19:なんとかしてもらわないと!
魔眼をクールダウンの合図と共に停止し、身動きを止める。
この間に暗殺者が動いた場合、いくつかの定型攻撃には、防御魔法が作動してくれることになっている。例えば矢が飛んでくれば、風で吹き飛ばす。剣や槍を手に近づけば、足がもつれるなどだ。
それでも倒しきれない場合は、聖騎士に頑張ってもらうしかない。もしくは師匠の援護を期待だ。
師匠も魔眼を使いながら、遠隔で攻撃をしていると思う。でも活動停止せずに、今も動き続けているはず。一体どんなズルをしているのか。でもそれは師匠の体に、大きな負担をもたらしているに違いない。
師匠のせいでこうなったのだから、協力してくれて当然。そんな風に考えてしまうが。そもそも師匠が魔王に接触することになったのは、師匠の意思ではない。魔王討伐パーティに、協力を要請されたからだ。
もし要請を断っていれば。師匠と私はあの森で、面白楽しく過ごしたことだろう。そして私は師匠より一足先に、あの世に旅立っていたはず。
冷静に考えると、師匠が悪いわけではないのだ。私利私欲のために、師匠は動いたわけではない。あの時代のあの世界を平和にするために、動いただけなのだ。私が道連れにされたのは、大きな正義のための、小さな犠牲に過ぎない。そこに多大な責任を感じ、三百年の時を超え、師匠は今、私をサポートしてくれている……。
そんなことを考えられるぐらい、私の気持ちは落ち着いていた。
現状、師匠を頼っているものの。オルゼアと行動を共にすれば、魔眼や遠隔魔法は使わないで済む。彼には自分が魔法使いであることは、打ち明けるつもりでいた。どのみち、彼が魔王ルーファスとして覚醒すれば、私が魔法使いであることは、バレるのだ。魔法使いであることを隠し、建国祭を過ごすのは、かなり面倒。それに魔法使いであるとバレないように気を配ることで、迫る暗殺者の脅威に手が回らない――そんな事態は避けたいと思っていた。
よってオルゼアにこの後会ったらすぐ、魔法使いであることは打ち明ける。まだ覚醒前の彼は、私が魔法使いだと知り、どんな反応をするだろう……。
彼の驚く顔が目に浮かぶ。
……。
私自身は活動停止中だが、防御魔法の反応は、勝手に感知し続けている。既に街中の中心地を移動中だろうに、暗殺者が暗躍していると思うと、驚かざるを得ない。聖皇が通るルートには、聖騎士もあらかじめ配備されているのに。
大丈夫かしら? 大丈夫よね? 大丈夫よ。聖騎士もいるのだし。丸腰なわけではないのだから。
活動停止している十五分が、とても長く感じてしまう。身動きできないこの時間。あちこちに汗をかいてしまう。
そういえば、魔眼の扱いに慣れていない時に、ピンチになったことがあったわね。あの時はモンスターの群れに囲まれ、絶体絶命だった。森の中に現れたモンスターは、ビーストデビル・ベアという熊型。大きく口を開けたあのモンスターの吐き出す息を顔に感じた時は、もう駄目だと思った。
できれば苦しまずに天に召せられますようにと、目を閉じた状態で祈っていたら……。
突然、ドスッ、ドスッって音が聞こえた。ドサッ、ドサッと重いものが倒れる音も聞こえてきたのだ。心臓をバクバクさせ、長い活動停止時間の後、目を開けると……。私を取り囲んでいたモンスター五体は、全部倒されていた。
あれは師匠が遠隔魔法で倒してくれたのか。それとも通りすがりの魔王討伐パーティが助けてくれたのか。ともかく九死に一生を得た瞬間だったと思う。
とまあ長すぎる活動停止時間をようやく終えると、再び「ピチィーック、ピチィーック」の声。先程と同じ紫の鳥を、部屋に招きいれる。
「活動停止明けかな? 歯がゆい時間だっただろう。だが安心するといい。愛弟子のメッセージはすっかり受け取ったからな。覚醒前の聖皇は助ける。了解したよ。愛弟子のカバー範囲に入っていたが、活動停止時間を踏まえ、動いたわけだが……。驚いた。聖皇は剣も弓も扱えたぞ。馬車を止めさせ、自ら弓をひいて、暗殺者を数名、撃退していた。馬車まで迫った暗殺者を、扉を蹴って吹き飛ばし、その上で剣によりとどめをさしていた。どうやら守られるだけの聖皇様ではないようだ。まあ、これなら生きて王都にはつけるだろう」
この師匠のメッセージに、もうビックリだ。傷を癒し、治癒するのが専門だと思ったのに。剣も弓も扱えるなら、おそらく槍もいけるはずだ。ライトが騎士を目指すと知り、オルゼアも武術を習ったのかしら? 習ったのよね、きっと。
◇
「到着が予定していたより、三十分ほど遅くなってしまいました。大変申し訳ありません」
深々と頭を下げ、顔をあげた聖皇を見た瞬間。
心臓がドクンと反応していた。
これには「えっ」と声が出そうになっている。
このドクンって何なのよ!
屋敷のエントランスにやって来たオルゼアは、師匠が言った通り、自身も戦闘に参加したからだろう。アイスブルーのサラサラした髪が少しだけ乱れていた。透明感のある白い肌も、頬や首元がほんのりと淡いローズ色になっている。羽織っている私とお揃いのホワイトシルバーのローブの裾や袖も、ほんの少しだけ、汚れていた。
その姿はなんというか、男性フェロモンを感じさせる。ワイルドであり、得も言われぬ色気があった。
戦闘直後の剣闘士に、昔の貴婦人は胸を高鳴らせたというが、それはこういうことなのかしら?
ともかく何度か咳ばらいをして、このドクンと反応する心臓を宥めようとしているうちに、オルゼアと両親や兄との挨拶も終わり、馬車に乗り込むことになった。
我が家が用意した馬車には、メイドや従者が乗り込み、私自身はオルゼアと同じ馬車に乗ることになっていた。
「ではレミントン公爵令嬢、出発しましょうか」
「は、はいっ」
墓地で一度エスコートされている。あの時と同じように、オルゼアの手に自分の手をのせただけなのに。今度は頬が熱くなり、心臓がドキドキと落ち着かない。
こ、これはどういうことなの!?
「どうぞ、奥へ」
「……は、はい、どうも……いえ、ありがとうございます」
しどろもどろになりながら、馬車に乗り込んだ。
四人乗りの馬車にオルゼアと二人なので、空間としては余裕があるはずだった。それなのになんだかとても狭く感じる。しかもオルゼアが正面に座るので、どうしたって顔を合わすことになった。
明らかに緊張している自分にとまどう。
これは……間違いない。
師匠のせいだ!
脳裏の中で、師匠から聞いてしまった言葉を何度も思い出してしまう。
――「どうやら俺が変身したその女性は、魔王ルーファス様の好みのど真ん中だったらしい」
――「結ばれることができるなら、魔王をやめ、ただの人間になることを厭わないと言った。共にノースマウンテンの噴火口に行き、マグマの中へ飛び込もうとさえ言い出した。つまり一緒に転生し、同じ人間として結ばれようと、ルーファスは提案したのだよ」
あの魔王ルーファスは、なぜか初対面の私の容姿が、とてつもないほどタイプだったらしい。心中しても構わない程。魔王であることをやめていいと思う程。
そんな熱烈に好意を示された経験なんて、なかった。そもそも恋愛経験などないまま、魔王ルーファスに道連れにされ、前世を終え、転生しているのだ。クレアは婚約しているが、セルとは何もなかった。
これまでオルゼアのことは、魔王ルーファスの生まれ変わり!としてしか、見てこなかった。それ以上でもそれ以下でもない。それなのに師匠の話を聞いてしまったので、変に意識するようになってしまった。
つまりはオルゼアのことを男性として、異性として、見るようになってしまったのだろう。ゆえに今、この馬車の中で「魔王ルーファスの生まれ変わりと二人きり! 恐ろしい! 何をされるか分からない!」ではなく、「男性と、異性と二人きり。しかもこの男、前世では私を熱烈に大好きだったらしい!」と考えてしまうのだ。
「レミントン公爵令嬢」
オルゼアに名前を呼ばれただけで「はいっ」と裏返った声で返事をして、さらに背筋が無駄に伸びてしまった。もう明らかに挙動不審になっている。
これを見たオルゼアは、その銀色の瞳を心配そうに曇らせた。その憂いを帯びた表情もまた、なんとも美しいというか……。
「もしやレミントン公爵令嬢は、馬車が苦手ですか? 馬車は揺れもありますし、酔ってしまう令嬢もいるとお聞きしています。もし具合が悪いようでしたら、わたしの神聖力で気分をスッキリさせることができますので、遠慮なくお知らせください」
思いがけない提案だった。
普段から乗馬もしない深窓の令嬢は、確かに繊細で、馬車で酔うこともあるかもしれない。だがクレアは大人しそうだが、乗馬は得意だった、ゆえに馬車の揺れなど、問題ない。
だが、もし神聖力により、この妙にオルゼアを意識する状態から、きれいさっぱり脱却できるなら……!
「そ、そうですね。長距離の馬車での移動は慣れていませんので、酔うというより、緊張しているのかもしれません。そのような場合でも、聖皇様の神聖力は、効果があるのでしょうか」
「ええ、緊張や不安にも効きますよ。気持ちが穏やかになり、心が安定すると思います」
さすが神聖力! 魔王ルーファスから心の安定を約束されるなんて!
「ではぜひ、神聖力を使っていただいてもいいですか。聖皇様の神聖力を必要としている方は沢山いるのに。私の馬車の緊張ごときに使わせるのは、大変恐縮なのですが……」
オルゼアの銀色の瞳がじっと私を見ている。
え、何か変なことを言いましたか……?
背中に汗が伝う。
「レミントン公爵令嬢は……公爵令嬢なのに、とても謙虚な方なのですね」
「え……」
「貴族の方というのは、何かされることが当然という態度の方が多いのですが……。レミントン公爵令嬢のように謙虚に頼まれると、わたしのできる全身全霊で応えたいと思ってしまいます」
そう答えたオルゼアの頬が、ほんのりと淡いピンク色に染まる。
え……、何ですか、それは!
そんな風に頬を染められては……。
私の方まで、真っ赤になってしまうではないですか!
「今、馬車を止めさせ、席を隣に移りますから、お待ちくださいね」
オルゼアが、微笑の聖皇となる。
改めて見ると、この微笑、癒される……。
思わずその顔に見惚れていると、馬車がゆっくり止まり、オルゼアが私の隣に腰を下ろした。
心臓がドクンと大きく脈打つ。
すぐ隣にオルゼアが座ることで、一気に距離が近くなった。それは、彼のあの甘い香りを感じられるぐらいの距離だ。しかも馬車が動き出すと、揺れにあわせ、彼の体が私に触れる。
彼の体が私の体に触れた瞬間。もう、心臓が爆発しそうになった。
「レミントン公爵令嬢」「ひいっ~」
想像以上にオルゼアの声が近くて、へんてこりんな声を出してしまう。
「どうされましたか!?」と顔を覗き込まれると、今度は彼の顔の近さに、卒倒しそうになる。
だ、ダメだ。明らかに私、おかしい! もう早く、神聖力でなんとかしてもらわないと!
そう思ったまさにその瞬間。