★16★ 淑女の素養。
「はー……今日のお店も美味しかったですね。でもお値段がお高かったなぁ。あの材料ならもっと安く出来そうなものなのに。贅沢に慣れてる人達ってどんな舌をしてるんでしょう?」
レイラと相談してそれなりに可愛らしく着飾らせたのに、そんな残念なことをのたまったアリアが隣で小首を傾げている。でも確かにお馬鹿なその言葉にも一理あったので、特段注意はしなかった。
店内では口にしなかったけど、あの材料でこの程度の味なら家でテーブルマナーを教えた方がマシだ。でも城で教えたところでクオーツが乱入してきたり、住居という環境上甘えが出てしまうから、これは実地試験みたいなもの。煌びやかに着飾ってお高くとまった人間に囲まれての食事に慣れるためだけだ。
アリアがレイラに淑女教育を願い出てから早一ヶ月。この頃は一週間に一度は街に出てちゃんとした店での食事練習をしているけれど、本人が薄い胸を反らして調子づくくらいには順調に教育が進んでいる。
普通はこの歳頃から淑女教育なんて受けても付け焼き刃にしかならない。それでもどうしても身に付けたいという場合は教える方もかなり厳しくなる。予期せず格差婚になる場合に教育を頼んで、あまりの厳しさに結婚を取り止めたりなんて話もざらに耳にするから、ちょっと見直したわ。
「あとやっぱり一番美味しいのは断然師匠が作ってくれる料理ですね。特に食後のデザート。今日のところはカスタードの裏ごしが足りてなくてざらっとしてました。師匠なら絶対しない失敗ですよ」
そう言ってあたしの腕に絡めていた腕をこっそり抜き去ろうとするのを、ギュッと挟んで留めると、小さく「ひぇ」と声が上がった。人目のある場所でエスコートを拒むとかさせるわけがないのに、ちっとも慣れないわね……こんなことで社交場に出したら死ぬんじゃないかしら。
少なくともそんなことにならないように、ここ最近は魔法の授業を熱心につけてもいるし、クオーツの通りやすいよう魔力を込めた護符の製作にも余念はない。向こうの祖父母がまともでなければどうにかする手筈も考えてある。
最初で最後のあたしの弟子だもの。送り出すに当たっての準備は怠らないわ。
「当然のことを言われたところで何とも思わないけど、あんたってダンスの素養以外はそれなりにあったのね。ああ……それともあれかしら。食い意地が張ってるからテーブルマナーを身に付けるのが早いとか。こっちの方があり得るわ。だってエスコートの作法はからきしだものね?」
「二ツ星のお店に来ておきながら何たる傲慢な言い分なんですか。そこはもっと普通に褒められて、大袈裟に褒めて下さいよ。あとですね師匠、師匠は中身はともかく、自分の見た目の良さをもっと自覚して下さい。さっきからすれ違うお姉様方の視線が痛いんですってば」
前髪の半分を緩く流して顔の半分を隠していても分かるくらいに頬を染める姿に、ほんの少しだけ虐めたい気分になって。試しに腰を抱き寄せてみたらもう……音がしそうなくらいに真っ赤になった。
ジークの馬鹿の発言を真に受けるわけじゃないけれど、単に外界との接触がなくて異性に不馴れなのを抜きにしても、アリアに好かれている自覚はある。だからこそ、こちらから言い出したはずのアリアの貴族社会入りに心配もあった。
こんなに感情が分かりやすくてはあの端から見れば華やかで、内実はドロドロと汚い世界でやっていけるだろうかと。これではまるで本当に保護者みたいだわ。
「ふふ、いつも見てる顔なのにそんなにこの顔が好きなわけ? 物好きねぇ」
「ちっ、がいますよ……師匠の自惚れ屋」
「そんな顔で言われてもね。手鏡持ってるけど見てみる?」
「結構です。そうやって弟子のことをからかってたら良いんですよ。第一正装してる師匠が格好良いのなんて、夜が明けたら朝が来るくらい当たり前のことなんですから。私が特別耐性がないわけじゃありませんよ。この顔面武器師匠め」
「あら、随分物騒な褒め言葉だけどありがとう。そう言うあんたも最近まぁまぁ淑女らしくなったわよ?」
からかい混じりに褒めると、今度は耳殻まで赤く染めて舌打ちをするアリア。昔は顔の造作を褒められるのは煩わしさしか感じなかったのに、この弟子の言葉には裏も表もないから、いつの間にかさほど気にならなくなっていた。そんな弟子を「品がないわよ」と嗜め、化粧崩れの心配がない耳を摘まめば、さらに「そういうとこですよ、師匠」とじっとりとした目で言われる。
吐く息がまだ空気を白く曇らせるほど寒いのに、アリアのおかげで寒さをあまり感じないのは良いことだ。
キャメル色のケープコートに身を包み、食事中に淀みなくカトラリーを使える両手には暗緑色の手袋、未だにステップのおぼつかない足元はヒールのない同色の靴という装いは、淑女と呼ぶには可愛らしすぎるけど。今のこの子を見て掃除婦と侮る馬鹿はもういないはずだわ。
妹さんの行方を盾に手伝わせているエドモントの坊やには悪いけれど、こっちはこっちで保護者としてのこの子の未来を確保したい。だからもう少しだけ待ってもらわないとね――と。
「師匠、クオーツに買って帰るお土産は何にします? この間は焼き菓子だったから、今度はしょっぱい系が良いですかねぇ」
「さっき食べたところなのにもうお土産の話なの? ほんと色気より食い気ね」
「それはそうですよ。元からない色気より、お金を出したら手に入る食い気です」
そう言って笑うアリアの頬からは徐々に熱も冷めて。組んだままの腕に縋る力も戻っている。この手を一端離すまであと二週間。その間にどれだけこの弟子を淑女に近付けられるのか。そんなことを考えながら並んで歩く帰り道は今夜も、いつも通りの騒がしさだ。




