*13* あの疑問、再び。
デッキブラシの照準をまだまっさらな雪山に合わせて座標を編む。特に難しいことは考えないで全部四角にする。本当ならこんな面倒なことしないで、全部クオーツの炎で溶かしてしまいたい。でもそれが出来ない理由が今の私にはあるのだ。
お屋敷の窓辺から外を見て手を振ってくれるお祖母様や、仕事の手を止め固唾を飲んでいる使用人の皆に頷き、デッキブラシを握る手に力を込めた。
「アリアねぇね、いまのもっかい! もっかいやって!」
「もっともーっと、やってやって!」
今日も座学を終えて一番最初に外に飛び出したのは、双子のアムラとメルラ。兄の方がアムラで弟の方がメルラ。どっちも胡桃色をしたクルクルの癖毛で、同じ色の瞳をした五歳児。ちなみに先の台詞が兄、後者が弟だけど……同じ歳だからわざわざ上下決める必要があるのか謎。
それに初めて対峙する幼児というのは魔物と変わらないと気付いたのは、出会った初日のことで。あれからすでに三日経った今だと、その気持ちはもっと強いものになりつつある。母親業ってギルドに持ち込めば仕事になるんじゃ……?
結婚もしてないのに育児疲れとかさぁ。不機嫌なクオーツは私の肩の上から動かないから肩こりも酷いし。師匠が戻ってきたら好きなご飯作ってもらって、褒めちぎられないと割に合わない。
はしゃぐ双子は階段状に積み上げた雪に登ってご満悦だ。やっと育児から解放されたと胸を撫で下ろしたのも一瞬。今度は横から控えめにコートの袖を引かれて振り返ると、栄養失調気味で痩せっぽっちな麦色髪のセーラだった。伏し目がちな瞳は灰色だ。
「見えない箱に乗せて上空に持ち上げるのも、やってほしいです……先生」
モジモジ、オドオドとこっちを見上げる七歳女子のお願いを断れるほど、私も鬼じゃない。気分的に疲れてるけど肉体的には元気だし。
「んー、良いよ。どのくらいの高さまで持ち上げてほしいとかある?」
「は、はい! あ、あの木の先っぽまでくらい」
疲れつつ安請け合いしてそう返事をする私の肩で、クオーツが「ギャウゥ……ムゥ」と呆れたように溜息をつく。うん、自分から面倒ごと増やしてるって言いたいんだよね、分かってる。しかも指定された高さが結構高いなぁ。あの高さだったらクオーツの背中に乗せてもらった方が楽では?
とはいえやると言った手前やらねばなるまい。腕まくり……は、寒いから実際はしないけど、心の中でやって精神統一。装飾過多なデッキブラシを掲げようとしたら、次なる刺客が現れた。
「デッキブラシ先生、あたしもセーラと乗りたい!」
「嫌でーす。人のことデッキブラシ先生って言う子は乗せてあげませーん」
「あー! そういうの大人ねないって言うんだよ!」
焦げ茶色の髪と鳶色の目をした生意気なケイトはセーラと同じ七歳女子。口が達者で性格はセーラと正反対。とにかく座学の時間中も双子並に落ち着きがない困った子だ。悪い子ではないんだけどねぇ。
「はいはい、大人げね。別にそんなもんなくて良いでーす」
「むぅ……じゃあ、アリア先生。これでいい?」
「ん、よろしい。セーラと手繋いでそこに立って。いくよー」
今度は雪山を角砂糖みたいにするよりも緊張するやつなので、口の中で座標を呟いて魔力を構築していく。イメージはザクザク編んでいくブドウの蔓を使った籠。目は多少荒くても構わない。中身が溢れないくらいの底が丸い籠だ。何で丸籠かっていうと、丸い方が魔力の糸みたいなのを減らせて楽だから。
狙い通りケイトとセーラの足元から、術者以外には見えない不可視の籠が編まれていく。ある程度編み上がったら地面からそっと持ち上げるも、如何せん底が丸い籠なので二人がよろけて尻餅をついた。でも気にしない。ようは中身が落ちなければ良いのだから。
ゆっくりゆっくり、なるべく揺らさないように集中して木に幅寄せする。こっちの緊張なんてお構いなしにはしゃぐ二人が、キャアキャア言いながらお目当ての木の先端に触れたのを確認したら、そーっと高度を落としていく。
途中で私の集中力が切れても大丈夫なようにクオーツが肩から飛び立って、二人の周囲をぐるりと警戒してくれた。面倒見の良いドラゴンで嬉しい。後でご褒美をやらねば。
無事に地面に見えない籠を着地させ、不可視の籠を編んでいた魔力を巻き取っていると、二人が駆け寄ってきて――。
「せ、先生、ありがとうございました。これ、あの木の先に積もってた雪。この辺りに積もったもので、一番キレイだと思うの」
「そーそー。だからね、これで雪うさぎ作ってあげる!」
そう言って二人が得意気に上着のポケットの中から出してきた雪は、服の糸屑がついて決して綺麗じゃなかったけど。何だか自分が初めて師匠に持って帰った、泥だらけの薬草に似ていて。当時の自分の気持ちを思い出し、この二人もあの時の自分と同じ気持ちなのかと考えたら、気恥ずかしくて嬉しかった。
「あー……うん、ありがと。期待してる。赤い実ならあっちにあったから、行っておいで。ここから見えるところで作ってね」
素直な返事を残して駆けていく背中を見送ったら、クオーツがまた襟巻になりに舞い戻ってくる……が。
「隙あり――って、イテテテテテ!!」
「グルギャウウウゥウ!!」
「よしよーし、クオーツ。流石は私の頼れる相棒。それはそうとナッジ、奇襲するのいい加減止めたら。そのうち取り返しのつかない怪我するよ?」
「うっせぇ! オレは他の奴みたいにあんたのこと認めたわけじゃねーからな!」
雪が積もった庭木の陰から飛びかかってきた人影を、襟巻に擬態する前だったクオーツが地面に押さえつける。牙を剥いて威嚇する姿は小さいながらも頼もしい。噛み付いたり爪で怪我をさせなければ問題ないだろう。
初日に人のことを散々弱そうやら間抜け面やら言って噛みついてきたこの少年。師匠から預かった子達の中では一番歳上の八歳。ボサボサの黒髪に緑の目。ヒョロガリなくせにやたらと敵意が高い。どうも凄腕で美形な師匠の弟子が、私みたいに才能も容姿もパッとしないのが許せないらしい。
魔法座学の授業でも『こんな地味なことやってられっかよ!』と言って、ほとんど居眠りしてるから実質没交渉中だ。学ぶ気がないやつは他の子の足を引っ張るから放置。私貴男のママじゃないので。
「ふぅん、あそ。てことらしいから、クオーツ、野生の教育的指導よろしく。ご褒美は厚切りベーコンね」
怒りで炎を吐きそうなのを我慢して鼻から煙を出してるクオーツにそう言うと、大型犬ほどの大きさに姿を変えたレッドドラゴンは「ギャウッ、クルルル」と可愛らしく鳴いた。その下で「このまま置いてくな!」と言うナッジを無視して、休憩しようとガゼボに向かう。
でもそこにはすでに先客がいて、こちらに気付くとニコニコしながら手招き、ベンチの隣を叩いた。苦笑しながらガゼボに足を踏み入れて促されるまま座る、と。
「んふふふ、アリアってば人気者ダ~」
「マーロウさん、見てたなら手伝って下さいよぉ。あれはそういうんじゃないですって。特にナッジ。他の子達は子供らしく好奇心旺盛だからまだ良いですけど」
「だっておも――微笑ましくてついネ」
「今面白いって言いかけましたね? 別に良いですけど。ただ何だって師匠が私にあの子達を預けようと思ったのかさっぱりですよ。人見知りがマシになったとはいえ、人に教えることなんか向いてないのに」
「そうかなァ? 座学を見る限りでは意外と先生出来てると思うけド」
慣れない仕事で溜息をつく私を横目に、そう含みのある笑みを浮かべつつ、何処からか温かい紅茶の入ったティーポットとカップを出してくれるマーロウさん。フワフワな毛皮に身を包んだ彼女からは、甘い花の蜜のような匂いが。
あと以前までよりかなりくっきり視えるのだけど、それで分かったことがある。この人の名前が聞き取れるようになったのもそうだけど、出るとこ出てるし、細いところは細いし、声はちょっと低めで耳に心地良いし……儚げな美人さんだった。
師匠の古い友人が儚げな美人さんだった。とても大事なことなので二回唱える。だからなんだという話だけど、気にするなという方が無理だ。二人の過去に何があったとしても弟子の私に関係はないけど緊張する。
師匠が初めて彼女を紹介してくれる時に言っていたのが、
『ハズレ。昔のあいつは魔術狂いの男で、魔術に魅入られたって言うのかしら。分不相応な術式の構築をするのに足りない分の座標を、自分を構築している座標から抜き取ったの。だから自身の性別も存在もあやふやになってしまって、今や半分精霊みたいな何かよ』
――という冗談か本気か判別しにくいあの発言だから尚更。今が女性でも昔は男性だったってことは、やっぱり師匠は恋愛面だと男性が好きなの???
グルグル思考していた目の前にティーカップを差し出されたのでお礼を言って受け取り、一口飲む。師匠の護符のおかげで寒さを感じることはないけど、雪化粧の施された庭で飲む温かい紅茶は格別だ。
「どーしたのアリア、難しい顔しちゃっテ。何か気になることでもあル?」
「えっ、あ、その、あったら聞いても良いんですか、マーロウさん」
「勿論良いヨ。でも、んふふ……ルーカス以外に名前呼ばれるのって久しぶりで照れちゃうナ」
恐らくこちらの顔色を見て切り出してくれただろう内容に全力で乗っかりつつ、師匠と名前を呼んだり呼ばれたりする親しい間柄だったことに、胸の奥がほんのちょっとだけ痛む。でも確認するんだ。弟子として師匠を支える心に変わりはない。だからこそ今後の身の振り方のためにも聞くんだ――!
「も、もしかして今回マーロウさんが伝言を持って来てくれたのは、えと、師匠とよりを戻す報告のついでだったりとか、しますか? 同棲となるとあの通りの汚城なので新しく部屋を用意しなくちゃ駄目で、えっと……だから、掃除婦として私も今まで通り同居させてもらっても大丈夫です?」




