★2★ 深く潜れ。
レイラの同行を最後まで渋ったジークの尻に蹴りを入れ、元々一人で出かける予定を二人分に切り替えての準備、新しい役者の名前と肩書きを考える時間を割いて敵地に乗り込んだ。
いつも通りビクビクしたメイドと感情を失くした無表情なメイドに案内されて、屋敷の敷地内にある秘密のアトリエへと向かう。要は爛れた遊びに使う場所だ。後ろに楚々と付き従うレイラは、この異質な屋敷を遠目に見た時からすでに臨戦態勢になっていた。
「いらっしゃいませ、オリバー様! お待ちしておりましたわぁ!」
「やぁ相変わらず熱烈な歓迎だな、エイミー」
入室して早々に歓迎の体をなしてどさくさ紛れに首に抱きつかれそうになったので、分かりにくいように重心をずらして腰を支える形に留める。正面切って下品と言うほどではないものの、胸元の開いたドレスで迫ってくる淑女はいないだろう。
「だってオリバー様ったら、次はいつおいでになるか分からないんですもの」
この娘はオリバー・ロックウッドといういもしない画商に熱をあげている。仮にも商家の娘でありながら出入りする商談相手のこともろくに知らない。調べようともしない。実に滑稽だ。
見た目こそ美しいが内面は淑女と程遠いエイミーは、今頃視界に入ったと言わんばかりに「そちらの方は……オリバー様の何ですの?」と、あたしの背後で冷たい気配を放っているレイラを牽制した。
「彼女のことは気にしないでくれ。ただの使用人だ。せっかく君の家に来るというのに、見目の悪い使用人を連れてくるわけにはいかないだろう?」
「ま、まぁ、そうでしたのね。わたしったら勘違いしてしまいましたわ」
「勘違いか。それはどんな風に?」
「もう、意地の悪いことを仰らないで下さいませ」
媚びた声、仕草、ねっとりと甘ったるい香水のキツイ香りに虫酸が走る。何もかもが良く言えば自然体の、悪く言えば野生児なアリアとはまるで違う。おかげで纏わりつかれた瞬間思わず手を振り払いそうになった。
けれど咄嗟にその気配を察したレイラが「旦那様」と声をかけてくれたので、何とか表情に出さずに踏み止まる。
「……何を見ているんだ。さっさと持ってきた贈り物を彼女の前に並べなさい」
「はい、畏まりました」
そう言ってその場の女性の誰よりも洗練された動きでテーブルに包みを置き、涼しい顔で下がるレイラは面白かった。帰ったらジークにお前の有能な秘書は女優のようだったと教えてやろう。
その後は幾分楽しい気分になりながら、下らない話に相槌を打ってやる。まぁ決して楽しい時間ではなかったが、アリアが向こうで何をして過ごしているのかを考えることで、聞き流すことくらいは出来た。
――二時間後。
「もう帰ってしまわれるのですか。もっといらっしゃれば良いのに」
「婚約者のいる君と俺は秘密の恋人だろう?」
「あれは両親が勝手に決めた相手だもの。つまらなくてオリバー様よりもずっと不細工な人だわ」
「この秘密の恋を盛り上げてくれる相手をそんな風に言うものではないよ」
「あら、それもそうですわ。あんなに冴えない方でも使い道があるのね」
まったく思ってもいない言葉を吐く時は、いつでも喉が焼けるようだ。真似事だとしてもゾッとするが、弟子の未来のための我慢だと思えば出来なくもない。脳に回る分の栄養素が集まった胸部を押し付けられて、内心うんざりしながら諦めさせるための甘い言葉を吐いた。
門の外までついて来ようとするエイミーをやんわりとメイド達に押し付け、待たせていた馬車に乗り込んだ。
「お疲れ様でしたベイリー様」
「ああ……ええ、そうね。本当にドッと疲れたわ。貴女もお疲れ様レイラ」
「わたしは何も。けれどあの派手で品のない娘がアリアさんの従姉妹だなんて、俄には信じられません」
「まぁね。アリアを拾った時に子守りが大変だとは感じたけど、あの小娘に比べたら万倍良い子だったわ」
「……ふふ」
「あら笑っちゃったりして、何か言いたいことがあるのかしら?」
「失礼しました。ただ、ベイリー様がアリアさんを可愛がっていらっしゃるのだと思ったら、何だか嬉しくなってしまって」
クスクスと楽しげに笑うレイラは、最初の頃の不健康で卑屈そうな娘と同一人物とは思えないほど華やかで。自信も能力も見合った、平民のお姫様だった。彼女をそうさせたのがうちの馬鹿弟子だと思うと、多少誇らしいものがある。
「拾った生き物を可愛がるのは拾った人間の義務よ。そのつもりがないなら拾わないで野垂れ死にさせてやる方がまだ良いわ」
拾われたなら、拾われた方は夢を見る。愛されるかもしれないと、必要とされるかもしれないと。それを裏切るほど酷なことはない。あたしはそれを知っている。あの子が知る必要はないけれど。
「そういうことに致しておきますわ。それで……この後は当初の予定通り水鏡魔法で使用人に化けて潜入する、で変更はございませんか?」
「ええ。ジークから危険な目に合わせるなって言われてるんだから、無茶はさせないわよ。身の危険を感じたら最悪相手を殺して逃げるわ。話し合えない存在なんて魔物と一緒だもの」
「一応そんな事態に陥らないよう注意はしましょう。どうしても駄目な場合のみ屋敷を中身ごと破壊ということで」
「あら、あんたの方がよっぽど過激じゃない。まずは証拠になる証人と現場を見つけるのが先よ。一応ね?」
徐々に姿を変える互いを見つめて笑い合うあたし達は、きっと、物語の悪い魔女のように見えるに違いない。




