第三話 ルンタッタ、ルンタッタ、歌って踊る祭りの夜に
ルンタッタ、ルンタッタ。
星の瞬く夜空の下、摘まれる穂を称えて踊ろう。
我らがたなびく黄金に感謝の歌を捧げよう。
ルンタッタ、ルンタッタ、ルンルンタッタ。
今年も来年も再来年も、稔りに祈りをこめて夜が明けるまで
ルンタッタ、ルンタッタ。
歌おう、踊ろう、飲んでは騒いで、豊穣の秋が深まらんことを。
空は高く澄んでいる。
見上げれば、銀色の星が夜空から、ひとつふたつとこぼれていた。
そんな星降る夜空の下、大騒ぎするルッタールンタのみんなより少しはなれた林の近く。ぼくはいた。
「あたし、強い男が好きなの。ひょろんひょろんのあんたなんてお断りよ!」
ククにばっさりと振られながら。
それはもう豪快にばっさりとしんらつに。予想通りといえば予想通りだったのだけど。
ククはつんとそっぽを向いて「用事はそれだけ? そう! それじゃぁね! 明日からもあたしとあんたはただのともだちよ!」
わかったわね! と言い捨ててククは去って行った。
入れ替わりに、ククのともだちのリパがぼくのところへきた。
「リオ、今ククの声が聞こえたのだけれど」
「うん」
「ご、ごめんね聞くつもりはなかったんだけど、でも」
「ううん、いいんだ。大丈夫」
「リオ、あの……」
リパは、夜の明かりの下でも青く明るい空のような目を泳がせて言葉を探している。
ぼくを慰めようとしてくれているんだろう。リパはいつも口が悪いククのフォローをしてくれる、優しくて機転の利く女の子だ。
「ありがとう、リパ。本当にいいんだ」
だって、明日からもともだちだとククは言ってくれた。それだけでぼくには十分だった。
「う、ううん。あたしこそタイミング悪いっていうか、おせっかいっていうか……」
「そうかな? ぼくはいつもこうやって気を遣ってくれるリパに感謝しているよ」
ありがとう、ともう一度お礼を言って微笑むと、リパはぼっとそばかすの散るほっぺたを赤くして「う、あの、えと」と言葉にならない言葉を繰り返した。
「あ、あの! そ、そういえばメイトさんはどこに行ったのかなっ?」
叫ぶように聞かれてぼくは少し驚いて瞬きをした。
「ああ、そういえば」
「あ、あたし探してこようか!?」
言われてぼくは少しだけ考えたあと、首をよこにふった。
「ううん。大丈夫だよ、リパ。メイトはぼくのいる場所わかるから」
「そ、そっか。あ、じゃぁ、あたしもうみんなのところ戻るけど、リオは大丈夫?」
「うん、大丈夫。ほんとうにありがとう、リパ」
リパはわかったと言って走りだすけど、一度心配そうに振り返り、でもそのまま吹っ切るように走り去って行った。
いつもなら多少強引になってもメイトがそばにいないぼくを、一緒に連れて戻ろうとするけれど、今は気をきかせてくれたのかもしれない。リパはやっぱり優しいなぁ。
だれもいなくなった星空の下で、ぼくはぐすりと鼻をすすった。
ひとしきり鼻をすすったあと、メイトがぼくを見つけて声を掛けてきた。
「リオさま」
「……メイト」
「こんなところにいらしたのですね。お身体の具合はどうですか?」
メイトがぼくの額に手をあてた。
「大丈夫だよ」
「目がお赤いですね」
「ちょっとゴミが入って。もう大丈夫だよ」
「左様でございますか」
額から手を退くメイトを見上げて、ぼくは驚いて問いかけた。
「もしかしてメイトも泣いていた?」
「はい、リオさま。泣いていました」
「どうしたの? なにがあったの?」
メイトの白いほっぺたを伝う乾いた涙のあとを、ぼくは背のびしてそっと拭った。
くすぐったそうに片目を瞑って、メイトは少しだけ間をおいたあと口を開いた。
「ベルワーナさんに呼び出されていました」
答えるメイトに、ぼくの心臓が飛び跳ねた。メイトへの告白をけしかけた身としてはちょっとドキドキする展開だ。
「そ、それで、どうしてメイトが泣くの?」
「……おそらく、ベルワーナさんを傷つけてしまったからです」
悲しそうに微笑むメイトの言葉で、ぼくは一番よくない結果を悟った。ベルワーナさんをあとで慰めてあげなくちゃ。恋に破れた男同士、友情が深まるかもしれない。
「メイトは、ベルワーナさんのこと好きじゃない?」
「いいえ、私はベルワーナさんのこと好きですよ」
あっさりと答えられる軽さに、そういう好きじゃないんだよと思ったけどぼくはあえて違う質問をした。
「ベルワーナさんのどんなところが好き?」
「私などにも気を遣ってくださる、お優しいところが好きです」
「他には?」
「いつも目を見て微笑みかけて下さるところが好きです」
そう言って微笑むメイトのほっぺたはほんのりと赤く染まり、まるで恋する乙女のようだ。
あれ? とぼくは首を傾げた。あれ? メイト、それは――
ぼくが口を開きかけたところで、メイトは微笑みを曇らせた。
「けれど、ベルワーナさんは私に重大な誤解をさせます」
「誤解?」
「ベルワーナさんは、リオさまみたいに私を人のように扱うので、もしかして私は人間になれたのではないか、といつも誤解させるのです」
重大なシステムエラーです。とメイトは淡々と言った。
「重大なシステムエラーを起こさせる因子は排除しなければなりません」
ぼくは目を見開いて、まじまじとメイトを見つめた。
ガラス玉のようにきれいな翡翠の瞳が一回、二回と瞬きするのを数える。
「ねぇ、メイト」
「はい、リオさま」
「……最近のメンテナンスの調子はどう?」
「とても良好です」
「ぼくがときどき手伝っているんだ」
「存じております」
柔らかに微笑むメイトは、ぼくのおじいさんが“浮かれ頭をこじらせたような田舎町”にひきこもらなければいけなくなってしまった原因。
メイトのガラス玉のようにきれいな翡翠の瞳は、本当に本物のガラス玉だ。
メンテナンスを手伝うぼくはそれをよくわかっている。
ベルワーナさんも、町のみんなもわかっている。
メイトは、おじいさんが造り出した、まるで人のようなアンドロイド。定期的なメンテナンスがないと動くことができない。
メイトを見つめるぼくを、メイトはただじっと見つめ返す。
だけれど、ぼくは思うんだ。
「ねぇ、メイトとぼくって似ているよね」
「私とリオさまが、ですか?」
メイトは少し動きを止め、ぼくと自分自身の相似点を探しはじめた。
「どこが似ていると思う?」
「髪と目の色、でしょうか」
「ううん。それもあるけど、ちがうよ」
メイトの色とぼくの色はほとんど同じだ。おじいさんの奥さん――つまり、ぼくのおばあさん譲りの色で、おばあさんはぼくと同じように体が弱くて、ぼくが生まれる前に亡くなってしまっている。だから、ぼくはおばあさんのことはよく知らない。メイトもおばあさんが亡くなってから目覚めたらしいから、詳しくは知らないみたい。ただおじいさんはおばあさんのことがとてもとても大好きだったことは知っているんだって。
ちなみにぼくのお父さんはおじいさん譲りの色で、銀髪に青い目だったりする。お母さんもロイも似たような色。
おじいさんが愛した金色の髪に翡翠の目は、ぼくとメイトだけに受け継がれた。
「違うところならたくさん挙げられるのですが……」
困ったように眉を寄せるメイトに「うん、言ってごらん」と促した。
「リオさまは、お身体がお強くありません」
「メイトは強いね。風邪ひとつひかないもの」
「はい、私はアンドロイドですから」
機械のメイトと人であるぼく。病気なんて縁のないメイトと病弱にすぎるぼく。
「他には?」
「リオさまの御髪は短いです」
「メイトは長いね」
「お望みであれば、どのような髪型にもできますよ」
「ぼくは今のメイトが好きだよ」
髪の長いメイトと髪の短いぼく。
「私はスカートで、リオさまはズボンです」
「ぼくは男だからね」
「私は女性型として造られました」
女であるメイトと男であるぼく。
「リオさまは……」
「もういいよ、ありがとうメイト」
きっと挙げたらきりがない。メイトとぼくは違う。
そんなのは当たり前だ。
当たり前だけれど、ぼくとメイトは深い深い根っこの部分が似ている。
「あのね、メイト。ぼくとメイトは違うけど、同じなんだよ」
人を愛しみ、人に恋い焦がれ、笑い、泣き、悲しむ。
「ぼくも、メイトも定期的なメンテナンスがないと生きていけないでしょう」
ぼくの体は弱くて。とても弱くて、ワルナオス先生に定期的に診てもらわないと生きていけなかった。多少丈夫になった今だって、それは変わらない。
たった一人の女の子を振り向かせることが出来ないほどに。
けれど、体の弱いぼくだけじゃなくてもだれだって、誰かの手がないと生きていけない。強いククが強いイアンを求めるように、誰も彼も求めないと生きていけない。
「人だろうと機械だろうと、人の支えがないと生きていけない。だから、メイト、それはシステムエラーなんかじゃないんだよ」
ならば、メイトとぼくたちの違いはなんだろう。
ぼくにはわからなかった。
「お気をつけて、リオさま」
「大丈夫、ありがとう。メイトも気をつけてもどってね」
途中までメイトに送ってもらって、ぼくはベルワーナさんがいるという丘のうえにある木の下まで行った。
絶対に気づかれない距離でメイトと別れてから、見知った人影をみつけるとゆっくりと歩きながら寄っていく。
「ベルワーナさん」
呼びかけてもベルワーナさんは返事をしなかった。
背中を丸まらせ、交差して組んだ足の片膝の上に顎を乗せて、どこか拗ねた様子で座り込んでいる。ぼくよりもお兄さんなのにぼくよりも子供みたいに。
「ベルワーナさん?」
押し黙っているベルワーナさんの隣に、ぼくはぽすんと腰をおろした。
「ねぇ、ベルワーナさん。ぼくククに告白したよ」
振られちゃったけどねと言って笑った。
「ベルワーナさんは、メイトに告白した?」
問い掛けると、ベルワーナさんは、はっと笑った。
「しねぇよ。だってメイトはお前のじいさんが作ったアンドロイドってやつだろう? 誰がロボットなんかに告白なんてするかっての」
ははっと笑ってベルワーナさんは貧乏ゆすりをした。
本心でない悪態をついたり、嘘を吐いたりするとき、ベルワーナさんはことさらに行儀の悪い態度をとろうとする。
「メイトはメイトだよ」
「そりゃぁ……」
「ねぇ、ベルワーナさん。メイトもぼくも同じだよ、変わらないよ」
ベルワーナさんにぼくは言う。
ぼくには、メイトとぼくを明確に線引きすることの意味がよくわからなかった。
メイトは優しい。人を気遣い、人に微笑み、人を思って泣く。ともすれば、人よりも人のために泣く。
「メイトもぼくも、人の助けがないと生きていけないだけなんだ」
変わらない。
なら、メイトとベルワーナさんも変わらない。そうでしょう?
そう言って首を傾げたら、ベルワーナさんは少し言葉に詰まったあと「そうだな」と言って笑った。「そうかもな」と言って笑みを歪めた。
なんだか泣きそうだと思った笑顔は、よく見れば目が赤く腫れていて、もうすでに泣いたあとだったとわかった。そのことにぼくは少し驚いて、あんまり不躾に見ないようにすぐに目を逸らした。
「……あのね、さっきメイトと会ったんだ」
メイトも泣いていた。それが何を意味するか、本当のところぼくにはわからない。わからないけれど、ひとつわかることがある。
「メイトがなんていったかは知らないけど、ぼくメイトはベルワーナさんのこと好きだとおも……」
「ちがうんだよ、リオ坊」
「え?」
ぼくの言葉をさえぎるようにベルワーナさんは少し怖い声を出した。
「ちがうんだ……」
怖い声から、震える声に変わる。泣いているのかと思ったけれど、深く首を落として俯いているベルワーナさんの表情はぼくからは見えなかった。
「おれはメイトさんに振られたわけじゃない」
「そうなの? それじゃぁ、二人は恋人同士に……」
「振られたわけじゃないけど、恋人同士になれなかった」
「どうして?」
「好きだから」
聞き逃しそうなほど小さく掠れる声でベルワーナさんが呟いた。
「好きだから、なれなかった」
途中で詰まる息をおそるおそる吐き出して、掠れた声が震えて絞られる。
「最低なのは、たぶんおれだよ」
呻くようにベルワーナさんは小さく囁いた。
「……なんて性質の悪いもんを造ったんだ、あのじいさんは」
ぼくにその意味はわからなかった。