*15* 嘘つきは初恋泥棒(師匠)の始まり。
座標が皮膚を突き抜けて滑り込んでくる。座標は世界の理。誰か他人を象るそれに侵食されたら、下手をすれば元の自分を忘れてしまう。魔術を齧っていればどれだけ小さい子でも知っていることだ。
だというのにそんな危険なことをあっさりとやってのけてしまう非常識さは、流石は師匠の古い友人だけある――……って、暢気に感心している場合ではない。何とか状況を把握しようと闇雲に手を伸ばそうとしたその時、勝手に口が『お弟子ちゃんには話したノ?』と動いた。
ついさっきまで聞いていた微妙な訛りのある独特な声。それが喋った気のない私の喉から発せられている。訳が分からないで焦る間にも、視界に私のものでないしなやかな手が現れる。それがヒラヒラと動いて、また。
『ねぇルーカス。だんまりってことは、ちゃんと話してないって言ってるのと同じだヨ。わたしは面白いことは好きだけどさ、それで恨みを買うのは嫌なわケ』
そう飄々とした声で淡々と無責任な言葉を紡ぐ。そこでようやく理解した。これは昔師匠の蔵書で読んだ禁術の一種で、他人の座標と自分の座標を縒り合わせて記憶を覗き見るやつだ。師匠が魔術狂いと呼ぶマーロウさんなら可能だろう。
ただ禁術指定を受けた理由が【やられた側の脳が壊れる】ことだと考えれば、この人は本当に野に放ってはいけない人種だ。でもそれよりも気になるのは――。
『あんたは本当にぶれないクズねぇ。心配しないでもアリアはもうどこだってやっていけるわ。色んな人間と接して、自分の居場所を作れる強かさも手に入れた。拾った者としても師としても、やるべきことはやったわ』
はあぁ? 何をサラッと嘘ついてるんですか師匠! 一回発症した人見知りは生涯治らないんですよ!? それに師匠が世話を焼いてくれる代わりに、私も師匠の人間らしい住環境の世話をしましたから五分五分ですし!?
『わたしがクズなのはそうだけどさ、ルーカスも人のこと言えないでショ。まぁ座標のオバケな君のおかげで、久しぶりに肉体がある感覚を味わえるのは悪くないネ。すっかり忘れてたヨ。肉とか血って重いんだっタ』
しかも自分の喉が震えてるのに何か全然違う強者な発言するの恥ずかしい。脳が壊れるってこういうのの積み重ねだったりするんだろうか……?
『人間辞めてまだ数十年程度でその表現はどうなのかと思うけど、考えてみたらあんたはずっとこっちよりだったものね』
『まさカ。半精霊――っていうかほぼ精霊の君と、善良な人の子のわたしが同類なわけがないじゃなイ』
『ハッ、謙遜するじゃない。一回善良の意味を辞書でひき直すと良いわ』
『お弟子ちゃんの前で若作りしてるウン百歳の男よりマシですけド』
『ああ゛?』
『んふふ、図星指されてキレるの止めてもらえますゥ?』
…………え?
…………ちょっ、ま?
…………そっちなんです?
師匠のことは人類離れした美人で、イヤミの塊みたいな天才で、そのくせ怪しい子供を気まぐれで拾って育ててくれたり、かと思ったら掃除が一切駄目みたいな隙があったりする、ちょっと癖を詰め込み過ぎた初恋泥棒だと思ってましたけど!
というか、そんな大事なこと弟子の私によくも長年内緒にしてたな! 洗濯物のシミが取れないからって内緒にするのと訳が違いますよ?
マーロウさんの身体の中で絶句している間にも、共用中の彼の喉が震えて。向かい合う師匠が小馬鹿にしたような表情で何か会話を交わしているけど、衝撃が強すぎて彼の座標に縛られていた精神の共用がほどけた。
直後に入ってきたのと同じように私の座標がグンッと引っ張られて――……気がつけば、睫毛が触れ合いそうな距離にマーロウさんの顔があった。
「急にあられるから、術が解けひゃったネ。ろオ? 知りらいころ、わはっタ?」
「…………あ、えっと、はい」
「んふふふ、惜しかっらね、アリア? 半せーれーは彼のほうらヨ。わたしに座標を貸しらのも、あの子らを連れへきらのも、みんな、君のたメ。アリアを虐めた連中は……ろうなるかナ」
そう言っていつもの飄々とした笑い方ではなく、どこか試すような、それでいて子供をあやすように細められた双眸には、ジークさんと同じ歳を経た人ぽっさがあって。師匠の言葉を信じるなら、こんなに綺麗な女性なのに中身は擬態した男性なのか。女子力が高いにも程がある。
「ね、それれ今アリアはろんな気持ひなノ? 幻滅しタ?」
けれどすぐに思慮深そうな視線を引っ込め、擬態した姿を活かして可愛らしく小首を傾げる中年(?)男性。元の顔を女性にしてこれなら美人には違いないものの、だとしたらやっぱりちょっとムカつく。
それに師匠と秘密共有しちゃう仲の良さも嫉妬してしまうし、師匠も師匠でウン百歳なのに美人とか許せん。
「美魔女なのか美オヤジなのか、恋愛対象が男女どちらかなのか、どちらもなのかはっきりしてほしい……ですかね。というかそもそも、私が勝手に師匠を好きになったんです。幻滅なんてありえない。ただ自分の落とし前くらい自分でつけますから、一人で決めて置いていかないでほしいです」
私の精一杯の強がりにマーロウさんは愉快そうに笑って「君なら、そう言うと思ってラ」と。あまり長く一緒にいたわけでもないのに、私のことを知った風になってるって保護者兼師匠としてどうなんですか。
だから師匠。
弟子は話し合いの機会を設けようと思います。
「マーロウさん、今すぐ私を思いっきりひっぱたいて下さい!」
その言葉で掴みどころのない彼が目を丸くした瞬間を見られたのは、きっと私だけですよ師匠。




