*15* 弟子、二重弟子入りする。
ギルドとジークさんの家の汚風呂掃除を二日がかりで終えた翌日。三日連続で城を空けることを渋った師匠を説き伏せ、師匠お手製のジャムクッキーを手に謝罪行脚に向かったのは、季節柄まだギルドの仕事がないレイラさんの二つ目の職場である図書館だ。
外が寒くて出歩く人がまばらなせいもあるだろうけれど、雪を払って入った図書館の中は人の気配が殆どなかった。でも私にとってはこれ幸い。受付カウンターで暇そうに片肘をついて思案顔な彼女を見つけ、そーっと近付いていく。
でもあんまりにも館内が静かすぎて、私の靴底が床を鳴らす音を聞き付けられるのはすぐだった。カウンターの跳ね上げ式の部分を開けて彼女が出てくると、私ももう靴音を気にすることなく小走りに駆け寄って、ズズイッとレイラさんの目の前に籠を掲げる。
「お久しぶりですレイラさん。これ、師匠お手製のクッキーなんですよ。良かったら図書館の皆さんで召し上がって下さい」
「お久しぶりねアリアさん。手土産なんて構わないのに……でも、ありがとう。皆きっと喜ぶわね。家出をしたと聞いた時は本当にどうなることかと思っていたけれど、無事に戻って来てくれて良かったわ」
「えっと、その節は色々とご心配をおかけしました」
「ううん、良いのよ。でも今日はこの通り暇なの。だから貴方さえ良ければその時のお話を聞かせて?」
「はい、喜んで」
微笑むと目尻が下がるレイラさんの優しい風貌は、こういう寒い日に陽だまりみたいに心を暖かくしてくれる。まだお仕事中なのは重々承知だったけど、彼女にお願いしたいことがあったので、素直にお言葉に甘えることにした。
一応来館者があるとまずいから、カウンターの中に入る前に臨時職員証明用の腕章をつけさせてもらい、受付カウンターの内側に着席する。
「本当はここでの飲食は厳禁なんだけど、寒い時だけはお目こぼしがあるの。温かいミルクと、紅茶と、コーヒーならどれが良いかしら」
「じゃあ……ミルクティーって出来ますか?」
「ええ、勿論よ。すぐに淹れて来るから少しだけ待っていてね」
またあの微笑みを一つ、奥にある職員休憩室へと向かう彼女の背中を見送り、帰りを待つ間にカウンター内を見回していると、返却されたものだろうか? 数冊ほどの背表紙が目に留まった。
【ダンス入門 初級の型から教える美しい所作】
【ダンスの基本 最初はこのステップを覚えよう】
【ダンスの最中に困ったら 慌てない対処法とパートナーへのフォロー編】
――などなど。どの本も非常に興味を惹かれる内容だ。誰かデビュタント前のお嬢さんが借りていったのかもしれない。心密かに顔も知らない誰かを応援しようと思っていたその時、ふと鼻腔を紅茶の香りがくすぐる。振り向いた先にはマグカップを手にしたレイラさんが立っていた。
「その本、余計なお世話かとは思ったのだけれど。次に貴方が来てくれたら勧めようかと思っていたの。もしも気になる物があったら借りていってね」
「余計なお世話だなんて、そんなことあり得ません。嬉しいです」
「ふふ、良かったわ。さぁ、まずはこれを飲んで温まって」
そう差し出されたカップをお礼を述べて受け取り、一口含めば、どちらともなく顔を見合わせて笑い合う。
それからポツリポツリと、城を飛び出してからクオーツと一緒にあのダンジョンで過ごした二週間の日々を、途中で註釈を加えながらほぼ起こった出来事をそのまま話した。
城を飛び出したきっかけについては格好悪いからぼかしたかったのに、のらりくらりと話を誤魔化すギルドマスターの秘書をしているレイラさんは、上手く私を誘導してあっさり吐かせてしまって。珍しく声をあげて笑う彼女に私までつられて笑ったものだから、奥から顔を出した職員さんに注意されてしまった。
ただずっとこうして当たり障りのない話をしていたいけど、そうもいかない。今日は心配かけたことへの謝罪を終えたら、今度は図々しいお願いをするという新たな試練が待っているのだ。
チラリと視線だけで隣を盗み見ると、レイラさんはずっとこちらを見ていたらしく、目が合ってしまった。何か察してくれているのか、安心させるように頷いてくれる彼女促され、ミルクティーで口を湿らせてから開く。
「あの、さっきの謝罪の後すぐで申し訳ないんですが、実は今日はレイラさんにお願いがありまして……」
「何かしら? 何でも言って頂戴」
「その、無謀なのは分かってるんですけど、今日はダンスのお話の延長線というか、新しい試練というか……最低限の貴族子女の心得について、ご指導のほどをよろしくお願いしたくて」
「それは別に構わないけれど……何か理由があるのね?」
気遣わしげな声音に頷き、買い摘まんで一度祖父母の元に顔を出しに行くつもりだと話すと、レイラさんの穏やかな表情が曇った。ややあってから婉曲に師匠と暮らすことを諦めるのかと尋ねられたので、それには笑って首を横に振った。
「今回のことで師匠には私がいなくちゃ駄目だってことが、嫌というほど分かったんです。だけど肝心の師匠はそれを認めたくないらしくて。一番弟子の私を差し置いて、オルフェウス様とコソコソ悪巧みしてるみたいなのが気に入らないんです。ジークさんは中立だし。だから私もレイラさんを味方につけて良いですか?」
本当のところは祖父母に会いたくない。顔も覚えてないとはいえ、父と母の結婚を身分だけ見て認めなかった人達の養子になんかなりたくない。でも今日まで拾って養ってくれた師匠が望むなら仕方がないし。会いに行った先で師匠の恥になるような失態をするのも嫌だ。
なのでちょっとだけならこの茶番に付き合ってあげるのだと続ければ、レイラさんはホッとした風に笑ってくれた。
「そういうことなら、ええ、喜んで力を貸すわ。貴方を淑女にするのも楽しそう」
「お手柔らかにお願いしますね、レイラ先生?」
「あら、うふふ……それは約束出来ないわ」
楽しそうに笑う口許と笑っていない瞳の奥に一瞬早まったかと思ったけど、千里の道も一歩から。淑女の道はそれより近いと良いなと思いつつ、苦笑しながらミルクティーを一口飲んだ。




