*17* 毒舌な守り人と空の旅。
顔も知らない祖父母に会うと決断し、レイラさんに教えを乞うて一ヶ月と二週間。約束していた日がついにきてしまった。予定ではひとまず向こうのお屋敷で三泊。それ以上は両者にとっても心労的な意味で無理だと判断したからだ。
個人的にダンスはともかくマナーに関しては合格点をもらえたから、一緒に食事をする程度なら心配ないかなと思っている。まぁ……あくまで個人的にだけど。ただお泊まり用の手荷物を見たら誰もそうは思わないかもしれない。
何て言ったって貴族のご令嬢はマイデッキブラシは持ってないでしょうからね。小旅行用の地味な肩かけ鞄に男物の服装という出で立ちは、うっかりにでも祖父母に気に入られたりしないようにとの用心だ。師匠も特にこの格好で出かけることを止めてきたりしなかったし。
おまけにこの森の中に迎えの馬車なんて寄越せるはずもないので、向こうのお屋敷にはクオーツで乗り付ける。レッドドラゴンで乗り込む孫娘。貴族の手駒として懐柔出来るものならやってみれば良い。
「それじゃあ、行ってきますけど……分かってますよね師匠」
「はいはい〝使った物は元の場所に戻して下さいね〟でしょう? しつこく言わなくたって分かってるわよ」
「それが分かってたら、これまでもっと私の仕事も楽だったんですってば。元の場所が分からなくなった場合は、抽斗やクローゼットに貼ってあるメモを見て下さいね。大体どこに何が入ってるか書いてありますから」
普通の人ならたった五泊六日程度の不在にそこまでする必要はない。でも師匠は頭の天辺から爪先まで普通とは程遠いので、ややしっかり目に釘を刺しておく。何だか五歳児にお留守番させる母親の気分だ。
しかし実際は私の方も高位貴族のご令嬢くらい料理に縁がないので、母親としては半人前。師匠との母親業務は五分五分である。悔しい。
「あのね、あたしはあんたの師匠であって、子供じゃないのよ」
「分かってますよそんなこと~。私の子供だったらもっとお片付け上手になるはずですから。絶対に違います」
「あら、言ってくれるじゃないの。クオーツ、今後もあたしの料理を食べたいなら、この不遜な弟子を今すぐ逆さ吊りにして頂戴」
「あっ、そういうこと言っちゃいますか? だったらクオーツ、今後もこのお城の中で綺麗なベッドで寝たいなら、私のことを逆さ吊りになんてしないよね?」
出かける直前まで馬鹿げたやり取りをし、どちらについても角が立ちそうな選択肢を向けられたクオーツが「ギャゥッ!?」と哀れな声を上げる。
私を背に乗せるために見上げるほど大きくなってくれたクオーツは、それでも中身は変わらず甘えん坊の猫っぽいドラゴンだ。オロオロと私と師匠の顔を窺うクオーツの姿に、思わず笑い出したのはどちらが先か。
「あんたはこのあたしの弟子なのよ。そこら辺の貴族どころか、王族の前でだって胸を張りなさい」
「ふふ、王族相手でもですか? 不遜ですねぇ。流石は師匠」
こっちの緊張を解そうとしてくれる師匠と、もっと軽口の応酬をもっと続けていたかったけれど。頭上から落ちてくる影と巻き起こる風に、もう出発の時間なのだと嫌でも分かって空を見上げた。
逆行の中に浮かび上がるのはドラゴンと呼ぶには少々歪で、ワイバーンと呼ぶには雄々しい姿。その背に乗った人物から「こちらは時間通りに迎えに来たんだ。早く上がってきてくれ」と皮肉げな苦情が落ちてきた。
そう。今日の私の飛行旅に付き合ってくれるのは、あのオルフェウス様なのだ。正直まぁまぁ嫌だけど、それは引率してくれる彼にしたってそうだろう。
国に仕えている宮廷魔導師の彼からしてみたら、師匠がこの森を離れたらもしものことがあった時に困るとのこと。あとは一体師匠とどういう契約を交わしてのことなのか、私が騙りの類いではないと先方に証明してくれる役割を引き受けてくれたのだ。疑っていた師匠と彼の関係は白だったものの、だとしたら何故そこまで協力的なのか理解に苦しむ。
とはいえ、これ以上待たせては空の旅の道中でどれだけ皮肉を言われるか分からない。仕方なくクオーツに首を下げてもらって、その背中によじ登ろうとしたその時、身体が自分の意思とは関係なく地面から浮いた。
「アリア、道中喧嘩はしても構わないけど、最終的にはあの坊やの言うことをちゃんと聞くのよ?」
いつの間に背後にやってきていたのか、そう言って笑う師匠が私を抱き上げていて。間近で美の暴力にさらされて言葉を失っている私の手に手綱を掴ませた。
条件反射で手綱を持つ手に力を込めてクオーツの背に乗ると、長身を活かして伸び上がった師匠が、まだきちんと騎乗せずに前のめりな状態になっている私の額に口付けてくれる。一瞬ポーッとなったところで後ろに押され、正しい騎乗姿勢になったのを感知したクオーツが地面を蹴った。
「それじゃあ坊や、その子の御守りをよろしくね」
下から手を振る師匠に上空から手を振る。グングンと遠ざかる師匠と汚城を見下ろし、その姿が見えなくなっても頬の熱はなかなか下がらない。別にいってらっしゃいの口付けが珍しいわけではないけど、今のはずるいですよ師匠……!
背中で悶える私を首を捩って生暖かい視線で見つめるクオーツ。頑丈なその背中をペシペシ叩いていると、斜め上を飛んでいるワイバーンの背中から相も変わらず感情の読めない表情をしたオルフェウス様が、こちらを見下ろして口を開いた。
「締まりのない顔だな。元々締まりのない顔なのにまだ上があったのか」
「わ、かってますけど……余計なお世話ですよ」
「今夜の宿泊地点までは四時間ほどだが、君は長距離の移動にはまだ不慣れだろう。途中一時間おきに休憩を挟む」
師匠の道中喧嘩をしても良いけど――の件から十分も経たないうちに、そんな宣言を受けた。噛みつきたいけど噛みつけない。モヤッとしつつも一時間後、ワイバーンが高度を落とし始めたのでそれに従ってクオーツの高度を下げた。
ドラゴンとワイバーンが着陸出来るくらい開けた湖畔に降り立ち、両者が氷の張った湖面を叩き割って野性的な給水を始めたので、少し離れた場所で火を起こして紅茶用のお湯を沸かす。そのついでに気になっていたことについて、無表情な同行者に質問してみることにした。
「あのーオルフェウス様。つかぬことをお伺いしますけど」
「何だ?」
「今回こうして協力して下さるのは大変ありがたいんですが、何か見返り的なものを求めてのことですよね。支払いは師匠? それとも私ですか?」
「当然だ。だが僕は見えるものを求めているわけではない。支払いは君になる」
「〝見えないもので欲しいもの〟謎かけの類いですか? 仮にその謎かけが解けたとして、それを支払うのは私……と」
そんな話は初耳だ。でも普通に考えてここまで手伝ってもらったら対価は払いたい。ただその対価の支払い義務は話を通されていない私にあるらしい。何だかよく分からない状況である。
給水を終えて猫の大きさに縮み、鞄の中のオヤツを漁るクオーツの背中を見つめつつ、唇を弄って考え込む私に「ベイリー殿から何も聞いていないのか?」と。やはり無機質な表情のままオルフェウス様が問いかけてきた。
「残念ながら聞いてないですね。でも師匠が私に差し出せる物だと信じているから話さなかったとも考えられます。けど、たぶん貴男はそのことについてあんまり触れられたくない?」
「……その通りだ。無理を言っている自覚はある。すまない」
珍しい。常なら絶対にしない迷いのある表情。皮肉の一つも飛び出さないどころか、謝ってまでみせるなんて……不気味。申し訳ないけどひたすらに不気味だ。そんな感情が表情に現れちゃったんだろうか。急にスンッと無表情に戻ったオルフェウス様に倣い、こちらもスンッを貫くことにした。
「踏み込まれたくない部分なんて誰にだってありますよ。だからまぁ、向こうに着くまで少しで良いので謎を解く鍵を下さい」
仲良くなれる気はあんまりしないけど、旅は道ずれ世は情け。ひとまず一方的な協力を持ちかけていたわけではないことに安堵してそう言った私に、一瞬だけ目を瞬かせた彼が意外にも素直に頷いたから。今はそれでまぁ、良いや。




