*5* 歩み寄るのはどっちからでも。
「えー……それではまず自己紹介から。私はアリアです。歳は先日十八歳になったところで、姓は憶えていません。両親のこともほとんど記憶にありません」
「わたしはダントン・ガーフィール。先程倒れたのは妻のサラだ。今日は遠方から出向いてくれたというのに……すまぬな」
「いえ、ドラゴンでお伺いしますと先にお伝えしていなかったこちらの落ち度です。驚かせてしまって申し訳ありません」
「そうか……」
「はい」
あっさりと会話が途切れる。これだとほとんどただの自己紹介だ。ちらりと視線を隣に座ってくれているオルフェウス様に向けるも、彼も視線で〝処置なし〟と告げてくる。だよねぇ。
世間一般の祖父と孫の初対面がどんなものかは知らないけど、たぶん本来はもっと打ち解けた感じなんだろうな。孫の両親が隣にいて、どちらかが祖父母の子供で、家族の輪が広がっていく――みたいな。そんな楽しい席。
だけどうちは祖父母が私の母である娘を、身分違いの男……私の父を選んだことで追い出した。そうして絶縁されたものの父の商売は軌道に乗って、記憶にはないけどそれなりに裕福に幸せに、幼い私を含めた家族三人で生きていたらしい。
まぁ、私自身は幸せな記憶は本当に何も憶えていないからあれなんだけど。むしろとんでもなく酷い目に合っていた記憶ですら、オルフェウス様の妹ちゃんを見るまで思い出せなかった。惨たらしい、あの地下での地獄のような日々と……悪魔より質が悪い叔父家族のこと。
途端にビリッと脳に電気が流れたみたいに呼吸が苦しくなった。息が上手く吸えない。爛れた方の顔が熱い、冷たい、痛い、怖い――。
「グギャアアア! グルルルルル!!」
最初に異変に気付いてくれたのはクオーツ。テーブルに飛び乗って、直前まで会話をしていた祖父を翼を広げて威嚇する。止めないと駄目なのに、胸を押さえたまま身を固くすることしか出来ない。
「アリア、聞こえるかアリア? 落ち着け。引き揚げた記憶を離せ。それのせいで相手側の呪いが発動している」
隣からオルフェウス様の手が伸びてきて背中を擦ってくれたけど、記憶を離すって何だよぅ。凡人にも分かる言葉で言ってくれ。脳が締め付けられる。ああああああ痛い、怖い、嫌だ、でも――。
『こんなに師匠が好きな弟子は、そうそういるもんじゃないわよ。分かったら妙な勘違いして飛び出したりするな。誰かを心配して待つのは得意じゃない。今度は話の途中で逃げるなよ?』
そう言った傲慢で美しい人の顔が、私の焼き切れそうになっていた正気を繋ぎ止める。直後、師匠にもらった護符の一つが砕け散った。パラパラと床を転がる護符の成れの果てを視線で追いかけながら、乱れた呼吸を整える。
オルフェウス様も、威嚇から攻撃体勢に入りかけていたクオーツも、祖父も。今この場の視線が一斉に私に集中した。
「そちらからは……何か、ありませんか。母が幼い頃の話、だとか……家族の思い出とか、母が父を連れてきた時の、話や……追い出した時の話、それから、私を呼び出してまで、吐き出したかった、母への言葉だとか。何でも、構いませんよ」
せっかく師匠の元を離れてこんなところまで来たんだから、腹を割って話したい。じっと正面から祖父を見つめれば、彼は一度深く息を吐いて。そうしてやっと重い口を開いて語り始めた。
祖母の一族が代々精霊信仰をする教会の一柱、アルマの神官を輩出する家であること。祖母にはあまり精霊との繋がりを表す魔力がなかったものの、母にはその素養があったこと。
だから母は本来生涯を純潔で過ごしてその教会に勤める立場にあったこと。父は母が見習いとして勤めていた教会に偶然立ち寄った商人だったこと。
一族から無能と謗りを受けた祖母がやっと認められるはずが、母が純潔を失ったことでその希望を断たれたこと。祖父は誰よりも祖母を愛していたために、母を誑かした父を憎み、祖母を裏切った娘が許せなかったこと。
風の噂で二人が死んだと聞いても実感が湧かず、今さらどんな生活をしていたのか探ることも躊躇われて今日まできてしまったこと――などなど。途中からは体調が回復した祖母も加わっての説明になった。
正直祖父母も両親もどちらも縁遠く感じる私にとっては〝どっちもどっちだな〟と。こんなことを思うのは冷たいかもしれないけど、傍迷惑すぎる〝家族〟というものに呆れ半分、同情半分といった思いだった。
零れたミルクは戻らない。たぶんどっちも、そういう〝どうしようもない〟ことを〝どうしようもなかった〟と、長い年月をかけて確認したかっただけなのだ。この人達の血を引いている母なら、生きていたらたぶん祖父母と同じことをする。
祖父母といえども今まで会ったこともないお貴族様だ。距離感は赤の他人と同じ。ここで不敬罪で捕まったって無理もないような状況だ。でも――テーブルを挟んで私と向かい合う二人は真剣に耳を傾けてくれている。
だから言い方を変えればこの不毛な問題に決着をつけるのは、ある意味板挟みで中途半端で宙ぶらりんな私だけだろう。ということは、だ。
「一番被害と加害の真ん中にいる立場から言いますけど、もうこのお話は両親とお祖父様達の喧嘩両成敗ってことにしませんか?」
腹を割ってどころか腹の中身を晒す勢いでそう言うと、テーブルの向こうの二人が静かに涙を零したのだった。
***
「神官を輩出する家系には精霊の血脈が混じっているとは聞いたことがあるが、神話時代の話だと思っていた」
「ほんとほんと。自分も関わってるって言われてもピンとこないですもん。思ってたより話が大きくなってきちゃいましたね。でも今はひとまず……この傷跡が拡がってることの方が問題かなぁ」
話し合いが終わった後、今夜から二日ほど泊まって行ってほしいと言われて隣り合わせた部屋に案内されたのは良いけれど、気がかりは話し合いの際に拡がった呪いの爛れだった。一緒に鏡の中に映ったクオーツが「グギュー……」と気遣わしげにこちらを見ている。
「だから記憶を離せと言っただろう。無茶をするからだ」
「ちょい待ち。天才様の指示は凡人には難しいんですよ。次からはもっと分かりやすく説明して下さい。それと……結局あの呪いって何だったんですか?」
「古いがよくある類いの呪いだ。術者の不利になる証言をしようとしたり、記憶を思い出した時に発動するものだな。普通はかけられていた人間の脳が溶けて死ぬ。傷跡が少し拡がった程度で済んだのは、彼の寄越した護符のおかげだ」
「流石は師匠。最強に強くて人外なまでに美しくて手のかかる人だけありますね」
「それは……褒めているのか?」
「勿論ですよ。オルフェウス様も私の師匠を讃えたかったら讃えさせてあげます。私は怒りっぽい誰かさんと違って心が広いですからね」
師匠を褒められて鏡越しにドヤる私とクオーツの向こうで、オルフェウス様が苦虫を噛み潰したような表情で「余計な世話だ」と言った。




