25:トミーとジュリエット
魔王ルーファスの生まれ変わりなのに。前世とは真逆過ぎない?
もう、覚醒しなければいいのに。ずっとこの心優しいオルゼアのままでいてくれたら……。
「もしかして剣や弓を使えるのは、自衛のためですか?」
「!? どうしてそれを知っているのですか!?」
「! すみません。昨日の朝、迎えにきてくださる道中、暗殺者の襲撃がないか心配で……。魔法で様子を……」
オルゼアは怒るかしらと思ったら「魔法ではそんなこともできるのですね」と驚き「いざとなった時に何かあれば、聖官や聖騎士が大変なことになりますから。剣術を習い、弓は狩りで、槍も少し覚えました」と明かしてくれた。
「もしかしてリックは、今日も孤児院や貧民街に、足を運びたいと思っていますか?」
「それは……」
孤児院や貧民街に、行きたいと思っているのね。
誰かのためになりたい――オルゼアの善性を強く感じた。
だったら……。
勇気を出して、提案してみよう。
「せっかく魔法で別人なのです。暗殺者もリックを狙うことはありません。行ってみますか?」
眩しそうに瞳を細め、オルゼアが私を見た。
「いいのですか、ロゼ? まだ広場の屋台は、ほとんど見ていないのに」
「リックは、チョコリンゴを食べたい私に付き合ってくれました。今度は私が、リックの行きたい場所に付き合いますよ」
この時のオルゼアが、私を見つめる目は……。
何、どうしたの!? なんだか落ち着かない!
「実は毎年、建国祭で王都へ来た時に、足を運んでいる孤児院があります。そこへ行ってもいいですか?」
「勿論ですよ。明るいうちに行きましょう」
微笑んだオルゼアが私の手をとり、立ち上がるのを手伝ってくれる。手早くマントを身に着けると、私の手をとり歩き出す。
まさにその時。
「お兄ちゃん、パン、一つしか買えなかった」
「仕方ないよ。でもこれで母ちゃんが少し元気になるはずだ」
「本当に? 病院でお薬は?」
「無理だ。そんな金はない」
オルゼアも私も立ち止まり、後ろを振り返っていた。
そこには、まだ十代に満たないボロボロの服を着た少年と少女の姿が。
無言でオルゼアと私は、アイコンタクトをとっていた。
静かに頷くと、オルゼアが私の手を離し、二人に声をかける。
「君たちの話が、聞こえてしまった。わたしで良ければ、二人の助けになりたい。わたしはこの王都で、医師になるために勉強をしているんだ」
オルゼアが声をかけると、妹の方がすぐに反応した。
「わあ、お医者様の卵なの? じゃあ、お母さんを治してくれる?」
「やめろ、ジュリエット。僕たちはお金がないんだ。後からお金を寄越せと言われても、払えないのだから」
少年が妹のジュリエットの手をとり、その場を去ろうとした。
「お金を要求するつもりはありません。実際の病人を診ることは、わたしの勉強にもなりますから」
オルゼアの言葉に、少年が逡巡している様子が伝わって来た。でも妹は「お金いらないって。見てもらおうよ」と声をかけている。
「ねえ、君が心配する気持ちはよく分かるわ。君の周りには、狡賢い大人が沢山いたのかもしれない。でもこの彼、リックはあなたをだましたりしないわ。だって二人はパンを一つ買うお金しかないのでしょう。そんな二人から奪えるものなんて、ないわよね? それよりも少しでも早く、お母さんに元気になって欲しいのでは?」
ちょっとヒドイ言い方かもしれないが、甘言に乗せられ、騙された経験の方が多かったのだろう。歯に衣着せぬ物言いに、少年は納得してくれた。
「そうだな。僕の家には何もない。盗れるものがあれば、とってみろだ。良し。ついて来いよ、二人とも。行くぞ、ジュリエット」
少年がジュリエットの手をとり、歩き出す。
その後をオルゼアと私が追いかける。
歩きながら少年は、自身の名前がトミーであると教えてくれた。そこで私も自分の名がロゼであると明かす。お互いの名前が分かることで、少しずつ打ち解けることができた。
トミーとジュリエットの父親は、出稼ぎで南都へ行っており、遠洋漁業に出ていた。つまり来年の春にならないと、帰ってこない。母親は街の飲み屋で働いていたが、元々体があまり強くなく、疲労が蓄積し、遂に寝込むようになったという。蓄えもつき、今は兄妹で、祭りの屋台の店番を手伝い、小銭稼ぎをしているのだという。
「ここだよ」
祭りでにぎわう王都とは一線を画す、貧民街に到着した。
トミーとジュリエットの兄妹が、オルゼアと私を案内したのは、家と呼んでいいのかと思ってしまう建物だった。建物の入口にはドアもなく、布切れ一枚。中に入ると粗末なベッドが一台あり、そこに母親が寝かされている。地面がむき出しの床に、よれよれの絨毯が敷かれ、そこで兄妹が体を休めていると分かった。家具は今にも壊れそうなテーブルと二脚の椅子。洗い場にはわずかばかりの食器、竈はあるが、最近料理を作った形跡はない。
オルゼアとジュリエットが母親の方へ向かうと、私はトミーに声をかける。
「トミー、私は物語を収集するのが好きなの。あなたが知っている物語を聞かせて。なんでもいいから。子供の頃、あなたのお母さんが、夜、寝る前に何か話してくれなかった?」
「ええ、何だよ、物語って」
そうトミーはぶつぶつ文句を言いながらも、私を椅子に座らせると、自身も椅子に座り、いくつかの物語を聞かせてくれた。それは私が知らない物語だ。
師匠は私を寝かしつける時、心が躍るような物語を聞かせる代わりに、難解な魔法の話をしていた。おかげで私は、一分以内に寝付くことができたのだけど。
転生後、沢山の童話を、メイドや両親が読み聞かせしてくれた。でもそれは平民の子供が知る童話とは、また違うもの。
だから多くの平民の子供が知るような童話を、知らなかった。
「それで王子様はお姫様を救い出して、二人はお城で結婚したんだって。……こんな話ぐらいしか知らないよ、僕」
「トミー、ありがとう。私はね、捨て子だったの。だから母親から寝る前に物語を聞かせてもらうこともなかった。だから嬉しいわ、物語が聞けて」
「え、ロゼはお父さんとお母さんの顔を知らないのか」
前世ではね。今は違うけれど。でも前世でのことをトミーとは話しているので頷くと、トミーは「もう一つ話してやるよ」と、オルゼアが母親の治療を終えるまで、沢山の物語を話してくれた。
「ロゼ、トミー、お待たせしました。お母さんの治療は終りましたよ。ジュリエットがお水を用意して、パンを食べさせてくれたから。それもあって、お母さんはかなり元気になったと思いますよ。ずっと毎日働いていて、お母さんは疲れてしまったのでしょうね。でもわたしの処方したあの薬を三回飲めば、元気なりますよ」
薬……?
そう思い、ベッドの横のサイドテーブルを見ると、そこにはチョコリンゴを買った時にもらったキャンディが置かれている。あれが薬!?と思うが、兄妹は信じていた。なぜなら母親の顔色が見違えるほど、変わっていたからだ。
もう病は完全になおっているのだろう。でも神聖力を使ったことは秘密だから、明日になったら元気になっている――ということにしたのだと思った。
こうしてオルゼアと私は家を出ることになる。
「リック、ロゼ、ありがとう!」「ありがとう~!」
家を出る前に私は、トミーに銀貨を数枚、渡した。
「リック、物語をありがとう。これはリックが物語を話してくれたから、渡しているの。お金は何かしたことに対する対価として払われるもの。何もしなくても、手に入るものではないわ。このお金でお母さんと三人の食事を用意してね」
ここがチャリティー会場だったら、寄付として職員にお金を渡しただろう。でもここは三人の人間が暮らす家だ。労せずお金を得られるものとは、考えて欲しくなかった。
「ロゼ……。僕はロゼが聞きたいって言うから話しただけだけど……。そっか。そうだよな。うん。お金は対価。分かったよ、ロゼ。これで三人のご飯を用意する」
私を見上げるトミーの目は、理知的な輝きを帯びている。きっとトミーは地頭がいいのだろう。
「ロゼ、また物語が聞きたくなったら、いつでも来いよ!」
「リック、また会いに来てねー!」