♚幕間♚思い出ぽろぽろ。
何とかさん視点です(*´ω`*)
『また輪郭がぼやけているぞマーロウ。しっかりと自分の座標を保て』
『あ、ごめんごめん。最近読んだ魔術書が面白くてさ。ついその実証に夢中になっちゃった。それに戦場は勝手に使える他人の座標で一杯なんだもの。死なれちゃう前に抜き取って魔術の実験に使えるんだから、良い職場だよね』
『やれやれ……悪趣味な坊主め。座標も保てないくせに同意を求めるな。お前は魔力も高いし才覚もある。普通にその身体で寿命まで学べば賢者に列せられるだろうに、わざわざ下法に手を出す気が知れんな』
『そうは言うけどさ、ルーカス。わたしは死んでから賢者に列せられることに何の興味もないんだよ。人間と違って使える座標に余裕のある君には分からないだろうけど、自分の座標を削ってでも興味があることに出会えたなら、極めたいのが人間の性ってやつ』
『は、生意気を言ってくれる。こんな身体を羨ましがる変人はお前くらいだな』
『それにいつか君はわたしに感謝するよ、ルーカス。人の命の座標から放たれたわたしなら、悠久を生きて退屈している君の茶飲み友達になれるもの』
『ふふ……ジークが聞いたら激怒されるぞ? あいつは頭が固いからなぁ』
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真白い月が頭上高くに浮かぶ夜は、昔のことを思い出す。ギリギリ人間だった頃の名残かな。いつか、いつだったかの、どこか、ここではない遠いところで。あの魔力と魔術の化身のような美しい化物とそんなやり取りをした。魔術を繰るのに必要なのは瑞々しくて生々しい探究心。それを失った魔術師は惨めだ。
風の噂で傭兵を止めてギルドマスターになったジークが、面白い呪いの解呪法を探していると聞いたから飛んで行ったのに、肝心のあいつにはもうわたしの姿が見えなくなっていた。元々そろそろ探究心が枯渇してるだろうルーカスを訪ねようと思っていたから、ものはついでと訪ねたら――そこにアリアがいた。
しばらく会わないうちに妙な言葉遣いになっちゃってたルーカスを笑ったら、人のことが言えるかって拳骨されたけど。この姿になってから拳骨を受けたのは初めてだったからか、また新しい魔術の構築方法を思い付いちゃった。
あの子はルーカスにとっての探究心そのものだから、何となく助けちゃう。ルーカスにはいつまでも美しい座標を生み出し続けてもらわないと駄目だしね。
「えーっと、これで大体二人分の顕現時間三十分てところかナ。日の出までの時間はあと三時間くらいカ」
一度向こうに帰した二人の分の座標を探しに出てから四十分。足許にはさっきまで女性に暴力を振るっていた飲んだくれだったもの。個体違いで三体分の座標を剥がせて良かった良かった。相変わらずこっちの世界は至るところに座標が転がっていて助かるね。
あちらの命をこちらに喚ぶために座標を繰るのは結構大変なんだけど、あの偏屈な彼がわたしを頼ったのは悪い気がしなかったから、張り切りすぎちゃった。人が来る前に闇のあわいにあるあちら側へと身体を滑り込ませて、剥がしてきたばかりの座標を構築していく。
組み立てた座標を手に二人の泊まっている宿の部屋へと座標を通して、あどけない顔で眠っている二人の心臓部分に手を突っ込んで、魂の端っこに紐付ける。そのまま通ってきた空間の歪みに戻り、手にした座標を引っ張れば――。
「うわぁぁぁぁ、なになに気持ち悪い! ゾワッとしたぁ!!」
「くっ……確かに気分の良いものではないが……少しは静かに、しないか」
「震えてるくせにお説教止めてもらって良いですか? 大丈夫です?」
「うるさい。普通ここは気付かないふりをするところだろう」
他人の座標で呼び出したせいで、さっきよりも半透明でフワフワした輪郭になった二人の声に、思わず笑いが込み上げてきたけれど、ここは大人として我慢我慢。目の前で他愛のない言い合いをする子供達の姿に、いつぶりくらいかの人間性を思い出しそうになる。
もっともわたしは昔からこんな風だったから、そんな頃が本当にあったのかどうかは定かじゃないけど。ジークとルーカスとつるんでいる時はまだ人間ぽかった気がしないでもない。
「はいはい、そこまでそこまデ。お待たせお二人さン。魂の休憩が済んだならさっさと移動するヨ。時間は有限なんだかラ」
そうパンパンと手を叩きながら言えば、ようやくこっちの存在に気付いた二人に注目された。無意識だろうけど、慌ててフニャフニャの輪郭をはっきりさせるこの子達は魔術の筋が良い。大人しくなった二人を連れ、当初から目星をつけていた場所へと続く道を歩くこと十分。
あちらの世界とは違い、ほんのりと青みがかった月を映す湖の畔に出たのだけれど、案の定。そこにはいつも湖の縁から時々湖面に映る外界を眺める小さい女の子の姿があった。彼女の姿はもう随分前から同じ。五歳くらいのままだ。
両の手首に嵌められた小さな鈴のついたブレスレットが〝リン〟と澄んだ音を立てる。あれは勝手に人間の世界から精霊が気に入って攫って来た子供の証。精霊の愛し子だとか御大層に呼んで、親が諦めてしまう現象の姿だ。
今夜は湖面が不安定らしく、身を乗り出して水を引っ掻くその背中にこちらが声をかけるより早く、後方から一人が飛び出した。駆け寄るその背中に迷いはなくて。生意気な彼がずっと求めていたものなのだと分かった。
呼びかけられて、驚いて、逃げようとして、抱き締められる。感動的なその光景も、わたしにとっては無味乾燥なものなのに。
「オルフェウス様、あんな顔も出来る人だったんですねぇ」
「みたいだネ。君にはあの光景ってどう映るノ?」
「えぇー……敢えて言うなら良かったですね、でしょうか。私はあんまり肉親の情とか憶えてないので、月並みな答えしか出せませんけど」
「そウ。で、君は何であの子を見て泣いてるのか聞いても良いかナ?」
ホタホタと静かに涙を流すその横顔を見てそう問えば、ルーカスの探究心はゆっくりと口を開いた。
「ずっと前に、あの子が。私を地獄みたいな場所から助けてくれたんです。真っ暗な地下の壁の向こうから、いつも鈴の音が……聞こえてて……師匠が私に思い出させたかったのって……このことだったんですかねぇ」
精霊の愛し子が呼んだのは、精霊の血が身の内に溶けた娘。
呼び合うのか惹き合うのか、精霊の血はややこしくて難解だけど。
皆、どこかおかしくて傷付きやすい綺麗な座標の持ち主だなと思った。




