♕幕間♕貴方はどうか、眩しい恋を。
レイラ視点です(*´ω`*)
『〝大きくなったら、レイラは僕の奥さんになるんだって。だからそれまでに僕はたくさん仕事を憶えて、君の欲しいものを買ってあげられる男になるよ。それまでに欲しいもの、考えててね〟』
ここ五年は近付いてもいない実家の四阿の下で、精霊のようなフワフワした金髪に夏空みたいに澄んだ青い瞳を持つ男の子は、そう言って微笑んだ。幼馴染みから婚約者になったばかりの頃、あの人はよくそう言った。でもわたしは耳許で内緒話をしてはにかむその表情と言葉以外は、何もいらなかった。
またこの夢なのかと、自身の幸せな時代の抽斗の少なさに笑いが零れる。もう起きないと。眠っている時に喉が震える感覚がしたら目覚める合図。
そう思った先から彼を見つめる低かった視線がゆっくりと伸び上がって。次に目蓋を開けて視界に入ったのは、ゴテゴテとした装飾のない質素な天井だった。
実家にいた頃は目を覚ませば着替えを手伝われ、重い気分で両親の待つ食堂に行ったものだけど、今はそんなこともない。代わりに頬に触れる冬の朝の冷たさから逃れようと毛布の中に潜り込んで、鼻先と耳殻が温もるのを待ってから勢いよくそれを跳ね除けた。
ベッド下の部屋履きに爪先を滑り込ませ、一目惚れして購入した菫色のガウンを羽織って窓辺に向かい、カーテンの隙間から外を覗くと案の定。
「はぁ……今日も凄い雪ね。出勤が大変だわ」
以前より増えた独り言で「さ、朝食の前に顔を洗って」と、気を抜けばベッドに舞い戻りそうになる自分を急かした。
***
新年が始まったばかりなことと、朝からの雪が重なって午前中の図書の問い合せと返却は少なく、同僚の女性と相談した結果、わたしがカウンター業務を、彼女は書架で返却された本の整理を担当することになった。
とはいえどちらにしても暇だから、実質仕事なんてほとんどないけれど。昼休みが終わって午後になっても雪は降り止まず、レポートに追われた学園の生徒や研究職の人がチラホラ訪れる程度。
もうこのままあまり人が来ないようなら、早めにカウンター業務を切り上げて、同僚の手伝いに行こうかと思い始めていたその時、見知った人物がキョロキョロと周囲を見回しているのを発見した。
誰かを探している風な様子に声をかけようかと逡巡していると、その間にこちらに気付いたお相手が親しげな笑みを浮かべてカウンターへと歩いてきて。
「こんにちはレイラさん。あと、新年初めまして。でも良かったぁ。ジークさんに聞いたらこっちだって言うから来たんですけど、裏方のお仕事だったら見つけられないかと思って焦っちゃいました」
「ふふ、こんにちはアリアさん。それに新年初めまして。年末から連日この雪だから、ギルドの方はまだ調整中なの。今日はどのような本をお探しでしょうか?」
外の寒さで鼻先を赤くした彼女の屈託のない微笑みと言葉にそう返すと、彼女はさらに笑みを深めた。
「今日は本を借りに来たのもそうなんですけど、お礼を言いに来たんです」
「まぁ……何かお礼をされるようなことしたかしら?」
「師匠への贈り物選びに付き合ってくれたじゃないですか。おかげで今度はその場でつけてくれたんですよ……って、いけない。お仕事中に長話をしちゃうところでした。師匠にも釘を刺されてたんで、これ、休憩時間に召し上がって下さい」
そう言って彼女はうっすら雪のついた鞄の中から可愛らしい箱を取り出して、カウンターの上に置いた。レースペーパーとリボンで飾られた箱には、お店の名前が見当たらない。
そのことに小首を傾げると、彼女はどこか誇らしげに「師匠のお手製クッキーなんです。お店の物に負けないくらい美味しいんですよ」と。師弟の域を越えた好意を抱いている表情は、今朝の夢を見た後だと眩しくて。だけど彼女のこの笑顔が曇ることがないようにと願ってしまう自分がいる。
あの頃のわたしはこんな風にあの人に笑いかけていたのかしらと、一瞬詮のないことを考えてしまったけれど、ソッと持ち上げて鼻先に近付けた箱から漂う幸せな香りが、そんな靄を掻き消してしまう。
あんなに酷い出逢い方をしてしまったのに、アリアさんは少しもわたしを責めないどころか、全てを許して色々なものを与えてくれた。彼と、両親と、わたしと、それらを取り巻く歪な世界を。甘ったれたわたしの、卑下するだけで立ち上がらない意気地のなさを、気付かせてくれた。
「とっても良い香り。仕事時間内だけど、今日は図書館に来るお客さんも少なくて暇を持て余していたの。でもおかげで仕事時間内にアリアさんとお喋り出来るのだから、悪いことばかりでもないわね」
「え、そ、そうですか? 嬉しいことを言ってくれますね」
「こちらこそ幸せのお裾分けをして頂いて嬉しいわ。さぁ、それではこのクッキーのお礼にどんな本も見つけてご覧にいれますので、ご注文をどうぞ?」
らしくもなく芝居がかった台詞を口にすれば、彼女はカウンター越しに屈み込み、小さく消え入りそうな声で「あの……ダンスの初心者用の教本って、ありますか? 年末師匠に教えてもらったんですけど、緊張して頭に入らなくて」と。
そんな可愛らしい相談内容に、初めて彼とダンスを踊った日のくすぐったい高揚感を思い出して。甘くて苦い初恋の終わりを、穏やかな気持ちで高く遠く、心の彼方に放り投げた。




