中島らも「バンド・オブ・ザ・ナイト」に思う
タイトル 作中の敬称省略しております。
このエッセイはドラッグ、アルコールを推奨するものではなく。筆者はドラッグの使用や依存性の強い嗜好品の過剰摂取には断固反対です。
故中島らも氏に敬意を表し、そのご冥福をお祈りします。そして、彼の作品を未読の多くの方に是非とも読んで頂きたいと思います。
中島らもを好きな方なら、彼が賛否はあれどドラッグカルチャーを扱い、自らもそのドラッグやアルコール依存に様々に関わっていたことはご存知だと思います。
昔、麻薬取締法か覚醒剤取締法違反で捕まった時は不謹慎を承知で当時の思いをありのままに言うなら「何で今更」でした。ワイドショーやニュース番組でしたり顔のキャスターやコメンテーターの「ファンの気持ちや期待を裏切る行為」と言う言葉には爆笑しましたね。あんたら一冊でも中島らもの作品を見たのかって、堂々とメディアでも公言していた氏の普段の言動と合わせても、ファンならだいたい私と同じ感想だったと思いますからね。
今日はそんな氏の作品の中でも、取り分けてドラッグカルチャーについて、半ばノンフィクションで描いたとされる名作「バンド・オブ・ザ・ナイト」について、つらつらと語って行きます。
さて、この作品は「ドラッグなどの常習者の酩酊状態を言語化した作品」という評価をされています。
書籍の巻末、元パンクロッカー町田町蔵こと、改名して小説家、エッセイストとなった町田康が寄せている解説も高評価されています。
この作品を初めて読んだのは20代の前半くらいだったと記憶していて、もう10年以上は読んで無いんですが、私の読書歴の中でもトップ10に入る作品で強烈に印象に残っていますね。
巻末解説で町田康が語った「現実の世界こそが酩酊していて」だからこそ「中島らもこそ素面」なのだと言う主張は心に刺さりましたよ。
ドラッグカルチャーはロックカルチャーとは切り離せない部分がありますよね。ビートルズの「ルーシー・アンド・スカイ・ウィズ・ダイアモンド」は頭文字がLSDで、まさしくLSDでぶっ飛んでる時のことを歌ったと言われてますよね。
中島らもはドラッグカルチャーに身をおきながら、その悲惨さ、残酷さを作品の中で描いています。それはドラッグによってほぼ全てを失い、ドラッグを否定したウィリアム バロウズのようでもあります。しかし、その一方でアルコールを生涯嗜み、適度に酩酊することをやめなかったとも思うのですよ。
アルコール依存を扱った名作「今夜、すべてのバーで」私の読んだ書籍版の巻末には山田風太郎との対談が載っていて、お二人が最近の酒量について語られているくだりなんてのもありましたからね。
独特のキャラクターと感性で社会を斬るのではなく、己自身を斬って、その鮮やかでグロテスクな断面を晒して見せた氏の作風は私に大きな影響を与えてくれました。
哲学者ルートヴィッヒ ウィトゲンシュタインの没後、友人の寄せた言葉に「彼はガラスで出来た美しい世界に憧れる純粋さを持っていて、しかしその世界は足を踏み入れたら壊れてしまう脆いものだと理解している繊細な人物だ。だからこそ苦悩した」といったものがあったそうで、中島らももまた、純粋な感性と繊細な心を持ち、現実の冷酷さに諦念しながらも、そこに「何か」を求め続けた作家だったように思えるんです。
まだ、若かった頃に衝撃を受け、氏の没後、私もおっさんになって、あの当時、わかった気になっていた町田康の解説の深いところを考えるようになりました。そして、あの当時から、「ドラッグ常習者の酩酊状態を言語化」した作品という評価は町田康もまた、「この世界の全てがこの作品にある」と評価したほどに事実ですが、それ以上にドラッグ、アルコールというものに対する愛と憎悪があったように思えるんですよね。
ドーピング問題が今回のオリンピックでも影を落としました。私達は酩酊する世界の中でも素面でいなければいけない。それはきっと割れたガラスの破片が飛び散る中を進むようなもので、恐怖と刺さってしまった破片の痛みに苦しむことになるでしょう。だから、誰だって救いを求めてしまう。
アルコール依存には女性の方がなりやすいと言う話もあります。アルコールの代謝に関する肉体的な部分もですが、男性が楽しみとして飲む反面、ストレスの解消のための薬理的使用でキッチンドランカーになるタイプが多いことの影響だそうです。
ドラッグなど、もっての他です。
アルコール依存もあらゆるものを破壊します。
中島らもはその壊された世界を私達に見せてくれた稀有な作家でした。
安易な酩酊にすがることなく、戦い続けなければと今日も頑張っています。
お読み頂きありがとうございますm(_ _)m
うろ覚えなところがあり、間違い等ありましたらご指摘ください。