*19* 弟子と友人(仮)は奇妙な夢の中。
オルフェウス様が説明が難しいと評した謎の報酬の正体を少しでも探るべく、お互い歩み寄るために世間話と、時々は皮肉交えた会話付きの食事を終え、宿に戻ってお風呂に入ってからがようやく本当の意味での休息時間。
――と、言いたいところだけどそうもいかないわけで。
ベッドの上に広げた地図と方位磁石を前に明日の打ち合わせをしていたら、何だか無性にあの汚城帰りたくなってくる。こんな納得のいかないホームシックってあるのか。いや、普通のホームシックっていうのがどんなのかも知らないけどね。
「はー……いよいよ明日は祖父母に会うことになるのかぁ」
「ギャウーゥ、キュー……クルル」
「ああ、ごめんねクオーツ。不安にさせちゃったね。大丈夫だよ」
「ギュルル、クーゥ?」
膝の上に抱き上げたクオーツが、私の溜息混じりの発言に首を捩って見上げてくる。たぶん最初の方が〝何か心配事でもあるのか〟で、後者が〝本当の本当?〟みたいな意味だと思う。こちらを心配してくれるその声にキュンとしていたら、正面で地図に視線を落としていたオルフェウス様が顔を上げて口を開いた。
「今の君の顔を見ていると、まるで自分が人買の仲介人になったみたいな気分だ」
「そんなに酷い顔してますかね?」
「割としていると思う。ただ少なくともベイリー殿といた時の間の抜けた表情とは違って、物事を考えていそうには見える」
「暗に人のことを残念な奴扱いしないでくれます?」
「僕は事実しか口にしたつもりはない。気を悪くしたのなら君にも少なからず心当たりがあったのではないか?」
「そんな態度でばかり人に接していたらいつか刺されますよ。あ、気を悪くしたのなら貴男にも少なからず心当たりがあったのかもしれませんけど」
仮にも歳頃の異性が二人、深夜のベッドの上で交わす会話ではないだなと思う。そもそもこんなに暢気にしていられるのもクオーツがいてくれるおかげであって、この人のことを信頼しているとか信用しているとかではまるでないのだ。
これが師匠だったら……と考えかけて、雑念を払うためにクオーツの背中を撫でてやれば、猫のように喉を鳴らすレッドドラゴンが尻尾で広げられた地図を叩いた。叩かれた地点は目的地。祖父母の屋敷が描かれた地点だ。クオーツなりの彼等へのマウントだろうか。ついでにオルフェウス様に向かって「グルルルゥ……」と恐ろしげな唸り声を上げて威嚇もしてくれた。頼もしい。
「まぁ何にせよ今更肉親がいるって言われてもあんまりピンとこないって言うだけです。それと別にオルフェウス様の苦労を無駄にするつもりはないですよ。良く分からない報酬についてもちゃんと払います」
「ありがたい発言だが、実のところ僕もどう受け取れる物なのか考えているところだ。ベイリー殿の話だと物的なものではないらしいからな」
「そこが問題なんですよね。あとやっぱり師匠が言い出しっぺですか。だったらすぐには解けなさそうですし、今夜はもう寝ちゃいましょう」
「は……? いや、しかし」
「早朝の出立なんですから、睡眠は大事ですよ。クオーツも賛成だよね?」
「ギャウギャーウー!」
「流石は私の相棒! ってことで、この話はまた明日にでも考えましょう。それではお休みなさいオルフェウス様」
ノリ良くクオーツとハイタッチをしてオルフェウス様のベッドから飛び降りた私は、衝立の向こう側に位置するベッドに潜り込んで、まだ何か言いたそうな気配を発している彼を残して目蓋を閉じた。この季節の温かい寝床は睡魔を呼び込むのに困らない。程なく飲み込まれた柔らかな闇に、抗うことなく身を任せた。
――……はずなんだけどなぁ。
何故なのか目蓋を開けると、そこはいつぞやのレモンイエローとライムグリーンの葉を持つ木々が生い茂る、薄荷色の淡い輝きを放つ森だった。二度目ともなれば戸惑いも消えて、幻想的な夢の世界をぐるりと見回す余裕も出来る。
前回同様に好奇心の赴くままに歩いてみても良いけれど、それよりも誰かを探した方が良いような気もしたので、ひとまず少し歩いてみた。すると〝リン〟と。あの涼やかな鈴の音が聞こえてきて。前回辿れなかったあの音の正体を探ろうかどうか悩んで足を止めると、そんな私の目の前に白い光を捩り合わせたみたいな紐が空から垂れてきた。
「何だこれ? 前はこんなのなかったよね?」
そう疑問を口にしてみたものの、当然答えてくれる声はない。どうせここは夢の中だし、ここでの出来事は現実世界には何の関係もないだろう。
だったら疑問は自分で解決すべきだろうと思い立ち、あまり深く考えないでその紐を引っ張った。その直後、見上げた空に穴が開いて――……そこからオルフェウス様が降ってきた!?
「なっ……危ない、退いてくれ!」
「えええぇ!?」
理解不能な現象に合いつつ咄嗟に魔力を構築して籠を編んだ私は偉いと思う。空から零れたオルフェウス様はそのまま綺麗に籠の中に落ちてきて、一瞬何が起こったのか理解出来ない様子で呆然としていた。勿論私もそうだ。
けれど何と声をかけるべきか迷っていたその時、またもや〝リン〟とあの鈴の音が聞こえてきて。それを聞いたオルフェウス様はハッとした表情を浮かべたかと思うと、深めに編んだ籠の中から這い出して「マリーナ!」と叫ぶや、駆け出した。
「は、ちょっ……待って下さいオルフェウス様!!」
全くもって荒唐無稽。夢に整合性を求めたってしょうがないけど、それにしたって意味が分からない。でもとにかく慌てて彼が消えた方……鈴の音が聞こえてきた方角へと走った。何で彼がここにいるのかは分からないけれど、何となく一人で行かせてはいけない気がしたのだ。
前方に彼の背中を捉えたまま走るけど、彼の方は珍しく正気を忘れたようにさっき叫んだ名前を口にし続けている。それで分かった。きっとこの名前の誰かと見えない報酬が繋がっているものなのだと。
鈴の音は段々とその大きさを増して、オルフェウス様もどんどん切羽詰まった様子になっていく。でも、何だろう。何かが怖い。周囲には私とオルフェウス様の姿しかないのに、複数の視線を感じる気がする。
彼の背中が薄荷色の光を放つ茂みに消えるのを見て、嫌な予感に拍車がかかった。あの向こうに行っちゃ駄目だと頭の片隅で誰かに教わったような……そんなあやふやな記憶が過る。だから歩幅を限界まで広げて走り、オルフェウス様みたいに茂みに突っ込んだ。
――と、ボフッと柔らかい何かに顔がめり込んで。直後に頭上から「おっとと、二人目確保だネ」と聞き覚えのある声が降ってきた。
「まぁた来ちゃったんダ? いけない子だね、お弟子ちゃン。しかも今度はこんな血気盛んなお友達連れデ」
眠たそうな菫色の綺麗な二重の瞳に、金色に近い色素の薄い茶色の髪は肩口で切り揃えられ、高すぎず低すぎないちょうどいい鼻と、普通に閉じていても笑っているように見える唇。思った通り師匠の友人の何とかさんが現れた。というか、絵面的には彼女の胸に私が突っ込んだわけだけど……。
「す、すみません。失礼しました。でも、前回も、今回も、不可抗力ですよ。来ようと思って、来たんじゃ、ありません。あと、その人は友達じゃ、ないです」
「てことは、また迷子?」
「だと、思います……けど、その人を止めてくれて、どうも……ありが……オウェッホ、ゲッホ、ゴフ!」
「アハハ、おっさんみたいな咳だネ。うら若い乙女なの二。でも、うーん、そウ。この子はお友達じゃないんダ? なら助けなくても良かったかなァ」
笑いながらそう言った彼女の右腕には、意識を刈り取られてぐったりしているオルフェウス様。私達が突進して行こうとしたその先には崖。ちょっと普通じゃなさそうな夢で崖から落ちたらどうなるんだろう。
彼女の視線が崖とオルフェウス様の両方を見比べていることに気付いたので、慌てて「いえ、やっぱり友達だったかも。助けて下さって……感謝します」と頭を下げれば、彼女は声を立てて「やだな冗談だヨ」と愉快そうに笑った。




