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*5* 人生初の出勤日。


 まだ街の借家に繋げる前の朝の工房。


 その工房の隅、お客の目につかない棚の陰に描かれた複雑な魔法陣を前にして、師匠が眉間の皺を深くする。今朝もやっぱり靴下を生き別れにさせていた人物の苦悩の表情に、溜飲が下がる思いだ。


「もう一回聞くけど、本当に行く気なのね?」


「はい。私だって前々から生活費を少しくらいは入れたいと思っていたので。それよりも師匠を早起きさせてしまってすみません。でも朝食なんて昨日の残り物で充分だから、わざわざ作ってくれなくても大丈夫ですよ?」


「あたしは別に早起きは苦にならないし、料理は趣味だから良いわよ。作ってる最中に新しい術式を思い付いたりすることもあるもの。でもあたしが起きないと、あんたじゃこの魔法陣を動かせないでしょう」


「へへ、まぁそうなんですけど」


 明らかに気乗りがしていない師匠の声に苦笑しつつ頷く。かぶっているフードを弄っていたら「しっかりかぶりなさい」と怒られた。口調ほど怒っていないのが分かる分こそばゆい。


 普通に考えて職場まで直通の空間転移魔法を弟子のために使う魔術師は、恐らくそうそういるものではないと思う。


 ギルドが開く前の早朝の仕事だから街の人も少ないし、顔の傷を気にする私でも工房からギルドまでの道程くらいは大丈夫なのに。意外と師匠は過保護だ。嬉しいから敢えて指摘はしないけど。


「あんたに生活費をせびるほどあたしの稼ぎは少なくないのよ? それに改めて言うことでもないけど、あたしは今まであんたに賃金を払ったことなんてないでしょう? 実質タダ働き。だからあんたも生活費を入れるとか考える必要はないの」


「それはこの五日間、何度も聞きましたってば。第一タダ働きとか言ったって、衣食住はお世話になりっぱなしですし。今更ですけどその分の補填をしようっていう弟子心です。勿論ギルドでの朝の清掃が終わればすぐに城に戻って仕事しますよ」


 外に仕事に出るからといって、普段の城での仕事を疎かにするつもりはない。実際今朝はいつもより二時間早く起きて働いた。帰ってきてからでも充分残りの仕事を終わらせることは可能だ。たぶん。


 籠にぶちこむ分別収納に不可能はない。また時間を見つけて乾燥させてあるナキタの蔓で新しく編もう。


 でもまだ納得出来ないのか、師匠は眉間に皺を刻んだままこの間完成した春の新色、フェニアピンクの口紅で淡く色付く唇をなぞる。因みにフェニアは肉食バリバリの食魔植物だけど色()可愛い。


「……食と住はともかく、あんたの衣にはほとんどお金を使ってないわ。だってあんた全然お洒落に興味ないんだもの。ジークの言ってた引きこもり云々よりも、あたしの弟子でありながら女子力が皆無なことの方が心配だわ」


「そこはほら、適材適所ってやつですよ師匠~」

 

 なんて笑って誤魔化したところで、師匠は気付いているに違いない。全身に火膨れのようなものが出来ていた七年前の私には、たとえ綺麗に治ったところで、未だに普通の女の子達みたいに着飾る勇気なんてないのだ。


 それに今回だけは毎回厄介事しか持ち込まないジークさんの話も悪くなかった。賃金は日払い制。働いて得た初報酬を師匠に手渡すことを考えるだけで、今からにやけてしまう。


「それよりも師匠、そろそろ魔法陣を起動して転移させて下さい。でないと初日から遅刻しちゃいますよ」


 お願いしますと駄目押しの言葉をかけると、師匠は不承不承といった様子で頷いて、短く詠唱のようなものを唱えた。魔術師の詠唱は魔法使いの詠唱と違って聞き取れない。それは各々の構築した言葉の形であるからだ。


 師匠の詠唱はランプの灯りを隙間風で少し揺らすくらいにささやかで、眠りに落ちる間際に聞く本の読み聞かせに似ている。大好きな声。大好きな詠唱。聞き惚れている間にも、私の足許で雪の結晶を幾つも重ねたような魔法陣が淡く輝いて。


 ――次の瞬間にはもう、初めて見る建物の中だった。


 まだ魔方陣が光っているうちに慌てて持ってきた手提げ籠からランプを取り出し、真っ暗になる前に芯へとマッチの火を点す。魔法陣の淡い輝きが失われると、ランプの灯りで照らし出された埃っぽい室内が浮かび上がった。


「……流石師匠、ちょうど見えにくいところに描いてくれてる」


 ギルド奥の通路に通じているらしき廊下の衝立と掃除用具入れの間。普通なら誰も用事のない、わざわざ入って来ないと見えないような場所だ。そしてわざわざ誰も入ってきていないのだろうなと思わせる、掃除道具類の埃の積もりぶり。


 早速ランプを手にギルドのエントランスとホールを見て回る。何かを零した跡や、破り捨てられた依頼の紙、食べかけの色んな物、壊れた武器や破れたり血で汚れた服の切れ端などなど。確かに掃除は必要そうだ。でも――。


「ここを掃除してお金がもらえるって、そこそこ割の良いお仕事かも」


 何せ、床が見えている。毎日の掃除量を考えればこんな程度の汚部屋は敵ではない。俄然やる気が湧いてきた。ランプを掲げて柱時計を見たら現在時刻は六時ちょうど。ギルドが開くのは九時だ。


 二時間の掃除時間を設けてもらっているので、八時にはキリの良いところまで片付けておかないといけない。報酬はその時間に出勤して来るジークさんから直接もらえることになっていて、帰りの魔方陣は終了時間通りに師匠が開いておいてくれる寸法だ。


「よっし、取り敢えずやりますか!」


 興奮を圧し殺してやる気を出すために両頬を叩いてエプロンの裾を翻す。痩せたホウキとデッキブラシを駆使してホールを走り回り、適当な空き箱を発掘してゴミを分別する。


 時々は時計を気にしたりしつつも、掃除をしている端から新たな腐海を生み出す人がいないので、作業はサクサクと進んでいった。それこそちょっと物足りない気分になるくらいには順調。あの環境に訓練され過ぎたのかもしれない。


 最後に雑巾で床を磨き上げたところで裏口の鍵がカチリと音を立てて。そこからまだ眠そうなジークさんが現れた。


「おはようございます、ジークさん! 今日の分のお給金下さい!」


「おう、おはようさんアリア。そんでもって金の請求が早いな。おじさんはそういう子、嫌いじゃないぞー」


「別にジークさんに好かれたい気は微塵もないので、お金下さい!」


「本当に清々しいなー……この磨き尽くされた部屋もお前も。ほら、これが今日の手当てだ。中の金額をしっかり確認してくれよー」


 小さな皮袋を取り出したジークさんの手からそれを受け取り、震える手で中身を確認する。小銀貨が三枚と大銅貨が一枚。この程度の働きでこんなにもらえるとは思っていなかったので、嬉しくて頬が緩んだ。


 けれどそんな私の横で朝の光が入り込むホールを見回していたジークさんが、不意に唸るのが聞こえた。働きに見合わず支払いが多すぎたことに気付かれたのだろうかと思い、慌ててお給金の入った皮袋を懐にしまいこんで振り返る。


「えっと……どこかまだ磨き足りませんでしたか? でも、気合いはちゃんと入れたんです! ただ、その足りなかったら明日はもっと念入りに掃除するので、今日のところはご勘弁を――、」 


 願えませんかと続けようとしたら、顎髭を撫でていたジークさんがこちらを振り返って驚いたように目を見開いた。


「あん? いや、違う違う、その逆だ逆」


「逆?」


「そう逆だ。お前な、一日で磨き上げすぎなんだよ。初日の二時間でこんなにピッカピカにされちまったら、給金の額に働きが見合わんだろ」


「これくらいで大袈裟ですよ」


「大袈裟なわけあるか。あーもー、これだから引きこもりはよー。優しいおじさんの心配が早速大当たりじゃねぇか」


「心配しなくてもジークさんは言うほど優しくないですよ」


「おっとー……そこか、今そこに食いつくのか。本当に師弟揃って容赦がない口の悪さだなお前らは」


 まだ続きそうな不満の言葉を「説明は簡潔にお願いします」とぶった切ると、彼は溜息混じりに眉間を揉みながら「初仕事の時の能力ってのは、小出しにするもんなんだよ。でないと次から面倒な仕事を任されるし、仕事も一回きりで稼ぎに見合わん。憶えとけ」と言われた。


 咄嗟に〝貴男がそれを言う?〟と口にしそうになったけど、何とか心に留め置いて。頂いたお給金にさらに小銀貨を三枚追加してもらった。でも苦言通り次の勤務は四日後になってしまったのだった。 

◆この世界の貨幣価値◆(*´ω`*)<読み飛ばし推奨。


◆小銅貨 大体1枚10円。

◆中銅貨 大体1枚100円。

◆大銅貨 大体1枚500円。

◆小銀貨 大体1枚1000円。

◆銀貨  大体1枚5000円。

◆小金貨 大体1枚10000円。

◆金貨  大体1枚50000円。

◆白金貨 大体1枚100000円。


それぞれ別の金属を加えた含有量の違いで値段が変わります。

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