15:当然ですよね(怒)
「ようやく落ち着いたかな、ミレア・マヴィリス?」
ギロッと睨むと、師匠はひきつった笑いを浮かべながら、空のカップにリンゴの紅茶を満たす。そのフレッシュな果実の香りに、少し気持ちが落ち着く。
「ともかく俺はまずいことになったと思ったが、でもこれはチャンスでもあった。だが真相を話したところで、愛弟子は激怒し、それこそとんずらされる気がした」
「当然ですよね(怒)」
「そこで魔王ルーファスには、こう話すことになった」
師匠が魔王ルーファスに語ったこと、それは……。
実は自分はこう見えて、魔法使いであると、まずは打ち明けた。とある魔王討伐のパーティの一員なのだと。一緒に噴火口に飛び込み、転生することはやぶさかではない。でも魔王と恋に落ちたとバレることは、避けたいと思っている。それは自分が魔王討伐パーティのメンバーの一人であり、名誉のためだ。よって噴火口まで、魔王討伐パーティのみんなと追い詰める。そこで不慮の事故を装い、一緒に噴火口へ落ちましょうと。そして二人で人間として転生し、結ばれましょう……と提案したというのだ。
「この提案に快諾だった。魔王ルーファスは」
「あの日、魔王ルーファスが敵前逃亡したのは、それが理由だったのですね……」
「そうだな。真に迫った演技をするから、そちらも遠慮なく魔王ルーファスとして振る舞って欲しいとお願いした。だからきっと、道連れとしか思えなかったのだろう。でも愛弟子と共に噴火口に落ちるその瞬間には『愛している』とぐらい」「師匠!」
一喝すると、師匠は捨てられた子犬のように、シュンとしてうなだれる。
「窒息死するか、燃える大地の炎で焼き尽くされるのか。そんな状況だったのです! 魔王ルーファスが何を言おうが、聞こえませんでしたよ!」
「そうだったのか。……予知はしたが、噴火口に落ちるその詳細までは、感知していない。窒息死……つまり熱さで呼吸もままならない状態だったのか?」
「違いますよ! 魔王ルーファスはまず、ノクスを道連れにしようとしたのです!」
私がそう言うと、師匠はキョトンととぼけた顔になる。その顔を見ると、なんだかカッカッするのが馬鹿らしくなり、肩から力が抜ける。
「ノクスを!? ノクスは勇者だろう? しかも男性だろう? なんで?」
「知りませんよ、そんなこと! ともかくノクスは、魔王ルーファスの黒い鞭で足を取られ、噴火口から落下寸前でした。私が両手の握力を強化する魔法をかけ、なんとか手だけが、噴火口から見える状態で」
「なるほど。では愛弟子は、ノクスを助けようと、噴火口をのぞきこんだのだな。そこで魔王ルーファスは、鞭を愛弟子へ向けた。黒い鞭は愛弟子のその細い首に絡み、そのまま引き寄せられたと……」
私はこくりと頷く。師匠は無言となり、自身の手で口を押えた。
「……本当に、申し訳ないことをした。この責任をとるために、俺はここにいる。ミレア・マヴィリス、俺と結婚しよう」
「はあああああ、どうしてそうなるのですか!?」
「忘れたか、愛弟子よ! 魔王ルーファスは、人間に転生し、そこで愛する人と結ばれるつもりだ。そのためにあの噴火口で絶命することを、良しとしたのだ。愛弟子は既に前世の記憶を取り戻している。ルーファスだって、いつ記憶を取り戻すか分からないぞ」
師匠の指摘には反論できない。オルゼアが、魔王ルーファスの記憶を取り戻してしまったら……。
「覚醒すれば奴は間違いなく、ミレア・マヴィリスに求婚する! もう既に知り合っているし、顔バレもしているのだ。逃げ隠れなんてできるはずがない。しかもルーファスはなんの因果か、この国でとんでもなく影響力を持つ聖皇に転生している。魔王ではなく、聖皇だ。悪者ではなく、ヒーローだ! 聖皇が愛弟子との結婚をのぞめば、全力で皆が応援するだろう。それに愛弟子だって断れないはずだ。だったらプロポーズされる前に、俺と結婚してしまうしかないだろう」
悔しいが、いちいち師匠の言う通りだった。既に国王陛下はオルゼアの結婚に前のめりだ。ここでオルゼアが私を指名すれば、国王陛下は喜んで父親に命じるだろう。「光栄に思うといい。お前の娘は聖皇妃に選ばれた。今すぐ、婚約の手続きを進めろ!」と。
父親は父親で、私が聖皇妃になればいい、なんて言っていたぐらいだ。国王陛下に命じられたら、喜んで私を差し出すだろう。
え、そうならないように、私は師匠と結婚するしかないの……?
とんでもない話を師匠から聞かされ、自分は魔王ルーファス……聖皇オルゼアとの結婚を回避するには、師匠と結婚するしかない――と一瞬考えてしまったが。
「いえ、師匠と結婚する必要はありません」
「独身でいたら、迫られるぞ」
「魔法が使えるようになれば、いかようにもできますよね? 責任をとるというのなら。師匠、その天下無双の魔法で、私が聖皇に転生した魔王ルーファスの嫁にならないで済むよう、助けてください。そうすれば師匠と結婚する必要はないでしょう」
師匠は不服そうな顔をするが、なぜそこで不服そうにするのか、理解できない。
「まあ、そんなことを言うと思ったよ、ミレア・マヴィリス」
「ベストは、聖皇が魔王ルーファスの記憶を取り戻さないことです。それは魔法でどうにかできないのですか?」
「一つ教えておこう、愛弟子よ」
師匠が濃い紫の髪をかきあげた。妙にその仕草が色っぽくて、さっき魔王と同じぐらい女性の知り合いなんていないと言っていたが、きっとそれは嘘だろうと思えてしまう。
「神聖力と魔法は、相性が悪い」
「えっ」
「神聖力の基本は、浄化だ。清める力。魔法をかけても、清められる……というか薄められてしまう。聖官クラスなら、まだなんとかなるかもしれない。だが聖皇は、そうはいかない。しかも魔王ルーファスが転生したからか、聖皇オルゼアの神聖力は、これまでで一番の強さだ。魔法は……無効かもしれない」
これはなんとも最悪な情報を聞いてしまったと思う。忘却魔法、魅力低減魔法、気配隠ぺい魔法など、オルゼアに対し、いくつか使う魔法を思いついていた。でもそれはすべて無駄ということだ。
そうなると……。
「では大魔法使いである師匠も、この世界ではただの役立たずですね。私もですが」
「随分辛口だが、そうとも言える。ただ神聖力を持たない人間には、変わらず俺たちの魔法は有効。だから一概に役に立たないとは、言い切れない。役立つ場面もある」
「なるほど。神聖力を使える人間よりも、そうではない人間がまだ圧倒的。ではまだまだ私達の存在意義は、ありそうですね」
すっと手を伸ばした師匠の手が、私の頭にのせられた。そして子供の頃からしているように、くしゅと髪に指をくるませ、優しく撫でる。
「ミレア・マヴィリス。本当にすまないことをしたと思っている。俺の千里眼で、お前が幸せになれる未来を、見通すこともできるだろう。そしてその世界へお前を送ることが、俺にはできる。いざとなったら魔王ルーファスが転生できない世界へ、お前を」「師匠」
師匠の手を両手で掴み、ゆっくり頭から下ろす。
「千里眼の力は便利ですが、やみくもに使っていいものではないですよね? 魔法石に頼らない力は、体に与える負担が大きい。魔眼を行使すれば、反動があるように。千里眼を使えば、反動があるはずです。師匠はカモフラージュするのがうまいから、その反動をうまく隠してしまうのでしょうが」
師匠はそういう魔法使いだった。いつも軽いノリで、なんだかんだで私にも甘く。どんなに自身が辛くても、それを表に見せない。ノクス達の魔王討伐パーティに協力するようになったのも、頼まれて断り切れなかったからだ。
本当は森の中でひっそり、私と暮らしていければ、それで幸せだと思っていた、引きこもり魔法使いのくせに。
「……無理はしないでください、師匠。それに既に三百年分の寿命を、差し出しているのです。いくら師匠がエルフの血を引こうと、これ以上制約の魔法で、命をすり減らすようなことは、させられません」
「おいおい、愛弟子よ。俺をなめてもらうと困るぞ。何せエルフは三千年近く生きるのだからな。その血を継いでいるのだから」