は、ドキッとしてしまう。
「物理的な距離もそうですが、心の距離が、縮まったように感じるのです。レミントン公爵令嬢とわたしの」
それは間違いなくそうだった。もしこんな風に王城を抜け出し、街へ行くことがなければ……。オルゼアと私の心の距離に、変化はなかっただろう。
「……わたしは聖皇ですが、オルゼア・R・エリソンという名前があります。どうかリックとして……オルゼアという一人の不器用な男性と思い、接していただけないでしょうか」
何を言われるのかとドキドキしてしまったが、それだったら……。
一瞬、簡単なことに思えた。
だが……。
できるのだろうか。
見た目は魔王ルーファスのオルゼアを前にして。
「分かりました。努力してみます。今は見た目が違うので、聖皇様という見方をしていないのかもしれません。でもいつものお姿を見たら……。できる限り、頑張ってみます」
「ありがとうございます、レミントン公爵令嬢」
◇
冒険の時間が終わり、部屋に戻ると、夕食会に向けた準備が始まる。
入浴をして、汗を流し、全身にピオニーの香りの香油をつけ、ドレスへ着替える。
オルゼアから贈られたこのドレスは、水色と紺碧色のグラデーション生地に、大小さまざまなサイズのピオニーの花が、プリントされていた。そしてその生地の上に、アイスブルーのシルクシフォンが重ねられている。さながら氷の中に咲くピオニーを眺めるようで、白い霜越しに見える色合いが、実に幻想的だ。
オルゼアがこのドレスを選んだのなら、彼の美的センスは、かなりのものだと思う。
ドレスの美しさがより際立つよう、髪はアップにし、銀細工の髪飾りでまとめる。アイスブルーの宝石のついたネックレスとイヤリングをつけ、淡いローズ色のルージュと優しい風合いのチーク、アイホールはシルバーで華やかにメイクした。
「ピチィーック、ピチィーック」
師匠の伝令の鳥! メイドに準備への御礼を伝え、下がってもらうと、慌てて窓を開ける。室内に入って来た鳥は、文机に着地すると口を開く。
「愛弟子よ。今日は久々に冒険を楽しんだようだな。俺の助けはなかったが、王子様が善戦したから問題なかっただろう? ところで驚いたよ。ライト・アーク・スタンリーは、ノクスに瓜二つだ。魔王討伐パーティが再結集になるな。今晩の夕食会、強制力があるものではない。フォンスはトッコと街へ出て、顔を出せないようだ。王太子はまだ子供だからな。夕食会が終わるとすぐに部屋へ戻り、休むだろう。一日中、彼にはりついた近衛騎士達も、交代時間になる。もしノクスと話したければ、俺が橋渡しをするぞ。どうする、ミレア・マヴィリス?」
変身魔法を使って街へ出ていたのに。師匠はお見通しだわ。
というか師匠も、王都へ来ているのよね?
さすがに西都から私を見守っているとは、思わないけれど……。
王子様が善戦……その通りだけど、オルゼアは殴られた上に、あいつらが投げた石が当たっていたはず。でも自身の中の神聖力で、広場についた頃には、どの傷も癒えていたと思う。顔を殴られたはずなのに、赤くなったり、腫れていたりもなかった。それでも痛みは感じている。殴られた瞬間に。石が当たった時も。転ぶ私を庇った時にも、全身を地面にぶつけている。
相当、痛かったと思う。
師匠も気づいていたなら……助けてくれてもいいのに!
いや、でも。
あの一件も含め、オルゼアと二人で街へ行ったことで、彼に対する見方、心の距離が変わったのは事実。もしあっさり師匠に助けられていたら、それもなかったかもしれない。
これでよかった……のかな。
それにしてもフォンスとトッコは、夕食会を断り、街へ繰り出すなんて! トッコは昔からフリーダムな性格をしていた。美味しいお酒が飲めるなら、自由気ままにどこへでもふらふらと行ってしまう感じだった。そんなトッコとは対照的に、フォンスは真面目で律儀だった気がするけれど……。何よりこの二人が、あれからの三百年を共に過ごしていたなんて。
水と油とまで言わなくても、性格が真逆だと思っていたから、意外だわ。
真逆……。
魔王と、魔王討伐をしていた魔法使いの私。それこそ水と油なのに。今は一緒に過ごしている。それは本当に不思議なことだ。ノクスだって、絶対におかしいと思っているはず。
ノクスに会うなら私、どうしたらいいのかしら。覚醒していることを打ち明けるか。それとも覚醒していないフリをする? フリをする……つまりだます。
それはダメ。あのノクスをだますなんて!
フォンスとはまた違った意味で、ノクスも真面目だった。真面目というか誠実ね。初代建国王にふさわしい、立派な人物だった。そんな彼に、嘘をつきたくはない。会うからには、前世での記憶を取り戻し、覚醒していることは明かす。その上でオルゼアと一緒にいるのは……仕方ないわよね。私はあの時、地下牢にいて、その日の夜処刑されるような状況だったのだから。そこで助けられて、あとはまあ成り行きというか……。それを話すしかないだろう。