1:え、私がそんなことを!?
稀代の悪女とはなんのことかしら?
私の名はクレア・ロゼ・レミントン。
レミントン公爵家の長女で現在、二十歳で……。
そこで頭痛がする。
痛みが治まるのを待ち、顔を上げようとしたが。全身が疲れ切り、少しでも体を動かすことを億劫に感じていた。私に水をかけ、「悪女」と呼んだ男とは、別の男の声が聞こえる。何か会話しているようだけど、全く頭に入ってこない。代わりに自分の状況を、ぼんやりと確認することにする。薄汚れたグレーのワンピース一枚を着て、左右の手は腕を上げた状態。しかも壁に留められた手枷で、それぞれの手首を拘束されていた。
どう考えても普通の状況ではないことに、恐怖を覚える。
「キャッ!」
短く叫び、足を動かし、寄って来たネズミを避けた。「チュウ、チュウ」と鳴きながら、二匹のネズミが視界から消えていく。薄暗く、じめじめとし、ネズミがいるこの空間は……。
牢獄。
窓はあるの? もし窓があるなら、陽がさしていないので、既に夕方か夜。窓がなければここは、地下牢だわ……。
複数人の足音と話し声が聞こえ、すぐ近くでそれが止む。カチャカチャという金属音がして、キィィと軋む音がした。再び靴音が聞こえ、落ち着きのある少し高音の男性の声が、私に告げた。
「クレア・ロゼ・レミントン。あなたはロット伯爵の次男セルの婚約者であるにも関わらず、自身の屋敷にいる下男と不埒な関係を持たれました。かつセル殿が、ココ男爵令嬢と仲良くされることに嫉妬し、数々の嫌がらせを彼女に対してされましたよね。セル殿の二十一歳を祝う誕生舞踏会に参加されたココ男爵令嬢に対し、毒入りワインを飲ませました」
え、私がそんなことを!?
驚き、顔を上げようとするが、頭がズキズキし、動かすことができない。ここは牢獄。ならば看守にでも、頭をぶたれたのかしら? 水をかけられているぐらいだから、暴力を受けている可能性だってある。
頭痛に苦しむ私の状況に関係なく、男性は淡々と話し続けている。
「ココ男爵令嬢は一命をとりとめましたが、同じ毒入りワインを飲んだ、ココ男爵令嬢の姉・ヒナ令嬢は、お亡くなりになったのです。ヒナ令嬢はかつてあなたのレディースメイドをされていましたよね。行儀見習いの一環で、公爵令嬢であるあなたに仕えていた。そんな相手にまで毒を盛るなんて、なんてあなたはヒドイことをされたのですか」
「えっ!」
驚きで、思わず大声をあげていた。
なぜなら大好きだったメイドのヒナが毒を盛られ、亡くなったと言われたのだから。しかもその犯人が私……!? そんなわけがないわ。私がそんな恐ろしいことをするわけがないのに!
頭は割れそうな程痛むけれど、構わず顔を上げ、そして自分の目の前にいる男性の顔を見て、息を呑む。シルクのような長いアイスブルーの髪。銀色の珍しい瞳。長身の体を包む銀色のローブ。首から下げている白のショールにあしらわれている刺繍の紋様は……聖皇庁のもの。
この男性の顔は……。
知っている。でも私の知る人物とは、髪と瞳の色が違う……と思う。でもそれは誰なのかしら?
そこでドクンと心臓が大きく脈打ち、脳が割れそうになる。息遣いが荒くなり、全身に震えも走っている。何かが自分に起きていると分かるが、何が起きているのか分からない。でも間違いない。きっかけは、目の前にいた美しい男性だ。あの顔を見て、知っていると思い、それが誰であるか思い出そうした瞬間に、体に異変が起きた。
「うっ……」
思わず呻き声が漏れてしまった。
沢山の映像が脳裏で展開され、意識を保つのは、もはや不可能な状態。それでも容赦なく見せられる映像に、私は……。
「具合が悪いようです。一旦、横にしましょう。手枷の鍵はありますか?」
私に罪を問うた男性が、異変をすぐに察知した。
男性達が騒然としているが、今は自分のことで精いっぱいだ。苦しい呼吸を繰り返しながら、この事態をなんとか理解しようと試みる。
さっき夢でも見た通り、自分のレディースメイドだったヒナのことを、クレアは大好きだった。そのヒナに毒を盛るなんてことはしない。下男と不埒な関係!? 厩舎の世話係としてやってきたクレアより年下だったジョニー。彼は両親を馬車の事故で亡くした、没落貴族の令息だった。優しいクレアの両親が、孤児院から引き取り下男にした。
兄はいるが、弟が欲しかったクレアは、ジョニーが弟のように思えたのだ。親切心で彼にお菓子をたまにあげていただけなのに! 両親や兄はそんな関係ではないと否定してくれたが、身内が庇ったところで信じてもらえない。
これはすべて仕組まれたことだ。
ヒナは結婚適齢期となり、行儀見習いを終え、クレアのレディースメイドを辞めていた。その後、結婚し、子宝にも恵まれている。ヒナは幸せを掴むことができたが、それは平坦な道のりではなかった。
ヒナは妹のココとは、腹違いであり、年が離れた姉妹。ココの母親は後妻だった。継母と妹のココからは、かなり嫌がらせを受けていたと、本人から聞いたことがある。屋敷にいるのが辛くなり、行儀見習いを兼ね、ヒナはクレアのレディースメイドになったのだ。
自身の屋敷を飛び出し、クレアのレディースメイドになってから、ヒナの運命は上向く。愛する人と結ばれ、子供もできた。でもそれはココや継母からすると、気に喰わないものだったのだろう。何より、ヒナの結婚相手は、我が家に仕えていた騎士なのだから。
そんな折、クレアの婚約者であるセルとココは偶然、舞踏会で出会うことになる。ヒナからココのことを聞いていたので、セルにあまりココに深入りしない方がいいと、遠慮がちに伝えたところ……。それは逆効果だった。
ココは外面がとても良かった。セルにもか弱く愛らしい男爵令嬢の姿を見せた。クレアから聞いたココと、実際のココは、全然違う。なんていい子なのだろうと、セルはすっかりココに騙され、彼女に入れ込み……。クレアとの婚約解消を、画策していたのだ。
爵位としては、クレアの家が格上。セルから婚約解消は言い出しにくい。とはいえ、クレアから婚約解消を申し出るにも、理由が必要。ココとの浮気を指摘したい気もしたが、それは結婚して家を離れたとはいえ、ヒナにも影響が出る。悪い噂に巻き込まれることになってしまう。
どうすればいいかと思案していると、ココはなかなか婚約解消しないクレアに、業を煮やしたようだ。多分、セルの誕生舞踏会には、自身が新しい彼の婚約者として、紹介されたいと思っていたのだろう。それが叶わず、非情な手段に出た……。
下男とクレアのあらぬ関係を周囲に吹聴し、さらにセルの誕生舞踏会で、自ら毒ワインを飲んで、それをクレアの罪として断罪した。しかも自身は死なない程度に毒入りワインを飲み、でも目の敵にしていたヒナには、致死量の毒を入れたワインを飲ませたに違いない。
ただ、いくらそう推理したところで、証拠がなかった。ココとセルがやったという証拠がない。逆にクレアの部屋からは、次々と証拠が発見される。それはセルがクレアの部屋に忍び込み、隠し置いたと思うが、後の祭り。しかもヒナが亡くなっていることから、クレアに下された刑は……毒を盛る稀代な悪女にふさわしく、かつ下男との不埒な関係はまるで魔女の所業ということで、火あぶりだった。
冗談ではない。
私は今、ハッキリ覚醒した。つまり、前世の記憶を取り戻したのだ。繰り返し夢を見ていたと思ったが、それは前世の記憶。前世の私の名前はミレア・マヴィリス。天才魔法使いと言われ、あの魔王ルーファスを倒し、そして共に命を落とすことになった悲劇のミレアだ。ルーファスを倒し、そのまま生きていれば、英雄の一人になれたのに。最後の最後で巻き添えを食ってしまった。
英雄になりそこねたが、神はそれを哀れと思ったのか。転生していた。でも覚醒するのが遅かった。しっかりと、最初から自分が天才魔法使いミレア・マヴィリスの生まれ代わりと自覚していれば、こんな事態にはならなかったはず!
私が転生したクレア・ロゼ・レミントンは、典型的な公爵令嬢だった。優しい両親と兄と暮らし、言ってみれば平和ボケして成長してしまう。だからこそココやセルがいろいろと画策しても、対策を何もしなかった。とっと婚約破棄してしまえばいいのに、いろいろと考え、踏み切ることができなかったのだ。
もっと早くに私が覚醒していたら、こうはならなかったのに。
でも大丈夫。ここからリベンジする!