第一話 泣き虫メイトを泣かせないようにするために
※過去作品を題名を変えての再掲です
XXX年――人は、人を造ることに成功した。 カルマン・スティアート
ぼくのおじいさんは有名人だ。
世間に騒がれすぎてしまって、へんぴな田舎にひきこもらなければいけなくなったほど有名人だ。
ぼくたち一家はおじいさんに連れられて、ぼくがうんと小さい頃、大陸のはしっこのはしっこにある片田舎“ルッタールンタ”に越してきた。おもわずダンスのステップを踏みたくなっちゃうようないい名前でしょう?
おじいさんに言わせると「浮かれ頭をこじらせたような名前」らしいけれど、ぼくはいちど名前を聞いただけでとっても好きになったんだ。
もともと生まれつき体が弱いぼくは、都会の空気はあわなくて、いつもベッドで寝込んでた。でも、このルッタールンタにきてから、日がな一日ベッドの上の生活だったぼくが、家のまわりのお庭を決まった時間のちょっとだけだけどお散歩できるようになったんだ。
ここに来てはじめの頃、空気が都会とは違ってとってもおいしいことに驚いて、いっぱい吸ったり吐いたりしてみたら咳がとまらなくなって、ルッタールンタに越してきてすぐにぼくは三日寝込んだ。
それから、やっとベッドの上で起き上がることができるようになったら、ぼくはもういちど外に出たくて仕方がなくなった。まぶしいお日様のもとで吸う空気の新鮮さがわすれられなくて、庭の緑のあざやかさが目にやきついてはなれなくて、思い出すたびに胸が高鳴った。
だって、ベッドの上にいるよりうんとおもしろかったんだもの。
そんなことを繰り返して、越してからもう数年経った今、もっとルッタールンタが大好きになっていた。
ぼくには年の離れた弟が生まれて、前は、おかあさんとおとうさんが暇があれば代わる代わるぼくのとこに顔を出してはいろいろお喋りしていってくれたのだけど、めっきり顔を見せることがすくなくなった。ぼくの弟は、まだ小さいのにもうすでにぼくと違って体が弱くなくて、元気な男の子ってことがよくわかる。すこし長くお喋りするだけで熱を出してしまうぼくをみるよりもきっと面倒がすくなくていいだろうな。
よく風邪をひくぼくは、弟にうつしてはいけないから、あまり弟と会うことはない。
ぼくのおじいさんも大体いつも“ラボ”というところに引きこもっているから、ぼくみたいにあんまり家族と顔を合わせない。
だから、ぼくのお喋りの相手はきまって泣き虫なメイドのメイトとお医者のワルナオス先生ばかりになっていた。
……でも、ここだけの話、体調がいいときはおじいさんのラボにいって、おじいさんに半導体がどうのこうの話とか、人工知能の仕組みとかのことを教わったりしているんだ。おかあさんやおとうさんは「あまりおかしなことを吹き込まないでくださいね」なんておじいさんに言うけれど、ぼくはもっとお話を聞きたくて、おじいさんのお話はむずかしいけど、ぼくにはとってもおもしろくて。そういうと、いつもしかめ面のおじいさんがちょっとやわらかいしかめ面になってこう言うんだ。
「リオ坊、お前には才能がある」
そうして、ぼくの頭をぶっきらぼうにわしゃわしゃ撫でてくれる。
おじいさんのラボにいくときはお庭の通路を通っていかないといけないから、ぼくにとっては、おもしろいお話も聞きにいけて、外にもちょっと出られて、とっても“いっせきにちょう”の気晴らしになって、とってもうれしい気持ちになるんだ。
ああ、はやく。はやく、はやくベッドから抜け出したい。
越してきた頃よりも、ぼくの体の具合はすこしよくなった。といっても、まだまだふつうの子たちより、ぼくがベッドにいる時間は長いのだけれど。
目が覚めたら外に出たい、ベッドで寝るのはもう飽きたとしか言わないぼくを見兼ねて、ワルナオス先生がいつも仕方がないなといったふうに「いきなりたくさん息を吸わないこと、吸いたいならゆっくりといちどだけ大きく吸ってみせること」を固く固く約束させられてから、ぼくは外出をゆるされる。
もう息を吸ったくらいで三日も寝込まないのにね。せいぜい一日くらいだと思うの。そんなことを思いながら、おじいさんのラボにいくために庭の通路を通る。
ベッドからやっと抜け出せたぼくにとっては、これも立派な"外出"なんだ。
室内履きから、外履きのくつに履きかえて、庭に降り立った。さくさく、じゃりじゃり、さわさわ、かさかさ、たった一歩だけなのにいろいろな音や感触がぼくの足もとから、ぼくの体をかけ抜けていく。風がすこしひんやりとしているのに、太陽のひかりはあつい。どうしてだろう?
空気が吹きぬけて、ぼくは息を吸いこんだ。
約束どおり一度だけゆっくりと息を吸えば、その空気のおいしいことといったら!
おじいさんに話しにいこう!
うれしさのままに走ったら、途中できれいな青い空と白い雲がぐるりと反転してそのまま真っ暗闇になっちゃった。
あれ? おかしいな。
「リオさま!」
いきなり真っ暗になった夜の中、メイトの泣きそうな叫び声が聞こえたような気がした。
目が覚めると、お医者のワルナオス先生がとっても怖い顔でぼくをのぞきこんでいた。
ワルナオス先生はぼくの家にやとわれている“せんぞくい”というやつで、ぼくが物心ついたときから今までずっとこの家にいる。このルッタールンタの片田舎にまできてくれた先生はもう家族みたいなものだった。
そんな先生と目が合うと、先生は大きく目を見開かせてから「ジーナさん! エリックさん!」と大声を出しながら部屋を出ていった。入れかわりにばたばたとすごい勢いの足音がひびいてきた。真っ赤な目をしたおかあさんととっても疲れた顔のおとうさんととってもむずかしい顔をしているおじいさん、そして今にも泣きそうなメイトがぞろりとぼくのまわりを囲んでいた。
なんだろう? とみんなの顔をじゅんぐりに見ていくと、みんなそろって安心したようにため息を吐いた。
ぼんやりする頭で、ベッドで目覚める前のことを思い出してみる。
うん、おじいさんのところにいこうと思って走ったあとの記憶がない。
なるほど、ぼくは今回の外出の失敗をさとった。
「リオ、リオ、私の愛しい子」
「ほぉら、私の言ったとおりだったでしょう。リオ坊ちゃんもこれくらいで死にはしませんよ」
ワルナオス先生は、ベッドの上にいるぼくなんかよりも今にも倒れてしまいそうなおかあさんにゆったりと優しく労わるようにいいきかせた。
「でも、リオ、あなた一週間も寝込んでいたのよ!」
わっと泣き伏せるおかあさんのそばに寄りそうように立って、おとうさんがぼくをみた。
こんなふうなのは何だか、とってもひさしぶりのような気がするよ。
「目が覚めてよかった」
とても安心したっていうような声。
ぼくのおとうさんはいつもきっちりとしている人だけど、今ぼくのほっぺたを労わるようにそっと撫でるおとうさんは、毎朝ていねいに整えているはずの口ヒゲをぴょんとひとふさ飛びはねさせていた。ちょっとコメディアンみたいでおもしろいと思ったのはないしょ。
こつんとぼくのおでことおとうさんのおでこが重ねられる。
「あんまり心配させないでおくれ」
「ごめんなさい」
「謝ることではないんだ、リオ。私たちの愛しい子」
深い、深いいつくしみに満ちた呟きがぼくをつつみこんだ。
「ジーナさん、そんなに泣いていると目が溶けてしまいますよ」
「だって、リオが、リオが……」と泣くおかあさんを、ワルナオス先生が一歩はなれたところから「寝込むなんて、いつものことでしょう」とさとしていた。
たしかに寝込むのはぼくのルーティンワークみたいなものだ。とっても残念なことだけれど。
「よかった。本当によかったわ」と涙を拭うおかあさんに、あのね、と声をかけようとして。
『ふぎゃぁ、ふぎゃぁ!』
遠くから赤ちゃんの泣く声が聞こえた。
ぼくよりもうんと幼くて、ぼくよりもうんと甲高い声が、勢いよくひびきわたる。
「まぁまぁ、ロイどうしたのかしら?」
さっきまで泣いていたおかあさんが、慌てて部屋から出ていく。
おとうさんが「私も様子を見てくるよ。リオはワルナオス先生のいうことをよく聞いて、ゆっくりと休んでいるんだよ」といって続いて部屋を出ていった。
ぼくは、あのね、と声をかけようとしていた言葉を飲みこんですこしだけうつむいた。
ロイが泣くのなんていつものことなのに、なんだかとっても何もかもうばわれてしまったみたいな感じがした。
「リオ坊」
しわがれたおじいさんの声がぼくを呼ぶ。
おじいさんは、おかあさんとおとうさんが出ていっても、部屋の隅で口をへの字に曲げていた。
「わしゃ、ラボにもどるぞ」
いつもなら何もいわずにもどってしまうのに。ぼくは「うん」と小さく頷いた。
「メイト」
「はい、カルマンさま。かしこまりました」
おじいさんに名前を呼ばれると、メイトはたったそれだけのことで、もうすべてわかったというように微笑んで何かを了解した。
「リオ坊、元気になったらまたこい」
おじいさんはふんと鼻を鳴らすとぼくの頭をぐしゃぐしゃと撫でてから部屋を出ていった。おじいさんは神経質な顔とおなじように神経質な性格でとっても不器用だけど、その倍くらいとっても優しいことぼくは知ってる。ぐしゃぐしゃ頭のまま、ぼくはふふと笑った。
メイトはそんなぼくのかたわらに移動すると水差しからコップへと水をそそいで差し出してきた。
差し出されたコップをみて、ぼくは自分が喉がかわいていたことにはじめて気づいた。起きたばかりで何も口にしていない。「ありがとう」といって受けとった。
メイトはいつも心が読めるのかと思うほどのタイミングでぼくをお世話する。ときには、ぼく自身が気づいていないようなことにも気づいて、こうやって手を差し伸べてくれる。
どうしてわかるんだろう。ふしぎだなぁと思いながらぼくはゆっくりと水を口に含んだ。いきなり飲み込むとぼくの体はびっくりしてまた寝込むことになってしまいかねない。普通の人がふつうにできることをぼくにはできないんだ。
時計の秒針が時を刻む。一周したところで、ぼくはやっと一口だけ水を飲み込んで、喉を潤すことができた。ふぅと一息吐いたところで、ワルナオス先生が待っていたようにぼくを呼んだ。
「リオ坊ちゃん」
先生はぼくのことを、親しみをこめてそう呼ぶ。
「なぁに、ワルナオスおじさん」
ぼくもときどき先生のことを、親しみをこめてそう呼ぶ。
「気持ちはわかるが、焦るな」
「……うん、ごめんなさい」
「謝ることじゃない。リオ坊ちゃんの体は少し人よりびっくりしやすいだけなんだ。たいしたことじゃない」
ワルナオス先生はそういって、目尻にしわを浮かばせて笑った。
「うん、でも、おかあさんを泣かせちゃった」
「ジーナさんは……ちょっと心配症過ぎるきらいがあるからなぁ」
「おとうさんもおじいさんもむずかしい顔をしていたよ」
持っていたコップをメイトに手渡して、メイトを見上げる。
「メイトも、泣いてた」
おかあさんが泣いたところも、メイトが泣くところもひさびさに見た気がする。
「ああ、そりゃぁ、メイトが泣けば、みんな難しい顔をするさ」
ワルナオス先生はもごもごと苦虫を噛み潰したような顔で「今回ばかりはジーナさんの泣き虫も仕方がないかもしれんな」とつぶやいた。
どういうことだろう? とメイトを見ると、メイトはどこか困ったように微笑んだ。
「私が泣くことはあまりよいことではありません」
「どうして?」
「リオさまの調子が悪いときばかりに私は泣いてしまいます」
「そうさ、嬢ちゃんが泣くと、だからみんな気が気じゃなくなってしまうのさ」
「そうだったの。ごめんね、メイト。ぼくがこんなだから」
メイトはいつもぼくのそばにいる。ぼくの体調が悪いことに気づくのはいつもメイトだ。
だから、まっさきにメイトが泣く。
「きみを泣かせてばかりいて、ぼくはわるいこだね」
熱が出て寝込んでは泣かせ、こんこんと咳をしては泣かせ、とってもとってもわるいこだ。
メイトは体の弱いぼくをお世話するのがおしごとで、ぼくのそばにいることが多いせいか、とっても"泣き虫"だ。心配させることしかしないぼくがそばにいるせいで泣き虫になってしまったのかもしれない。それで、メイトが泣くようになったら、ぼくによくないことが起きたんだって思われるようになってしまったのかもしれない。
メイトが泣いている、その事実を素通りしてそう思われるようになってしまったのなら、それは、とっても寂しいことだなぁとぼくはきゅっと拳を握り込んでうつむいた。
ぼくがそうしていると、ワルナオス先生が、にがいお薬を飲んだときみたいな顔をした。
「……リオ坊ちゃんはいいこだよ。いいこすぎるくらいだ。けど、そうだな。あまりジーナさんも、メイトも泣かせるようなことはしないようにしないとな」
苦みを堪えるように笑うと「ゆっくりすこしずつ、よくなっていこう」とワルナオス先生は大きな温かい手でぼくの手を励ますように、労わるように、そっと包み込んだ。
「うん、そうだね、ワルナオス先生」
ぼくは早く元気になりたいけれど、心配をかけたいわけじゃない。
「リオさまは、リオさまの速度で元気になられればいいんですよ」
にっこりと柔らかにかたわらで微笑むメイトを泣かせないようにするためにも、できないことを無理してしようとしちゃいけない。
どんなに遅くてもゆっくりとすこしずつ、ぼくの速度でよくなっていこう。
それがどんなにもどかしくても。