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第四話 温かな雨がふる午後のまどろみの中で

 ベルワーナさんはメイトのことが好きだった。

 好きだったはずだ。

 なのに、ベルワーナさんはメイトに告白したルンタッタ祭の翌日、ターナさんの告白に応えて付き合うことになった。ターナさんは幼馴染であるベルワーナさんのことがずっと好きだったんだって。お似合いの二人だと町中から祝福されてる。

 ククは晴れてイアンと付き合うことになったみたい。くやしいけど、お似合いの二人だなって思った。

 ククに振られたあとぼくをなぐさめてくれたリパは、ルンタッタ祭のあとなにかと交流ができた。あまり本を読まないらしいリパが、なぜか真っ赤な顔をしながら「リオの好きな本をあたしに貸してよ。よ、汚したりなんかしないからさ!」と持ちかけてきたのだ。

 このルッタールンタには本仲間があんまりいないからぼくは嬉しくて、よろこんでリパに貸したら、リパはその倍くらいよろこんで本を借りていった。

 最初はぼくを気遣ってくれてるのかなと思って申し訳なくなったけど、次あったとき、リパは、あの本のあの場面がよかった、つづきが早く読みたくて夜更かししてしまったらお母さんに怒られた、ってそばかすの頬を上気させながらそれはもうとっても楽しげに話すものだから、ぼくも一緒に嬉しくなった。

「リオ、こんなに楽しい物語を知っているなんて、やっぱりあなたってとってもステキよ! あたしにもっと教えて!」

 吸い込まれそうなほど綺麗な青い空色がきらきらと輝いて、ぼくだけを見つめて笑った。とびきりの笑顔で。

「う、うん、よろこんで!」

 ぼくはいつの日かのベルワーナさんみたいに、おおげさに咳き込んでリパを心配させた。 ああ、顔が熱い。またなにかの病気にかかってしまったかもしれない。

 大事をとって休むことにすると、リパは心配しながら帰っていった。

 そばにきたメイトがぼくの額に手をあてる。

「お加減は悪くなさそうですが」

「そう? ならよかった」

「リパさんから、よければお見舞いに伺いたいとご伝言を預かっています」

「ほんとう? うれしいけど、リパには悪いことをしちゃったなぁ」

「悪いことをしてしまいましたか」

「うん」

 メイトが穏やかに微笑んだ。ぼくもとっても穏やかな気持ちだった。

「ねぇ、メイト」

「はい、リオさま」

 だからぼくは深く考えずにこんなことを聞いてしまったのかもしれない。

「あのお祭りの夜、ベルワーナさんはメイトに告白したんだよね?」

 メイトは少し間をあけてから「はい、リオさま」と頷いた。それからすぐに困ったように微笑んだ。

「誰にも言わないよう約束しました」

「うん、大丈夫。ぼくもそう約束した」

 言うと、メイトはほっとしたように肩を落とした。

「メイトはベルワーナさんのこと好きだった?」

「はい、私はベルワーナさんのことが好きでした」

 まるで反射で答えたように淀みなく紡がれる答えはあっさりとしたものだったけど、ぼくはあの夜のときとは違い、ただうんと頷いた。

「この町のみんなはメイトがおじいさんが造ったアンドロイドだって知ってる」

 大陸中が知っていることかもしれないけれど。

「はい」

「それでも、ベルワーナさんはメイトが好きだったんだ」

「はい、それでもベルワーナさんは私を好いてくださいました」

「じゃぁ、どうして両想いだったのに、二人は恋人同士にならなかったの?」

 ぼくの問いにメイトは少しだけ間をおいて答えた。

「両想いだったから、恋人同士にはなれなかったのだと思います」

 綺麗な翡翠のガラスの目に微笑みが滲む。

「ベルワーナさんは、私がアンドロイドだとわかっていたうえで、好いてくださっていたこと知っていました」

 ぼくに、その意味はやっぱりわからなかった。




******




 たくさんたくさん年を重ねて、ぼくはその意味を理解する。




「兄さん、あれやっといたからもう動きだすと思うよ」

「ありがとう、ロイ。助かるよ」

「はは、おれが出来なくなったら、次はたぶんベルワーナさんとこの孫のマーリがやってくれると思うよ。あいつ、すごくメイトに懐いてて、メイトのことなら全部おれに任せてって煩いんだ。おちびのくせに」

「頼もしいね。ぼくも安心して任せられるよ」

 そう言って笑えば、ロイは少しだけ悲しそうな顔をしたけど、すぐに「ああ、任せて」と笑って答えた。

「じゃぁ、おれもう行くから」と部屋を出ていく後ろ姿を見送ってから、窓の方へと視線をやる。あたたかくて優しい日差しが、ふんわりと庭の芝生へ降り注いでいて、なんとも心地よさそうだった。

 いい天気だ。

 ベッドに横たわり、少しうとうととしていると額に手が触れる感触がして目が覚めた。

「リオさま、体調はいかがでしょうか」

「大丈夫だよ、メイト。今日はとても気分が良いんだ」

 あんなに体が弱かったぼくだけど、今では他の誰よりも長生きだった。

 おじいさんを見送り、ワルナオスおじさんも見送って、今ではその息子のお医者先生に一家でお世話になっている。母さんや父さんを見送り、ともだちのベルワーナさんとその奥さんのターナさんも見送って、そして結婚して長い間寄り添ってきたリパもつい先日、見送った。

 イアンとククはまだまだ元気だけれども、あの二人はちょっと規格外だと思うんだ。

 年の離れた弟のロイはメイトのメンテナンスをかねて、ぼくのところによく顔を見せてくれる。なんだかんだと両親にいわれながら、ぼくたち兄弟はすっかりおじいさんの“ラボ”に魅せられて今までやってきた。血筋ってやつなのかもね。

 ぼくは、今、ぼくの子供たちと孫に囲まれながら、また幼い頃のようにベッドに横になって穏やかな暮らしを送っていた。

 傍らには、姿形の変わらないメイトがいる。

 柔らかな物腰に、優しい微笑み、ときどきぜんまい仕掛けのような動きをみせて、見る者に微笑ましさを誘う。完璧ではないからこそ、愛しさが募る。


 年を重ねていくぼくと、月日だけが流れていく彼女。


 しわくちゃになった指を伸ばして、ずっとずっとあのときのまま変わらない姿の彼女の名前を呼ぶ。

「メイト」

 ぼくの声は昔よりもとっても嗄れている。

「はい、リオさま」

 メイトの声は優しいまま変わらない。

「ねぇ、メイト。ぼくはそろそろ眠くなってきてしまったよ」

 近頃は、目を瞑るとどこか落ち着く。落ち着きすぎて怖いくらいに。

「……はい、リオさま」

 重い瞼をゆっくり瞬かせて彼女を見上げると、彼女の綺麗な目が涙で潤んでいた。

 泣かせたくなくて淡く微笑みかけると、彼女は目に涙を溜めたまま優しく微笑み返してきた。

 泣き虫メイト。

 生命の極端な弱まりを関知すると涙が滲む。

 相手が泣けば泣き、笑えば笑う。

 ただ単純な感情の照り返しは、人の心を満たすには十分なものだった。

 共感を勝手に相手に感じ取れれば人は容易く心を寄せる。

 木にも花にも、機械にも。

 メイトは滲む涙を拭いもせず、ただ微笑み返してそこにいた。

「ねぇ、メイト。母さんたちと長い間会っていないね。おじいさんにはもっとずっと会っていないね」

「リオさま、カルマンさまたちは……」

「わかっているよ」

「はい、リオさま」

 ぼくは、さきほどより時間をかけて、ゆっくりと目を閉じた。

 メイトの顔が見えなくなった。心地よい暗闇の中を、ぼくはたゆたう。

 繋がれたメイトの手が少し冷たい。

「ねぇ、メイト。ぼくはそろそろ母さんやおじいさんに会いに行くよ」

 君を置いたまま。

 君を永遠に置いたまま。

「メイト。君はぼくが死んだら泣くだろうね」

「はい、リオさま」

 鼓動を感知できなくなった瞬間に、君は涙を零すだろうね。

 おじいさんが逝ってしまったときのように、ワルナオスおじさんが逝ってしまったときのように、父さんと母さんが逝ってしまったときのように、ターナさんとベルワーナさんが逝ってしまったときのように、ぼくのリパが逝ってしまったときのように。

 君は静かに涙を零すのだろうね。

 ねぇ、メイト。

 きっとずっと君のことを知ってから願い続けていたことがある。

「ねえ、メイト。泣かないでおいてくれないか」

 ぼくが死んでも泣かないでおいてくれないか。涙を堪えて、泣かずに笑ってくれないか。

 ねぇ、だってそうする姿はまるで。まるで――

「リオさま、それは致しかねます」

 頬に落ちた雫は、だれのものだったろう。

「ぼくは君が泣くのは、悲しくて寂しくなるから嫌なんだ」

 君が、悲しくて寂しい思いをするから、嫌なんだよ。

「リオさま」

 ぽつぽつと、ぼくの頬に雨がふる。

「私も、リオさまがいなくなるのが悲しくて、寂しいから嫌なのです。嫌だから、泣くのです」


 温かい雨がふる。


『なんて性質の悪いもんを造ったんだ、あのじいさんは』


 年を重ねて、ぼくはその意味を理解する。


「仕方がないなぁ。メイトは本当にいつまでたっても泣き虫が治らない」

「申し訳ありません、リオさま」

「謝らないで。そんなメイトがぼくは好きだよ」

「はい、リオさま。私もそんなリオさまのことが好きです」


 ねぇ、でもね、ベルワーナさん。

 メイトは、嘘を吐けるようにできてはいないんだ。

 できて、いないんだよ。


「ありがとう。おやすみ、愛しいメイト」


 抗うことのできないまどろみの中、そっとメイトの手がぼくと同じ温度で額へと触れた。


「……ありがとう、ございます。さようなら、愛しいリオさま」


 少し間をおいてから答えられた声は震えていて、だけど、だから、ぼくは目を閉じたまま愛おしむように微笑んだ。



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