★6★ 光のささない場所。
水鏡魔法で姿を借りたメイドを眠らせ、記憶改竄の魔法を施して勤務時間内のメイド達の証言を偽装し、屋敷内を探索すること三日目。腐った屋敷の内情を証言できそうな駒も数人用意できたし、手癖の悪い使用人をメイドの姿を借りたまま脅すこともできた。
付け入る隙がありありな屋敷で助かるけれど、逆にどれを使おうか精査するのに時間がかかりそうではある。人身売買をやりつつ売春窟を経営とか、当初こそ胸焼けしそうなクズぶりで大満足だったけれど――。
「流石のあたしも、連中がこれほど腐ってるとは思わなかったわね。ここにアリアがいたって言うのなら、記憶が失くなっててもおかしくない。大丈夫レイラ?」
「………………うぅ」
「無理に喋ろうとしなくても良いわ。連中をどうやって懲らしめてやろうか考えてなさい」
悪臭のする生ゴミみたいな食事の乗ったトレイを手に、コソコソとしていた顔色の悪いメイドに「ねぇ、わたし明日デートでどうしても仕事を抜けたいの。だから明日の分の仕事を代わってくれるなら、餌やり当番代わってあげるわよ?」とカマをかけたら、大喜びで交代してくれた。
――で、足を踏み入れた地下牢には、この世の地獄が広がっていた。
鼻をつくカビと汚物の入り交じった臭い。古い血の臭い。冬場でこれなら夏場はどれほど酷い状況なのか想像に難くない、そんな場所だ。
動く気配のない小さな子供が数人、壁に鎖で繋がれている。こちらが持つ頼りない蝋燭の明かりに照らされた子供達の肌は、出逢ったばかりの頃のアリアよりは幾分マシだが、それでも眉を顰めてしまうような爛れが全身にあった。
【呪い避け】として優秀だったアリアがいなくなったあと、この地で微弱ながら同じような能力を持った子供が姿を消していたのは、間違いなくこれが原因だろう。そして命を落とした数はここにいる子供の比ではない。アリア一人で耐えていた呪いは、この子供達が数十人でかかっても耐えられないものなのだ。
今では禁呪となった【呪い避け】は、爛れの範囲は恨みを買った分だけ広がるとされている。だとすればどれほどの恨みを買っているのか。それとも呪いを肩代わりしてやるとでも言って、そういった身に覚えのある太客を掴んでいるのだろう。心底呆れたものだ。
とはいえこれだけの人数を一介の商人が一人で用意できるものではない。背後にもっとキナ臭い繋がりがありそうだ。
生ゴミの乗ったトレイを不潔な床に置いて、繋がれている子供達の鎖を壊していく。枯れ枝のような手首をとって脈をはかるものの、残念ながらもうどの子供も手遅れだった。魔力を構築して雪の結晶を模した魔法陣を描き、そこに子供達を横たえて浄化魔法をかける。せめて清潔な状態で弔ってやりたかった。
やるせなさと一抹の虚無感を味わっていたら、隣に膝をついたレイラが子供達の爛れて痩けた頬に触れて「よ、くも……こ、んな、惨いこと、を……」と咽ぶ。こんな風に人間の汚いところに触れても、人間らしい優しさに救われるけど――。
「爆破、しましょう……こんな屋敷。使用人、もろとも、消しましょう」
直後に地を這うような声音でそんなことを口にしたレイラに安心した。この場で悲しみを怒りに転化できる。それだけ彼女が強くなったということだ。
「あら、過激で素敵ね。でもまだ駄目よ」
「どうして、ですか?」
「ここにいるこの子達がこうなったってことは、近く新しい【呪い避け】になる子供を仕入れてくるでしょうね。おそらくここ数日あの馬鹿娘の両親の姿が見えないのはそのせいだわ。そしてこれであたしが立てた仮定が確実なものになった」
「仮定?」
「ええ。両親のうちのどちらかが禁術上等な下法使いで、こういう特殊な能力を持った子供を嗅ぎ分ける能力に長けているってこと。まぁそうじゃない方も度し難いクズだけどね。この子達はあとでジークのところに一緒に転移して、傭兵用の墓地に埋葬してもらってくるわ。それまでは誰にも触れられないように結界を張っておく。あたし達は一旦上に戻るわよ」
そう言って泣き腫らしたレイラの目蓋を一撫でして元に戻し、彼女の手をとって立ち上がらせる。
そのまま何気ない風を装って階上に戻り、すっかり間取りも憶えて勝手知ったる気安さで歩いていたら、不意にパキンと薄氷を踏み破ったような音が体内に響いて立ち止まる。アリアに付与していた魔力が破られたのだ。
すると僅かな間が生じただけなのに、その微妙な変化を嗅ぎとったレイラが「どうしました?」と声をかけてくる。あの気遣いのできない上司の元にいるからなのか、それとも人の顔色を窺ってばかりだった過去からか、どちらにしても目敏くて鼻の利く子だ。
「別にそんなに大したことじゃないのだけど、あの子に持たせていた護符が一つ砕けたみたいね」
「えっあの、それは……充分大したことだと思いますわ。彼女の身に何かあったのでしょうか」
「まぁ確実に〝何か〟はあっただろうけど、護符が反応したなら無傷でなくても命に関わるような大事にはなっていないわ。だけど、面白くはないわね」
地下の惨状を見た後なせいか、やや尖った声を出すレイラに軽く答えたけれど、護符が反応したということはアリアが恐怖を感じたということだ。それもちょっとやそっとじゃない恐怖を。クオーツとエドモントの坊やをつけていたのに、奴等は何をしていたのか。帰ったら多少の仕置きが必要だろう。
やはり顔の傷のことで祖父母に何か言われたか。だとしてもアリアならそんなことで恐怖を感じたりしないはず。あの子ならこれ幸いと怒ったふりでもして即日城に帰りそうではある。
「もしもあっちで祖父母に虐められたのなら、ちょうど確かめておきたいこともできたし、現保護者として顔を見に行ってやろうかしら?」




