★18★ 大人げ……無ぇ。
突然異界の裂け目から現れた細い腕にアリアが攫われた――わけではないのは、明らかだった。自ら望んで飲み込まれた弟子へと伸ばした腕は空を掴んで。咄嗟に漂うアリアの座標を取り込んだは良いものの、拒絶されたことに一瞬呆然としていたら、その手を小さな手で叩き落とされた。
「あーあー、だから言わんこっちゃないんダ。君はこの後どうするのサ? 精霊界まで追いかけル? 無理だよネ? 大昔とはいえ同族殺しをした君にハ」
無言で手の持ち主を睨み付ければ、そう小馬鹿にした笑みと共に痛いところを刺される。昔からその時に一番触れられたくない部分を暴くクソガキにジークが憤り、それに苦言を呈するのはいつもこちらの方だった。
「あの場所だと精霊の血を少し引いてるくらいじゃあ、人間なんてあっという間に萎れちゃうヨ? 君の護符はその通りだシ。今のあの子は丸腰ダ」
人間は成長する。たとえ時を止めてこちら側に堕ちたとしても、三十年程度では完全に思考を停滞させたりしない。それは自らが元は脆い生き物であると知っているからなのだろう。そこが羨ましくもあり、恨めしくもある。
正直とても腹が立っていた。今すぐにでもこいつが構築している座標ごと根こそぎ奪い返して、その存在をなかったことにしてやりたいほどに。ただそれはあまりに大人げない。子供の癇癪と同じことだ。呼吸を絞って百年以上かけて封じた素が出そうになるのを押し止める。
「………………お説教は、それだけかしら」
「ン? まぁネ。でも本当に結構危ないのは分かってるでショ。ルーカスはわたしに何を手伝ってほしいのかナ?」
「ええ、そうね。その通りよ。あたしの代わりにジーク達に合流して説明しておいて頂戴。出来ればこの屋敷の夫人達にはバレないようにしてほしいわ」
「これはまた難易度の高いことを言ウ。でもまぁ、妥当かナ。幻術でアリアが眠ってるように見せかけるヨ。ジーク達には君が大人げなくアリアにキレたってそのまま報告して良いわケ?」
ほら、また楽しそうに人の嫌がる部分を突いてくる。全盛期のジークが見たら血を見るところだ。まぁ……今の中年の姿になってからは性格も丸くなったし、もうそんな心配もないのだろうが。たぶん。
「構わないわ。実際その通りだしね。というか、あんたは先にジークに名乗るところから始めなさいよ。昔と姿が変わってるんだから。爆笑されたあと真顔で馬鹿なこと聞かれるかもしれないけど」
「ジークなら聞いてきそウ。見た目で人を判別するのは愚かだって、そろそろジークも気付けば良いの二。昔からそうだよネ? 敵の間者が子供だった時も逃がしかけるシ。後で追いかける身にもなれってノ」
「あー……ね。そこは全くもって同感だけど、誰もがあんたみたいになったら世も末よ。それより、お礼はひとまずその腕を再構築し直すことで良いかしら?」
「うン。元はと言えばわたしがあの子のことをけしかけたようなものだシ」
あっけらかんと言ってのけるふてぶてしさに殺意が芽吹きかけたが、これも大人げを総動員して流すことにした。というか流れろ。途中で塞き止まるな。
「……何でそんな余計なことをしたのよ」
「友人として、君が慌てるところを見たかったんだヨ。退屈は精霊を殺すからネ。わたしはまだあっちだと新参者だから君がいないとつまらないからネ。そういうわけで君に消えてほしくな――痛ぁッ!?」
案の定塞き止まった。せっかくこちらの座標を与えて受肉させたのだから、クソ生意気なことを宣う頬をつねらないのも勿体ない。元がアリアと同じ性別であれば力加減もするが、こいつは元々男だ。現在の姿もいわば仮初め。
――となれば、つねるのは自然の摂理だ。
「ちょ、ルーカス、待って待って痛い痛イ!!」
「喧しいわねぇ。治療の邪魔だからじっとしていなさいよ」
「だったらこの手を離してってバ!」
「はいはい、良い子ね~。じっとしてろっての。あんまり騒ぐようならこの腕三本にしてやろうか?」
暴れて騒ぐマーロウの頬を遠慮なくつねりながら失った腕の構築を開始すると、脅しが効いたのか大人しくつねられたまま再構築を待つことにしたようだ。半透明な術式がジワジワと無から有を生み出す光景は、いつも無感動な心を少しだけ動かしてくれる。
構築に必要なのは純度だ。時々入る自然界の座標は省く。やがて現れた腕を動かしてみるよう目配せすると、恨みがましい目をしたマーロウが、頬をつねっていたわたしの手を引き剥がしつつ、新しい自身の手を開閉させながら口を開いた。
「ルーカスさぁ、アリアの行き先にあてはあるノ?」
「勿論よ。あたしはあの子の師匠だもの。あの子があたしの弟子を勝手に辞めたとしても、破門は師匠だけの特権だわ」
「だったら、もし見つけても叱らないでやってヨ」
「そうね……善処はする。ただし馬鹿なことをしていたら、師匠として叱るわ」
言いながら、最後に見たあの絶望に満ちた顔を思い出す。胸の奥が酷く疼くこの痛みも、師匠としてのものなのだろうか。




