★1★ 協力者は元淑女。
店中の棚の商品を一旦全部城に持ち帰り、空になった棚板を軽く拭いて、床の埃を風魔法で外に飛ばし、ドアに長期休業と書いた札をかける。再び店内に戻って何年ぶりくらいかに自分で掃除をするあたしの背後では、コツコツと爪先で地面を蹴り続ける中年男が一人立っていた。
「はー……お前さんがアリアをあてにしないで掃除をするなんて、本気でこの計画を実行するつもりなんだな」
「だからあの宮廷魔導師の坊やに一枚噛ませた時からそう言ってるじゃない。そんな湿気た面しないでも、別にあんたに手を貸せなんて言わないわよ。むしろ貸す気があるなら今貸して」
「ヤダね。オレも掃除は苦手なんだよ。知ってんだろ。あとな、話題を逸らすな。今言ってるのはお目付け役がおらんことにゃあ、お前さんはやり過ぎちまうだろうがって話だろうに」
「あら、過剰な虐待に対しての正当なお仕置きよ。世の中死ぬ思いをしないと学ばないお馬鹿が多すぎだと思わない?」
本当は死んでも学ばないお馬鹿もいるけど、言ってしまったらついてくる気配がしたからそう先回りして封じたのに、ジークは顎を掻きながら苦い表情で「そりゃ同感だ。同感なんだが……なぁ……」と歯切れが悪い。
ずっと若い頃の血の気の多さを保てとは言わないけど、あのクソガキがこうも思慮深くなるのだから、歳を取るという現象は無駄なことではないのだろう。きっとこの差はどんどん大きくなって、いずれまたこの命も消えてしまう。
短命な人間を見送ることには慣れているけれど、多少なりとも一緒に年月を過ごした人間との別れに何も感じないわけでもない。アリアのことがあろうがなかろうが、どのみちこの辺りが潮時だったってだけ。
「知恵をつけてギルドのマスターなんかになるとつまんないわね。昔は一番最初に敵陣に突っ込む阿呆なガキだったのに。いつの間にかこーんな分別のついたオッサンになって」
「そんな昔の話を持ち出すなっての。それに変わった云々って言うなら、お前さんにだけは言われたくないね。最初に再会した時は驚いたぜ」
「それもそうね。でもまぁこっちの方が楽だって気付いたのよ。女は自分より美しさをひけらかし過ぎる男で、こういう口調だと遊び相手としては選ぶ物好きもいるけど、本気で家庭を持ちたがる女はいないのよ」
「へぇ、そうかい。ただまだ検証結果を出すには早計すぎると思うがね」
そうわざわざ前に回り込んできてニヤリと笑うジーク。その生意気な顔面に手にした雑巾を投げつけてやろうかと思ったけど、止めた。実際こんな安い挑発に乗ってやれるほど若くない……と、思うんだけど。
「はーぁ……前言撤回。減らず口は昔から変わらないわねぇ、あんた」
アリアにするよりやや強いデコピンをその額に叩き込むと、ジークは「ぐっ、相変わらずいっ……てぇぇぇ」と大袈裟に仰け反る。こういう時ばかりは年齢の差が出ないものらしい。
「馬鹿ねジーク。もしもそうだとしても、あたしの美貌は人類には早すぎるのよ」
「そうかも知れねぇけどな、アリアのためにわざわざ家を乗っ取った連中を始末しに行くんだろ? 昔っからタダ働きはしないが口癖のお前が」
「タダ働きじゃないわ。師匠が弟子のために最後に一仕事してやろうってだけよ。保護者兼、教育者として何もおかしなことなんてないでしょう」
「よく言うぜぇ。相手の家に〝魅了〟を使って入り込んで、内外問わずに滅茶苦茶に壊すのが教育者のすることかよ」
「うふふ、あの家の心根がブスな娘ってば、あたしの気を引くためなら何だって話してくれるのよ? 母親の正体、父親の愛人達や店の裏帳簿の在処、闇取引、呪い避けの人身売買と人体実験、不細工で役立たずな義理の姉がいたことまで……なーんでもね?」
昔は随分呪ったこの見目も、今となったら役に立つ。アリアの身体に出来る爛れを全部癒そうと思ったら、元を断ってやらないといけない。古来から呪いの元を禍根と呼ぶ。勿論アリアには恨まれるようなところは何もない。
暢気で、食い意地が張ってて、我慢強い働き者。そのくせ他人やあたしと一歩線を引く賢しさもある。あんな醜い穢れを押し付けられさえしなければ、誰に遠慮することもなく生きられるはずだ。何より魔物界隈では頂点に立つレッドドラゴンだっている。生きていけないはずがない。
まだ何か言いたそうにしているジークの視線を無視して全部の棚を拭き終え、そろそろこの不毛な話題を切り上げて追い出そうと思っていたら、店の外から視線を感じて。そちらを振り向けばそこには厳しい表情をしたレイラが立っていた。
「ジーク……あんたねぇ」
「いやぁ、ハッハッハ、悪ぃなルーカス。オレだけだとお前さんを説得出来ないと思って助っ人を呼んどいたんだよ」
「ギルドマスターのくせに最初から秘書に交渉頼む気だったのね?」
悪びれず笑うジークを前に額を押さえたあたしの耳に、来客を報せる店のドアベルが鳴って。空っぽになった店内を無言で突っ切ってきたレイラが目の前で立ち止まり、真っ直ぐにあたしと視線を合わせた。
そこに自信を持てずに背中を丸めていた面影は少しもない。今の彼女はあの荒くれギルドの中で、この不真面目なマスターの予定管理をしっかりこなす秘書だ。そのレイラがキュッと眉間に皺を刻んで口を開いた。
「ベイリー様。わたしもその報復にご同行させて下さいませ」




