*16* 大失敗の告白劇。
突然の申し出に驚いた表情から、一転。
すぐにこちらの意図を察してくれたマーロウさんが、にんまりとしながら左手に魔力を凝縮させる。鼓膜がクオーツの背に乗って飛ぶ時のようにピンと張り詰め、彼が瞬時にこの部屋全体に高度な結界を張ったのだと分かった。息をするように魔力を構築するところが如何にも師匠のご同類。
異変に気付いたクオーツがお菓子から顔をあげて私の肩に飛び乗ったその時、マーロウさんの左手の指が首飾りに触れた。直後に軽く時空が歪んだ……ように見えたのは、護符が熱した飴かガラスみたいに伸びたからで。
「ギャウウウウゥゥゥ!?」
「うぉええええぇぇ!?」
お菓子を食べてゴロゴロしててもクオーツは歴としたレッドドラゴン。その強靭な鱗を使って師匠が作ったお手製の護符が、マーロウさんの魔力を乗せた指でグンニャリとものの見事にねじ切れた。
自分で頼んでおいてなんだけれど、やっぱりこの人も師匠の友人だけあって強さが人外だ。あの一瞬の魔力圧に殺意が込められていないと分かっていても、生物的な本能が膝を震わせる。ただし――……、
「あちゃぁ……相当魔力込めて干渉させたのに、だいぶ持ってかれたナ。手の座標が欠けた部分再構築出来なくなってル。着けてるやつで一番危なそうなのにしたけど、この護符ルーカスの怨念で出来てるわケ?」
「は? え? す、すみませんマーロウさん!? まさかこれ程の効果があるとは思ってなくて。師匠が作ってくれたものなので、私は詳しくないんですよ」
マーロウさんは私の注文を的確に掬い上げてくれ、物理じゃないアプローチ、つまり純粋な構築前の魔力を護符にぶつけてくれたらしいのだけど……結果は彼の左手の肘から先が消失してしまった。でも一般の人とは違い、全身のほとんどを魔力で構築していた彼は、実質無傷と言えば無傷だ。出血もない。
一応勝機があることを分かってて頼みはしたものの、もしもこうの考察が間違えていたら危うく殺人犯になるところだった。実体がないから殺人とは言わないのかもしれないけど。でもだからといって私の我儘で消し飛んだとなれば、許されることじゃない。
「アリアはさぁ、相手に遠慮がなくなるとルーカスに似てるよネ。これわたしだったから良いものの、生身の人間だったら今頃肉片か壁か床の染みになってるヨ? まぁビックリして顎が戻ったのだけは良かったけどサ」
「軽率なこと言ってごめんなさい! どうしよう……あ、私の座標って修復に使えたりしませんか!?」
「ギュウゥギャウ、グギュギュ!?」
「んふふ、アリア程度の座標じゃ全然足りないヨ。それにそんなことしたらわたし今度こそ消滅させられるじゃなイ。クオーツも慌てないで良いヨ。でもまぁ、面白そうだと思って手を貸したのはわたしの意思だシ。弟子の穴埋めはほら、師匠がしてくれるものでショ」
勢いよく腰から頭を下げていたから私の視界に入ったのは、マーロウさんの爪先と、見慣れた角板付樹枝に淡く輝き始めた床だった。反射的に顔を上げればそこには麗しの師匠の姿。
「アリア!?」
「師匠……!!」
考える間もなかった。珍しく焦った様子の師匠に駆け寄ってその腕の中に飛び込む。こんな場面でもふんわり優しい香水の香りがするとか小憎いなぁ。もしかしてこの人汗腺とかないの? 抱きしめられたまま「どこも怪我はない? 何があったの? 怖かったでしょう……可哀想に」と囁かれる。
その甘やかす口調と声音に、別に怖い目に合ったわけでもないのに涙が滲んだ。大事にされてる気がするから秘密にされてた事の大きさが堪えるのだけど、それが在らぬ誤解を生んでしまったらしく、いきなり幸せな抱擁が解かれた。
「ちょっとマーロウ、クオーツ、あんた達がいながら何て様なの!!」
「えエ~? それを言うならルーカスだって大概じゃなイ? ネー?」
「ギャウ、ギャウゥゥルル!」
「はぁ? この期に及んで結託するつもり……って、あんた腕はどうしたのよ。アリアを泣かせてお前をそうした奴はどこだ? 落とし前つけてやる」
「んふふ、ルーカス、素が出てるヨ。あとこれはアリアをからかおうとしたらこうなっちゃっただケ。その護符冗談は受け付けない仕様にしててよネ」
「からかおうとした……だ? 常時猫みたいだとはいえ、生物学上はレッドドラゴンの鱗使った護符が溶け落ちる程のか。返答次第では今すぐお前の座標を全部書き換えて消滅させるぞ」
「うっわ、怖ァ。そろそろ助けてよアリア」
マーロウさんの空っぽの方の服の袖を引っ張って凄む師匠が格好良すぎて、一瞬見惚れてしまった。慌てて二人の間に身体を滑り込ませて距離を取らせると、クオーツも師匠の服の襟を後ろから引っ張って援護してくれる。流石だ相棒!
「師匠、誤解ですから! マーロウさんの手がこうなったのは私の我儘を叶えるためです! でもマーロウさんも面白がって師匠を煽らないで下さいってば!」
「誤解に我儘――って、ことは、わざとなの?」
「そうです。私が、師匠に会いたいって言ったから……」
あまり向けられたことのないキツイ視線に怯みながらも何とか答えれば、師匠は苛立たしそうに鋭い舌打ちをする。反射的に謝りそうになる口を引き結んでその瞳を睨み返せば、その唇が「失望したわ」と動いた。
「アリア、あんた何を考えてるの。言ったでしょう? 今は一分一秒無駄に出来ないくらいに忙しいの。協力してくれる皆を陣の向こうで待たせてる。今のこの瞬間も迷惑をかけてるの。あたしに会いたいとか、そんな子供っぽい理由でこんなに心臓に悪いことをしないで頂戴」
「グギャウッ! ギャウウウウッ!!」
「うるさいわね、クオーツ。鱗を毟るわよ」
「あーあ、面白半分で加担したわたしが言えることじゃないけどさ、ルーカス。君は一回きちんとアリアと話をするべきだと思うヨ。過保護にしすぎて大切にするものを蔑ろにするのは悪手ダ」
「師弟の話に部外者のあんたが口を挟まないで」
「こういうのは部外者が口を挟まなかったら、絶対もっと揉めるっテ」
師匠の言葉に膝が笑っている。あれだけ偉そうにマーロウさんに向かって啖呵を切ったくせに、声が出せない。足が一歩、勝手に師匠から距離を取る。心臓が暴れ回って息が苦しい。
師匠。
ごめんなさい。
そう言ったら、今の言葉は失くせますか?
不肖の弟子で、うっかり見苦しい行き倒れの私を拾って育ててくれただけなのに、秘密を共有してずっと一緒にいたいだなんて、何て愚かで浅ましい。すうっと冷めていく思考に、残りの護符がジジジジと小刻みに震えた――と。思った瞬間、全部の護符が一気にドロリと音もなく溶け落ちた。
今度はジワリ、顔の火傷跡が懐かしくも嫌な熱を持つ。ジワリ、ジワリ、火膨れの広がる痛みに悲鳴を上げそうになりつつ、これ以上醜態を晒したくなくて歯を食い縛って堪えたけど、隠そうと押さえた範囲より広がっていく。
――ああ、そっか。師匠が私に失望したからこうなったんだ。
妙に納得してしまうと、私のせいで言い争う二人を見つめることの方が、火傷が広がることより辛くなる。数少ない長年の友人関係に、まだ八年足らずのポッと出がヒビを入れてしまうなんて絶対駄目だ。なのでここは当初の目的通り、勇気を出して口を挟むことにする。
「師匠、マーロウさんは私に、師匠が齢うん百歳を越えてる半精霊だと教えてくれたんです。長年の友人関係が壊れるくらいの秘密を、私が知りたがったから。他にもたくさんある師匠の秘密が、欲しくて堪らなかったから」
幸いにも絞り出した声は震えていなかった。黙っていた私の言葉にこっちを向いた二人と一匹の目が、見事に同じ風に見開かれるのがこんな時なのにおかしくて。火傷でひきつる唇の端を持ち上げて笑ってしまった。
「アリア、傷ガ――?」
「護符が……どうしてっ!? 傷を見せなさいアリア!」
「そこから動かないで。傷はどうでも良いので、最後まで話を聞いて下さい師匠」
「あんた何を言ってるのよ? これ以上――、」
「大丈夫です。もう困らせませんから。今ここで私を破門にして下さい師匠。分相応な想いを抱いた愚かな弟子は、もうお傍に置いて頂ける価値がないので。だから師匠は住居を引っ越さないでも平気ですよ。私、ちゃんと出ていきますから」
顔を下げるな。告白するなら目を見てするものだって、図書館の恋愛指南書に書いてあった。思っていた程ドキドキしないのはちょっと残念だけど、師匠の綺麗な顔を見納めるにはこれくらい心が凪いでる方が良い。
師匠はポカンって感じだけど、マーロウさんは……おお、意外にも真顔だ。クオーツは悲しそうに見える。相棒だからかな。
「それから、協力者の皆さんの居場所を教えて下さい。必要な情報提供事項だけ聞いたら、後日教えに行くことを条件に解散してもらいます。私のために動いてくれてたんですよね? 嬉しいけど自分の落とし前は自分でつけに行きます。あ、でもごめんねクオーツ。クオーツには出来ればついてきてほしいんだぁ」
大丈夫。ちゃんと滑らかに話せてる。傷の痛みもまだ失望された痛みよりは我慢出来る範疇だ。クオーツは即座に「ギャウ!」と鳴くやこっちに飛んで来てくれて、肩にとまって傷口側を翼で隠すように覆ってくれた。
師匠達の方を向いて微かにカチカチと牙を鳴らすみたいに聞こえるこの音は、火を吹くための気管が鳴らす威嚇音なんだっけ。優しい子だ。もう自由になって師匠。本音を言えばこれ以上嫌われたくないんです。
「さぁ、師匠。景気よくこの馬鹿弟子を破門にするって言っちゃって下さい!」




