*9* 祖母と孫娘とドラゴンの一日。
膝の上に置かれた木箱の中には年代物から比較的新しい時代の物まで、到底私の稼ぎでは買えないような髪飾りが詰まっている。でもどれも祖母には若すぎる意匠だから、もしかするとこれは母の残していったものなのかもしれない。
視線をあげて鏡に映る祖母を盗み見る。優しい手つきでバラの香油を髪にまとわせ、丁寧に丁寧に梳かしてくれる口許には穏やかな微笑みが浮かんでいた。
今でも品があって綺麗なのだから若い頃はさぞかし美しかっただろう……というか、実際に美人だった。祖父も厳しい顔つきの人ではあるけど、額の形や鼻筋の整った男前だ。
初日に顔を憶えていないと言った母の肖像画と一緒に、家族で描かれたものも見せてもらったのだ。ちなみに母も娘の私に少しは片鱗を残せと言いたくなる美人だった。どうやら髪質しか似なかったらしい。ならこの残念な凡人顔成分は恐らく全部父のせいだなと思っていたら、鏡越しに祖母と視線が合った。
「今日はふんわりした編み込みにしてみたわ。どうかしら?」
ずしりとした手応えの手鏡を渡されたので、今まで鏡台の方を向いていた身体を反転させ、後ろ姿が手鏡に映るようにする。器用に編み込まれた真珠の縫い付けられたリボンと、顔の半分を隠す眼帯との異色の共演。でも不思議と悪くない。
「可愛くして下さってありがとうございます、お祖母様」
やや照れ臭くはあったけどお世辞抜きでそう答える。すると祖母は嬉しそうに微笑んでくれた。
師匠達が屋敷を離れて、今日で四日目。
お祖父様がいない間は女主人の祖母と使用人さん達、私とクオーツという編成の生活も一定のリズムが出来ていた。
朝食は大体クオーツの腹時計で八時半。でも私と祖母だけで食事をするのに食堂は広すぎて落ち着かないと訴えたら、祖父が戻るまでの間は特別に私の部屋で食べる許可が出た。勿論祖母も一緒だ。
向い合わせで食事をとりながらの会話と言えば、昨夜は眠れたかだとか、天気の話、バラの品種、好きな紅茶の銘柄、これまで読んだ本の話、森での生活、クオーツの特技、母の幼い頃の思い出話なんかだ。お互いに半歩ずつ距離を縮めるようにぎこちなく、だけどそれなりにのんびりとした時間を過ごす。
初日に祖母の食の細さと、それに比例した身体の細さが気になったものの、一緒に食べている私とクオーツの食い意地がはっているからか、つられて少し多めに食べるようになった。食事の合間にも良く笑うし、良い傾向だと思う――と。
「うぅん……でもこの髪型ならそちらの髪飾りの方が良いかしら? クオーツちゃんはどう思う?」
「ギャウー……ギャウゥ」
「そうよね。せっかく量もたっぷりあって綺麗な髪なのだもの。やっぱりそちらの大振りの物の方がアリアには似合うわね」
「ギャウッ!」
「ああーっと、お祖母様、大丈夫です。クオーツも考え直して。午後からの勉強に集中したいから、頭が重くなるようなのは勘弁して下さい」
ちょっと油断していたらクオーツが膝に乗せていた箱の中から、祖母に大きな宝石がついた髪飾りを渡そうとしていた。慌ててその髪飾りを取り上げて箱の底に隠すと、一人と一匹(頭?)は残念そうに顔を見合わせている。こういうところはすっかり仲良しだ。
午前中は今みたいに髪を整えてもらったり、場所を図書室に移して私は読書、クオーツは二度寝。女主人の祖母は届いた手紙を家令さんから受け取って、中身の確認をしたりして過ごす。それが終わったら祖母から、精霊信仰をする教会の話を聞かせてもらうのだ。
彼女自身にはあまり精霊との繋がりを表す魔力がないものの、一族の期待に応えようとして学んだ知識は今も衰えることなく血肉となっていた。だから祖母は師匠がいない間の私の先生でもあるのだ……が。
「アリアは勉強熱心なのね。でも安心して頂戴。その髪飾りは見た目ほど重くはないのよ。試しにつけてみない?」
祖母、めげず。クオーツも大きく頷きながら髪飾りを発掘しようと、私の手を引き剥がそうとしてくる。二対一とは分が悪い。くそぅ、かくなる上は――。
「お、お祖母様。まだ少しお昼には早いですけど、昼食にしませんか? それで午後の授業を長めにとってほしいです」
振り向き様に上目遣いで小首を傾げてのおねだり。師匠がここにいたら付け焼き刃のあざとさだと笑われそうだけど、孫娘慣れしていない祖母には充分有効だった。滑らないで良かったと思う反面、心に虚無感を感じたのは秘密だ。
***
日中あれから祖母を教師にみっちりと勉強をし、一日の予定をこなした夜の自室にて、現在は目の前の絵本とにらめっこをしている真っ最中。たぶん母も読んだことがあるに違いない古い物だ。
「えーと……精霊王達に力を借りた十二人の賢者の名前は、と。こういう宗教的なのは師匠が嫌いだからやったことがないんだよなぁ」
「ギュル、キュキュー?」
「やっぱりクオーツもそう思う? 一週間の暦は精霊王の名前だけど、十二ヶ月の暦は賢者達で構成されてるのにさ、王様と賢者の数が釣り合わないのは納得出来ないよねぇ?」
「ギャーウ、ギュルル」
クオーツとベッドに腹這いに寝転びつつ、祖母に『これは入門書だから学びやすいわよ』と薦められた絵本に突っ込みを入れる。絵本には一週間の暦に入れてもらえなかったガルツの王様のお話も載っていた。早々に十二ヶ月の賢者と七人の精霊王の謎に飽きた私達は、そっちのお話に興味が移る。
〝むかし むかし あるところに とても けんきゅうねっしんで けれど だれにも みとめられない まほうつかいが いました〟
その物語は平凡な能力しかない青年魔法使いが、研究に研究を重ねて魔導師になろうと足掻く途中で、次第に熱意が野心に、野心が妄執に変質していき、そこをガルツに気に入られて力を貸してもらうというものだ。
ガルツは美しい女性の姿をとって青年の傍に身を置きつつ、甘い言葉で彼を破滅に誘う。邪精霊らしく彼女は清らかな魂が黒く汚れていくのを見るのが好きなのだ。でも青年はガルツのそんな心を知りつつ、初めて自分を認めてくれた存在へ依存していく。
結果として、お話は青年の破滅で終わる。唯一の救いは、それを望んだはずの彼女がいつの間にか彼を愛してその子供をお腹に宿し、産み落とした子供を人間界の教会に預けて消滅する――といったものだった。
「うわ……これ、良い話っぽくまとめてるけど、親が身勝手すぎる。子供この後どうなっちゃったんだよぉ……」
盛大な〝お前が言うな〟だけど、同じような経験をした立場からすると心から同情してしまった。クオーツも隣で納得いかなさそうな渋い顔をしている。寝る前に読むには感情移入しすぎてしまう絵本を閉じ、眼帯を外してサイドテーブルのランプの明かりを絞った。
「このお話の子供もさ、私みたいにひねくれてるけど優しい師匠に拾われて、クオーツみたいな相棒と出逢えてたら良いよね」
「クルルルルル、キュー」
ギュウッと抱き締めたクオーツの温かいような、冷たいような感触の鱗に頬擦りしながら、ふっと思い浮かべるのは。世界で一番傲慢で厳しく美しくて優しい。大好きな師匠の顔だった。




