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★8★ 過保護じゃないわ。


 弟子のアリアが掃除婦としてジークのギルドに働きに出るようになってから一ヶ月半。残り少なかった過ごしやすい四月の気候も薄れ、あまり好きではない夏にまた一歩近付いた五月下旬の気温に溜息が出た。


 とはいえ今日に限って言えば、五分おきに溜息が出るのは何も気温のせいだけではないのだけれど。


「いやー、俺は自分の慧眼が怖いぜ。アリアのおかげで前よりも格段に依頼者に品が良いのが混じるようになった。ギルドメンバーも新しく腕の良い掃除人を雇った俺を敬うしなー」


「そりゃあんなに汚いギルドに金持ちがわざわざ依頼に来るはずがないでしょう」


「そうは言うがな、暗殺の依頼は綺麗なギルドじゃ受け付けてないだろ? その点見るからに汚れ仕事を受け付けてそうなうちは、ある意味見た目でそれなりに分かりやすい親切なギルドなんだよ」


「あ、そう。じゃあもうあの子が掃除に行く必要はないわね?」


「なーんでそうなるんだよ。お前さんはアリアを構いすぎるぞ。母親かっての。大体この間お前が急にやる気を出してドラゴンの鱗を取ってきてから、うちに無茶な依頼が増えてんだぞ」


「そんなのあたしの知ったことじゃないわ。暗殺以外の普通の依頼が増えて良かったじゃない」


 目の前で自分の発言に勝手に納得して大きく頷く髭面の大男に軽い殺意が湧く。いくら古い付き合いといったところで、この店にいらない暑苦しさを撒き散らすのはあたしの美的感覚的に許せない。


 勝手に人の弟子に仕事の斡旋をしようとするのも腹が立つ。こんなことなら三年前にアリアの情報が何かないか探るよう、こいつに依頼するのではなかったわ。


「ともかく、経験上あんたが手放しに人を褒める時はろくなことがないって断言出来るわ。だからこの話の続きも聞かないわよ。客じゃないならうちの店でサボってないで、とっとと(ギルド)に帰りなさい。あんたの見た目は営業妨害よ」


 シッシッと追い払うように手を振って見せたところで折よく店のドアが開いて、常連のご婦人が入ってきた。彼女は一瞬この店にいるには不釣合な人物に驚いた様子を見せたものの、すぐにジークをいないものとしてこちらに向かって微笑みかけてくる。応じるように無言で微笑めば、意図も容易くその頬を染めた。


 瞬間微かな虚しさと嘲りが胸を過る。昔から男も女もあたしの見目に踊らされて、勝手に熱を上げる様は滑稽で。安くはない品物を買い求めてくれるのはありがたいけれど、誰もその効能や材料を尋ねてくる者はいない。商品の品質にこそ自信があるのにね?


 ジークはそんなあたしの方を見て皮肉げに笑うと「話の続きはまた次にな」と、来た時と同じように勝手に帰っていった。店内に残されたのはあたしと常連の二人だけで、彼女は商品棚には目もくれずあたしを見つめる。


「いらっしゃいませ、お嬢様。本日は何をお求めかしらぁ?」


 カウンターの内側を出て、高額な商品の棚の前で立ち止まって微笑みかける。馬鹿馬鹿しいけど、昔よりも今の生活の方がずっとマシ。そう自分に嘯いて、いつものように夕方までの大半を微睡みながら過ごした。 


 工房を閉めたあとは街で夕飯の買い出しを済ませてまた戻り、城と工房の空間を魔法陣で繋ぐ。瞬きの間に窓の外の景色が石畳の敷かれた街並みから鬱蒼とした森に変わった。


 直後に着ていた香水臭い服をその場に脱ぎ捨てて、城に通じる工房のドアを開けた脇に置かれた籠の中から、アリアが用意しておいてくれた太陽の匂いのする服に袖を通す。


 着替えを済ませたら買い物袋を手に食堂へと向かい、ランプの灯りが漏れるドアの隙間から室内を覗き込むと、そこにはテーブルにナキタの蔓を広げて新しい籠を編んでいる弟子の姿があった。


 七年前のあの日は、いつも採取に出かけている森の様子がおかしくて。どこか不安定な空気からは、森にいつもとは異なる異質な存在が紛れ込んでいるようだった。思わず同伴者もいないのに『嫌ねぇ……何か辛気臭いわ』と口に出してしまうくらいには、空気が澱んでいた。


 そして採取を始めて一時間ほど経った頃、その心配は案の定現実のものとなった。明らかに面倒ごとで、しかも相当に質の悪い形で。


 最初は転がっていたその汚い塊が何かは分からなかったけれど、嫌々爪先でひっくり返すとそれが人間だと知れた。小さな身体が膨らんで見えるほど火膨れた姿に、微かにしか上下しない胸元。


 一度だけ呼びかけて返事をしないようなら、ここに放置して引き返そう。どうせ三日もすれば獣に食べられているに違いない。そう薄情と言われればそれまでだけれど、当時はすっかり人に嫌気がさしていたあたしは思ったのだ。


 だから『生きてるなら返事をしなさい』とだけ言った。するとその人物は何故か『ニゲテ』と返事をした。


 自分は二目と見られない姿のくせに。割れた硝子を擦り合わせたような不快な声は、性別すら判別が出来なかったのに。てっきり〝助けて〟と言うのだと思った。それがこの場合一番妥当な台詞だったから。けれど、そんな状態でその人物は再び言ったのだ。


 痛みのせいなのか、命の火が消えかかっているからか、震える声で。それでも『ニゲテ』と。雷に打たれたような衝撃……とまでは言わないけれど、一瞬だけ。一瞬だけその言葉に酷く救われた気持ちになった。


 その後〝放っておいて〟とでも続けたかったのかもしれないけれど、そこで気力を使い果たしたその人物は意識を手離した。いつぶりぐらいか分からないほど久々に心が動いた。それに複雑で悪趣味な魔術の痕跡があるその人物に、研究対象として興味が湧いたのだ。


 だから気紛れに拾って持って帰ったまでは良かったものの、目覚めた人物にはそれまでの記憶が一切残っていなかった。それが今、室内で鼻歌を口ずさみながら籠を編む彼女だ。


 眺めるのにも飽きてきたのでドアを開けると、それまで手許に集中していたアリアが顔を上げ、嬉しそうに「師匠! お帰りなさい」と笑いながら駆け寄ってきて、あたしの手にしていた袋を奪い取る。狐色の髪とクルミ色の丸いタレ目が、主を待つ子犬みたいだと思った。


「ただいま。良い子にしていたかしら?」


「勿論ですよ。ほら、これ見て下さい! 次に作る新しい籠は、今までで一番大きくしようと思ってるんですよ。これなら師匠の脱ぎ散らかした服も一網打尽です」


 とんでもなく馬鹿っぽい台詞をとんでもなく腑抜けた笑顔で報告する顔に、七年前の面影は限りなく薄い。唯一まだしつこく残る顔の左半分を覆う傷を隠す包帯の白だけが、邪魔だ。


 澱み、蛇のように執着する魔術の痕跡は、七年という時間を経てもまだどこかで繋がっているらしく、この娘の身体から追い出せないでいた。誰が何のためにこんなことを――と。かつての行いを棚に上げた自分の声がする。


 見下ろすあたしの視線に小首を傾げて「師匠?」と呼ぶアリアの鼻先を摘まみ、誤魔化すために「すぐに夕飯にするから、テーブルの上を空けといて頂戴」と言えば、また能天気な笑みが返ってきて。いつの間にか胸の内側を黒く染めていた一日分の苛立ちも消えてしまったわ。

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