ありがとう 18
「殺すぞアリガトー!」
我ながらシュールな恫喝をしたと同時に、僕は吐血した。
真っ赤な血が、フローリングに一面に広がる。
ヤバい。『ありがとう』が着実に僕を死に追いやっている。
「け、ケンイチ。だ、大丈夫? すごい血よ」
突然の出来事に、ルミが真っ青になってうろたえている。僕はフラフラと床に横たわった。
「心配するな、ルミ。これは、ナポリタンのケチャップだ」
「なにを馬鹿なこと言っているのよ。明らかに血じゃない。変ね。あなたの体、私が看病をはじめてからどんどん悪くなっているじゃないの」
ルミが僕を抱きかかえ、口元の血をティッシュで拭く。
「ただの風邪さ。風邪みたいなもんは、寝ていればいずれ治る」
「これ、絶対に風邪じゃないよ。ふつー風邪で血を吐く? ケンイチ、私、救急車を呼ぶね」
ルミが、慌ててスマホを取り出す。
「やめろ。僕を救助するのはやめてくれ」
僕は、ルミから逃げるように布団へと這って行く。
「この状況で何を言っているのよ。救急車を呼ばれるのがそんなに嫌なの? だったら私が病院に連れて行ってあげるわ」
「やめろ。これ以上僕を介抱しないでくれ。感謝してしまうじゃないか。それよりも、ルミ、お願いがあるんだ」
「なに、何でも言って」
布団に潜り込んだ僕はルミに言う。
「今から、ルミの足で、僕の顔面を踏んでくれ」
「いやよ!」
「だったらせめて、僕のことをバカだ、アホだ、さんざん罵ってくれ」
「なんでだよ!」
「僕は今、猛烈にルミに腹を立てたい。ルミを恨みたい。お願いだ。僕のことを心配してくれるなら、どうか感謝と対局の行為を、僕にしてちょうだい」
「……わかったゎ。釈然としないけど、とにかく今は緊急事態、あなたを罵るだけなら……」
意を決したルミは、僕のために「バーカ! アーホ!」と精一杯叫んだ。
「いいぞ、ルミ、その調子!」
「バーカ! アーホ! バーカ! アーホ! バーカ! アーホ! 」
自分の彼女にここまで言われるとは、なんたる屈辱。これぞ僕の望んだ感謝とは対極の行為。よし、今日のところは生き延びられそうだ。安堵した僕は、しみじみとルミにこう言った。
「ルミ~、ありがとな~」
……余命、あと82回。