可愛いあの子は最強種。
朝一番にお気に入りの枕カバーの中から顔を出せば、寝惚け眼のままうっとりと「クオーツは今日も可愛いねぇ」と囁いてくれて。
茂った雑草の中から出てくる毒虫を追い払い、あるいは丸呑みにしていると、その鼻先を「クオーツは今日も賢いねぇ」と笑って撫でてくれて。
大きな体躯で暴れまわる害獣を、自慢の尻尾の一撃で絶命させれば「クオーツは今日も最高の相棒だよ!」と首にしがみついてくれる。
そんな風に毎日褒めてくれるのは、自然界の中でも弱い方から数えた方が良い人間の少女で。少女の膝の上に抱かれてご機嫌に喉を鳴らしているのは、自然界の最強種であるレッドドラゴンだ。
とはいえ一般人からは死の森とも呼ばれているミスティカの森で、家庭菜園と薬草園の世話をする少女も、度胸という意味では最強クラスだろう。
何せ彼女は最強種であるレッドドラゴンですら手も足も出なかった、人類のくせに最凶種の魔術師に真正面から意見して、かの魔術師から命と鱗と尊厳を守ってくれたのだから。
以来ゴルディン山脈で魔物達の王として君臨していたレッドドラゴンは、自らをクオーツと名付けてくれたこの少女のことを、誰よりも深く慕っているのである。ただし愚かではないもののちょっぴり世間知らずな少女は、格上の魔物に名付けるという意味を知らなかった。
恐らく確実に知っているであろうはずの魔術師は、だからこそ弟子である彼女に名付けをさせたのだということを、ドラゴンの方も理解していた。名付けの儀は魔術の中でもかなり古くからある呪いの最たるものだ。名付けられたものは術者が死ぬまで縛られる。
ドラゴンといえば、ほんの少し生活を共にすれば人語を解することも造作ない知能を持ち、ひとたび興味が沸けば人も魔も関係なく蹂躙出来るだけの武もある。勿論日々よく笑い、よく食べ、よく働く暢気な少女は、そんなことは知らない。鱗一枚で大金が手に入る最強種。
全身の総額はどれほどになるだろうかと普通なら考えるところだろうが、少女とその師にとっては三枚で一月分の家賃だ。市場価格から考えればボッタクリな家賃ではあるものの、三食美味しい食事がついて大好きな彼女の傍にいられるため、クオーツも概ね満足している。
百数十年の間に何度か棲家換えもしたし、少し前まで一匹で暮らしていたあの山も棲み心地は悪くなかったが、やはりゴツゴツとした岩と常に沸き立つ溶岩よりは、少女と一緒に寝転がって眠るフカフカのベッドが良い。
少女もその師も、クオーツの血肉と鱗を欲して狩りに来た欲深い生き物と同じではあるけれど、二人はその他の多くの者達とは違い、敵意や害意というものを持ち合わせていなかった。
これまでに襲ってくる有象無象は魔物だろうが人間だろうが、皆等しく始末してきた。時には戯れに食しもしたのに――あろうことかただの物見遊山感覚で、彼と彼女は死の山と恐れられる場所に来てクオーツに挑み、いとも容易くぶちのめしたのだ。初めて倒される恐怖。死の覚悟。それらを前にして感じたのは、或いはこれで終わるのかという寂しさだったのかもしれない。
そんな少女は左の顔に大きく禍々しい傷痕を持っていた。その傷のせいで一日のほとんどの時間をこの森で過ごす彼女を知るのは、極僅かな者達だけだ。
そしてその人物達の前では明るく振る舞うため、少女が傷のことをとても気に病んでいることを本当の意味で知るのは、彼女の師である最凶魔術師とクオーツだけである。
でもクオーツは少女の顔にある傷も含めて彼女のことが好きだ。毎朝師である魔術師に傷痕の治療を受けている時に、照れて頬を染める姿を見るのも同じくらい好きだった。
クオーツにはあの表情を引き出すことは出来ないが、それでも全然良いのだ。ドラゴンが卵から孵る時は親が死ぬ時だ。子はすぐに本能で狩りを始め、それから長い時間を過ごす。運が良ければ伴侶を得ることもあるものの、最強種が故の繁殖への無関心さから、多くはほとんど一生を一匹で終える。
だから愛しいと頬ずりされることも、美味しいねと言い合いながら食事を囲むことも、楽しいねと夜更かしすることも、やっちゃったねと叱られることも、大丈夫と心配することもされることも、あのねと憧れの存在に対する惚気を聞かされることも、何も――……何も知らずに死ぬのだ。
百年以上も生きてきて、ここで初めて〝大好き〟を知った。
百年よりもずっと短く、この大切な〝大好き〟を失うだろう。
幸運だ。
最良だ。
運命だ。
この時はきっと永遠ではない。
そんなことは分かっている。だって全能に等しい存在なのだから。
――だけど、それでも。
「ふふ、クオーツは良い子だねぇ。大好きだよ。ずっと一緒にいてね相棒」
そう言って、自己肯定力が低くて打算的なところもあるのに、お人好しで寂しがり屋な少女が、今日も自分を抱きしめて嬉しそうに笑うから。
「キュールルル、ヒューン」
ひとたび怒れば全ての生き物が膝を折るような雷鳴の如く猛々しい声を、可愛く無害な相棒の声音に変えて【勿論。大好きだよ】と歌うのだ。




