14:「ぶっ」
師匠の手で口に放り込まれたチョコレート。
噛んだ瞬間、ラズベリーの酸味のあるジュレが、口の中に広がる。甘い、甘いチョコレートとこの酸味が混ざり合うのが、たまらない。
「俺は魔王の弱点を探るため、女性の姿に魔法で変身し、奴に近づいた」
「はあああああ! 魔王に色仕掛けで近づいたのですか!?」
「そうだ。これは実にうまくいった。どうやら俺が変身したその女性は、魔王ルーファス様の好みのど真ん中だったらしい」
師匠が一体どんな女性に変身したか知らないが、ルーファスは見るからに野獣だった。うまくいったということは、そういう関係を持ったということよね!?
「驚いたが、ルーファスは童貞だった」「ぶっ」
「ミレア・マヴィリス。君は今、公爵家の令嬢じゃなかったか? 俺のこの美しい顔に紅茶を吹きかけるとは、礼儀がなっとらんな」
「し、失礼しました!」
慌てて師匠の顔をハンカチで拭こうとするが、そこはさすが大魔法使い。瞬時に清めてしまった。さらに空になった私のカップには、リンゴの紅茶で満たされている。
「つまり師匠は、ルーファスとそういう行為をすることで、彼が……ど、ど、童貞であることが、分かったわけですね」
「いや、違うぞ、愛弟子。奴は童貞で、信じられないぐらい女性に対して奥手で、俺に手を出すことができなかった。キスの一つもできん! きちんと人間として生まれ変わり、それから人間である俺と結ばれたいと言ってな」
「ぶっ」
しまった!と思ったが、もう遅い。でもこれは師匠が悪いと思います!
「ミレア・マヴィリス。二度も紅茶を吹き出すとは。俺が話している最中に、紅茶は飲まない方がいいだろうな」
「申し訳ありません……」と私がうなだれている間に魔法を使い、再び顔を濡らした紅茶を清めた師匠は……。リンゴ飴を用意し、私に齧らせた。リンゴ飴も、私の大好物だった。
「要するに魔王ルーファスは、女性に変身した俺と初恋に落ちた。そして『コランダムの心臓』のことも、打ち明けてくれたわけだ。どんな武器も通さない硬く、鋼のような心臓。この心臓がある限り、ルーファスはそのすべてのスキルを引き継ぎ、転生を繰り返すことができた。つまり魔王として何度も転生すると」
これは既に私の知ることだったので、師匠の言葉を引き取り、私が続けた。
「壊れない『コランダムの心臓』ではあるものの、ノースマウンテンのマグマであれば、溶かすことができると」
「その通りだ、愛弟子。ルーファスは女性に変身した俺と結ばれることができるなら、魔王をやめ、ただの人間になることを厭わないと言った。共にノースマウンテンの噴火口に行き、マグマの中へ飛び込もうとさえ言い出した。つまり一緒に転生し、同じ人間として結ばれようと、ルーファスは提案したのだよ」
「! どうして師匠、そこで魔王ルーファスと共に噴火口へダイブし、心中してくれなかったのですか!?」
師匠だったらマグマに着地する寸前に、自分だけ転移魔法で逃げることだって、できたはずだ。つまりはポーズで一緒に飛び込み、あとは魔法を使い、それこそルーファスからとんずらすればよかったのでは!? そうすれば私が、道連れになる必要はなかったのに!
「ミレア・マヴィリス。最愛の弟子よ。俺が魔王ルーファスと心中すればよかったと、本気で思っているのか?」
「はい! だってそうしてくれれば、私は道連れにならずに済みましたから!」
至極当然な指摘に、師匠はまたも口をへの字にして答える。
「気持ちは分かる、愛弟子よ。だがな、本物の女性じゃないとダメなんだ」「はい!?」
師匠の魔法のレベルは、完璧だと思う。頭の天辺から足の指の爪まで、寸分の狂いなく、女性に変身できていたはずだ。それとも見た目だけではなく、心も男性ではなく、女性でなければダメだった、ということなのかしら!?
「ルーファスが言うに『コランダムの心臓』は、元々魔王が持つスキルではなかったらしい。詳しいことはその『コランダムの心臓』に関わる制約があるようで、話せないということだった。それは嘘ではないと思う。何せ奴は女性に変身した俺に、ゾッコンだったからな」
ゾッコンだったからいろいろ話したわけね。
それにしても。
魔王ルーファスが、魔王として転生するのを止めるには、物理的に『コランダムの心臓』が溶けて失われる必要があった。ただ「消失時に条件がある」と師匠は言う。それは女性と共に『コランダムの心臓』が溶ける必要があるというのだ。その女性って……。
「魔王ルーファスの言う“女性”というのが、魂のレベルでも“女性”である必要があるのか、そこまでは分からなかった。だからと言って『見た目は完璧な女性だ! ええい、ままよ』で飛び降りていい案件ではない」
つまり、もし噴火口に師匠が魔王ルーファスと共に飛び込み、そこで女性として認定されなかったら……。ルーファスは再び、魔王として転生してしまう。そして勿論、記憶はバッチリ残る。そこで気づくはずだ。あの時、噴火口に一緒に飛び込んだのは、女性ではなかったのか、と。
騙されたと気づいた魔王ルーファスが、何をするかは……想像がつかない。
ただ、これだけは想像できた。二度とルーファスは、噴火口には近づかないだろう。飛び込もうなんて、二度と考えないだろう。どんな女性が彼に近づこうと、もう信用しない……。
「つまり失敗するわけにはいかなかった。だから自身はとんずらし、私に魔王ルーファスとの心中を押し付けたのですか!?」
「愛弟子よ、ことはそんなに簡単ではなかった」
「……?」
そこで師匠はなぜかニッコリと微笑み、私を見た。
「俺が魔法で女性に変身するなら、どんな女性に変身すると思う? 愛弟子よ」
「それは……もうとんでもなく派手でセクシーな女性ではないのですか? 胸もこう大きく、お尻はキュッとして、でもウエストはぐっと細く。唇も厚く、ほくろなんかもあったりして。魔王ルーファスもイチコロでしょう」
「そうだな。俺も最初はそうしようかとも考えた。何せ相手は魔王ルーファスだからな。だがそんな女性に言い寄られることは、慣れているかもしれないと考えた。そこでその真逆で、ルーファスのハートを狙うことにしたのだよ」
真逆。体型はそこそこな素朴な女性ということかしら? でもそれで魔王ルーファスは見事引っかかったわけだ。好みのど真ん中だったと。ルーファスが魔王であることをやめていいと決意するぐらい。人間に生まれ変わり、人間として愛し合いたいと思うぐらい。
「それは師匠の作戦勝ちですね」
「そうだな。まさかそこまで魔王ルーファスの心を捉えるとは、思わなかったのだよ、ミレア・マヴィリスが」
うん? 今、何か最後に余計な一言がありませんでしたか?
「本当に驚きだった。まさか魔王ルーファスの好みが、我が愛弟子だったとはな」
え……。
師匠のオッドアイの瞳をじっと見る。
「だから、絶対にそうなるなんて、思っていなかったのだよ。こう見えて俺だって、魔王ルーファスと同じく、女性の知り合いなんて、いないも等しいからな。いざ女性に変身する時、どうしたらいいか分からなかったのだよ。それで身近な女性を参考にしたら……」
「し、師匠!」
「ど、どうした、ミレア・マヴィリス」
椅子から立ち上がった私は、両手をレジカウンターにバンとついた。
「ま、まさか、師匠は、女性に魔法で変身した時、私の姿になったわけでありませんよね!?」
「いやあ、そのまさかなのだよ、あはははっはぁ、うぐっ!」
「何てことしてくれたのですかー!?」
師匠の胸倉を掴み上げ、もうその後しばらくは、怒りが爆発! 信じられない気持ちで、いっぱいだった。どうしてよりにもよって、私なのか! 知り合いに女性がいないって……。
「泣かした女性は百人……これは見栄でついた嘘なのですか! 本当にどうして、なんてことをしてくれたのですか!」
「お、落ち着くのだ、まずは手を、手を離すのだ、愛弟子よ……!」
しばらくは文句を師匠に言い続けたものの。それにも疲れ、私は椅子にへたり込んだ。