12:聞きたいことが沢山
このワイルドな師匠からは、その風貌に相応しい、甘酸っぱいパッションフルーツの良い香りがする。とても魅惑的な香りだ。そのおかげで百人の女の心を溶かし、そして泣かせたというが……。
だからといって断腸の思い? なるわけがない!
「師匠の胸に抱かれて喜ぶ弟子なんていませんから! それよりもその理由とやらを、話していただこうじゃないですか!」
そう私が返事をすると、師匠は懲りずにこんなことを言う。
「うん? 遠慮する必要はないのだぞ、愛弟子。本当はお前も……! ミレア・マヴィリス、なんて場所を蹴るのだ!? 俺はお前をそんな破廉恥な弟子に育てた覚えはないぞ!」
さすがだわ。咄嗟の物理攻撃なのに。あんな場所にも防御魔法を張っているなんて。……あっ、そういうことね。過去に泣かせた女の誰かに、既にあの場所を攻撃された経験があるのね。
防御魔法で守られているから、痛みなんてないだろうに。でも蹴られたことを想像したのか、師匠は口をへの字にして、私を解放した。
「話は長くなるからな。お前を待つ志の高い騎士様には、しばし夢を見てもらおうか」
そう言った師匠は、いとも簡単に複数の魔法を、複数人に対し、同時に行使している。しかも離れた場所の、見えない場所にいる聖騎士達に。
これぞ大魔法使いだわ。こんなことできるのは、師匠しかない。透過魔法、遠隔操作魔法、幻覚魔法……一体、いくつの魔法を同時で使っているのやら。
魔眼と予知が可能な千里眼を持つ師匠は、「スキル」に恵まれ、かつ代々が魔法使いの一族に生まれ「資質」まで併せ持った、まさに天下無双の魔法使いだった。
「こんな魔法の使い方ができるなら、とんずらせず、師匠が対処すればよかったんですよ。師匠なら道連れにならず、魔王だけおさらばで、済んだのに」
「ははは、それは無理な話だったのよ、ミレア・マヴィリス。何せ、俺は男だったからな」
「はい!?」
師匠が私の両肩に手を、トンと軽く置いた。軽く、置いた――だけなのに、私はストンといつの間にか用意されている椅子に、腰かけることになった。間違いなく魔法を使っている。
どうやっているのかは、同じ魔眼持ちでも分からない。でも師匠は魔眼を行使した後に反動を受けず、自由に動くことができる。それどころか魔眼使用直後に、すぐ別の魔法を使っていた。
師匠の弟子として一緒に暮らしていたのだ。こんなことは日常茶飯事だった。でも目の当たりにするのは久々だったので、慣れているとはいえ、やはり驚いてしまう。
私が座る椅子は勿論、レジカウンターに、紅茶とチョコレートまで魔法で用意している。私を座らせるためだけに、重力反転魔法まで使った。しかも私と会わない三百年の間に、新たなスキルを身につけたとしか思えない。なぜなら魔法の詠唱は小声でしている。でも杖(魔法石)なしで、魔法を行使したのだから。いくら魔眼持ちでも、ここまで連続で強力な魔法は使えないと思う。これは絶対、何か秘密がある。
師匠には聞きたいことが沢山あるわね。
とりあえず気持ちを落ち着かせるため、出された紅茶を口に運ぶ。
……!
この香り、この味は……。
私が「ブラックティーは飽きました。リンゴタルトにあう、リンゴの紅茶でも飲みたいのですが、師匠」と我がままを言ったことがある。すると師匠は「食べ物と魔法は、相性が悪いんだ」とブツブツ文句を言っていた。「そんなこと言って、用意してくれないのか、ケチ」と当時まだ八歳の私は、心の中で思っていたが……。
天下無双の魔法使いが、三日三晩かけ作り上げた紅茶が、今飲んでいる紅茶だ。
フレッシュなリンゴの香り。紅茶の渋みはなく、果実を感じさせるリンゴの味が、紅茶で見事に再現されている。
魔法を教える時はスパルタ。女泣かせで、魔王を押し付けるような人でなしなのに。
なぜか私の小さな願いにいちいち気づき、気の利く妖精のように叶えてくれたのは――師匠だった。あかぎれの手に効くハンドクリームを、いつの間にか用意してくれたり。履くとぽかぽかのムートンのブーツを作ってくれたり。
捨て子だった私を育ててくれた年齢不詳の師匠のことは、どうしたって憎むことができない。
「ミレア・マヴィリス。魔法使いと言えば杖――という時代はとうに終わった。もしこの店で、魔法石と一緒に杖も買い求めるつもりだったら……まさに時代錯誤のオールドミスだぞ」
前言撤回。なんて憎たらしい! クソ師匠!
魔法使いと言えば杖という時代は終わったと、師匠は偉そうにのたまった。
「な……、では何を使っていると言うのですか!」
「これだよ、ミレア・マヴィリス」
師匠がこれみよがしに自身の両手を見せる。
以前はつけていない指輪をいくつもつけていると思ったが、まさか……。
「この指輪の石が、魔法石ということですか!?」
「そうだ」
正直。
杖は邪魔だった。でも師匠のように剣や弓まで扱える魔法使いは少なかった。よって杖はいざという時の武器代わりの役目もある。でも魔法使いの本分は魔法を使うことなのだから……。この指輪が杖の代用というのは、ナイスアイデアだと思う。
「これは身軽になって都合がいいですね。杖を持っている=魔法使いとバレることもないですし」
「うん。愛弟子は変わらないな。その無知さにいつも癒される」
師匠は嬉しそうに頭を撫でているが、これは褒めているのではなく、けなしているのでは!?
「エルフもドワーフも、この三百年の間にうんと数が減ってしまった。彼らはこの世界を諦め、『約束された永遠の国』へと、次々と旅立っている。魔法使いには俺のような、代々が魔法使いという一族もいるが、ただの人間から魔法使いになるものもいる。よって昔から数は少ないものの、そのままギリギリ横ばいで推移しているが……。でもこうもエルフやドワーフが減ると、魔法使いもどうなることやら。魔法の杖が消えた理由も、それが原因だよ」
『約束された永遠の国』。
そこは人間が至ることはできない国だと言われている。行き方も、そこへ至ることが許された種族しか知らない。魔法使いは人間と見なされているため、そこへ行くことはできない。エルフやドワーフを始め、聖獣や精霊が至ることができる国だ。そして一度その国に渡れば、もう二度とこちらの世界に戻ることはできない。
エルフやドワーフがこの世界を諦める。その理由はなんとなく理解できた。
人間は他の種族に比べ、圧倒的に数が多い。エルフやドワーフのような特殊な力を持たないが、その数の多さが彼らを凌駕したのだろう。
魔王は滅び、魔物も失われ、敵もいなくなった。世の中は平和になり、人間はさらに数を増やした。エルフやドワーフが居場所のなさを感じ、生きづらいと思い、『約束された永遠の国』を求めたとしても、それは仕方のないことに思える。
何より、エルフやドワーフも長命ではあるが、その命は有限。エルフは千年から三千年。ドワーフは三百年から五百年と生きると言われている。寿命が近づくと、自ら『約束された永遠の国』に渡ると聞いていた。寿命を待たず、『約束された永遠の国』に彼らが向かったとしても、それは彼らの選択だ。止めることはできない。
魔法の杖ではなく、魔法の指輪が主流になったのは、てっきり、効率化した結果だと思った。でも違うのね……。
「魔法の杖に使われる木は、エルフの森で育った強靭な木ですよね。鉱石から魔法石を切り出し、加工するのはドワーフ。魔法石を守る純銀の装飾を作るのもドワーフ。その純銀に精霊の力を込めるのはエルフ。つまり魔法の杖を作るエルフとドワーフの数が減り、魔法の指輪にシフトしたということですか?」
「そういうことだよ、ミレア・マヴィリス」
師匠は自身が用意したリンゴの紅茶を口に運ぶ。そして魔法の指輪を作るのは、人間だと教えてくれた。つまり魔法石の元となる鉱石は、魔法使い自身が探し出し、それを人間の宝石職人に渡し、指輪に加工してもらうのだと言う。
今いるこのお店は、古いタイプ。魔法石の状態で店頭に並ぶのは、今となっては珍しいとのこと。指輪にまで加工された状態で並ぶのが、今は主流なのだ。なぜなら魔法の杖の時のように、魔法石を守るため、土台となる金属に、精霊の力を込めてくれるエルフが、もうほとんどいないからだ。
完成した魔法の指輪に、魔法石を守るための防御の力を込めるのは、購入した魔法使い自身だった。つまり使われている石が魔法石というだけで、後は宝石を使った指輪となんら変わらない。よって魔法石の状態で販売する必要もなくなった。
だがこのお店では、精霊の力を込めてくれるエルフの協力者がいた。よって魔法石の状態で、販売が可能だった。オーダーメイドで魔法の指輪を作り、土台の金属に精霊の力を込めることができるのだ。
既製品の指輪より値段は高いが、オーダーメイドでは魔法石の破損が圧倒的に少なく、魔法の発動もスムーズなのだという。
「ということで愛弟子との再会を祝し、魔法の指輪はこの俺が、プレゼントしよう。好きな魔法石を選ぶといい」
「え、それは無料で師匠が私にくれる、ということですか?」