*8* お祖母様と一緒(要は留守番)
「いーやーでーすー、私も連れてって下さい! というか私を連れていくのが普通じゃないですか師匠。何で弟子でもないオルフェウス様は連れていって、弟子の私が留守番なんです?」
「いきなり反抗期になったわねぇ……何回説明させる気なのこの子は。失敗出来ない仕事が急に入ったんだから仕方ないでしょう」
傷の治療に飛んできてくれた師匠と感動の再会を果たし、私が鼻をぐずつかせながら朝食を食べている間に、宣言通りオルフェウス様とクオーツにお話をつけに隣室に移って。やっと戻ってきてまったり紅茶で一息つけたのも束の間で。
私が完全に泣き止んだと分かると、師匠は凄く良い笑顔で『それじゃあ、あんたの傷も元の大きさまで戻せたことだし。仕事に行くわよエドの坊やとダントン様』と、お祖父様とオルフェウス様を振り返ったのだ。
八年の付き合いがある弟子の私じゃなくて、百歩譲ってジークさんやレイラさんならいざ知らず、最近まぁまぁ付き合いがあるとはいえポッと出のオルフェウス様と、ほとんど付き合いのないお祖父様を。これが納得出来ようか? 答えは当然否しかない。断固否だと叫びたい所存。
こちらを見るオルフェウス様の呆れた視線も、ティーカップの底で紅茶に溶け残った砂糖を舐める意地汚いクオーツも、事態を見守る祖父母のおろつく気配も、悪いけど今は無視だ。
「それともなぁに? あんたは最年少で宮廷魔導師になった子に能力で勝てちゃうわけ? もしもそうなら喜んで連れていくけど」
「あっ、ん、んー……! それは絶対に逆立ちしたって無理ですけど。だったらどうして魔法が使えないお祖父様まで一緒に連れていくんですか?」
「今回のは貴族絡みの難しい仕事なの。なら貴族の揉め事の仲介に貴族を使うのは普通でしょうが。ちょうど弟子の身内にいたから使わせてもらうのよ」
「まだ〝身内になろうかな~〟くらいの段階で繊細な関係なんですよ? それとももしかして今回の話って師匠の仕事に必要だったとかじゃ……」
「あ? それはないわよこのお馬鹿。あんたあたしのことを、犠牲がないと貴族の仕事も取れない能なしだと思ってるの?」
急にスッと細められた紅い双眸に動物の本能的にドキッとして息を飲む。怜悧と評するのにぴったりな美貌。常なら多少の我儘を聞いてくれる師匠は、こういう時は本気で苛立つ手前なのだ。
「それは……思ってません。ごめんなさい」
「そうよね、うちの店の顧客はほとんど貴族だもの。今さら新規も必要ないし。そういうことだから良い子にしてたらすぐに帰ってくるわよ。分かったらクオーツとお祖母様と一緒にお留守番してなさい。ね?」
食い下がろうとしたところで凄んで見せたかと思うと、次の瞬間には幼い子供を諭すように柔らかい声音で顔を近付けてくる師匠が憎い。ただでさえ百人いたら九十人は魂を抜けそうな美貌なのに、惚れた弱味がある私にはさらに効く。頬が火照る前に身を引いて呼吸を整えた。
「ぐうぅぅ……わ、分かりましたよ。でも本当にすぐに帰って来て下さいね」
これ以上の抵抗は無駄だと悟った私がそう言うと、オルフェウス様は「最初からそう言っていれば良いものを」と言い、お祖父様は「お前まで犠牲にするつもりはない」と首を振った。お祖母様もそこは同様。二人の古傷を抉ったことに気付いて若干気まずくなる。
結局その後はすぐに三人が用意されていた馬車に乗り込み、オルフェウス様のワイバーンが上空からその馬車を追いかけるのを見送ると、お屋敷には使用人さん達と当主の奥様、そして昨日孫認定されたばかりの私とお利口なドラゴンが残った。
はっきり言って居たたまれないし落ち着かない。忘れかけていた人見知りが頭をもたげ始める前に、どこか掃除をさせて欲しいとメイドさん達に声をかけたら、そんなことは絶対にさせられないと断られた。掃除する許可が下りなければ、魔法のデッキブラシもただの奇抜なインテリアだ。
人がいなくなってガランとした応接室に残るのも無意味なので、ノロノロと与えられた自室に戻り、お腹がいっぱいになって眠たそうなクオーツと天幕付きのベッドに仰向けになっていたら、控えめにドアがノックされた。
ベッドの上に座り直して緊張気味に「どうぞ」と声をかければ、現れたのは意外といえば意外な人物。彼女は後ろに控えていたメイドさん達に下がるように言いうと、一人で部屋に入ってきてベッドに近付いてくる。
「アリアさん、少し良いかしら?」
「アリアで良いですよお祖母様。私はこんなのでも貴女の孫娘なんですから」
「ふふ、ありがとう嬉しいわ。ではアリア、お願いがあるのだけれど今少しだけお時間構わない?」
そう言って気弱そうに微笑むお祖母様の手にはやたらと意匠の凝った箱。売れば結構お金になりそうだなと思いつつ、そんな下世話な考えが目に出ないように心がけて口を開く。
「お願いっていうと畑を荒らす害獣退治とか、煤が詰まった煙突掃除とか、側溝に詰まったスライムを分解しろとか、素材になる魔物を狩ってこいとかですか?」
「まぁまぁ……随分と幅が広くて難しそうなお願いなのねぇ。でももっと簡単なことだから安心して頂戴」
「んん? そうですか? どれも比較的簡単なお願いに入ると思いますけど。ね、そうだよねクオーツ」
お貴族様のお願いはこれより簡単なことなのかと困惑してクオーツに振れば、師匠を除けば生物学的には頂点なレッドドラゴン様も「ギャウ、ウー?」と首を傾げている。そうだよねぇ。師匠のお願いは大抵そんな感じだから、常人のお願いが分からないや。
けれどお祖母様はこちらの困惑に気付かないのか、ベッドの端に腰かけて「貴女の髪を結わせてもらいたいの」と。だったらこっちの答えも「そんなことなら、ええ、良いですよ」で済んでしまう。
本当に拍子抜けするぐらい簡単なことだ。とはいえ、他人に髪を触れることは人見知りには充分に緊張する類いのお願いではある。ただ嬉しそうにしているお祖母様を見ていたら、母が出来なかった〝孝行〟をしたのだと思えたから。
「――あぁ、やっぱり。貴女の髪質は娘に、エレノアに似ているわ」
開口一番そう懐かしそうに、意匠の凝った箱の中から取り出された櫛で髪を梳かしてくれるお祖母様の顔は、背を向けた私からは見えないけれど。サクサクと櫛が通される髪を通して見る過去の記憶を思った。




