*5* 変化の一年が終わります②
芋の皮剥き以外に私が手伝えたことなんてほとんどなかったけど、いつもは敷かない特別な日のテーブルクロスを敷いたり、師匠に座標を教えてもらって一本ずつ作った不格好な雪の結晶の花束を飾ったり。
クオーツはデザートのパイを焼くオーブンの番をしてくれて、師匠は延々お鍋やフライパンをかき混ぜたり炒めたりして。外が降り続ける雪の気配だけを残して真っ暗になる頃には、キッチンの中は幸せな湯気と熱気でいっぱいになっていた。
師匠の「よし、出来たわよ! あたしったら天才じゃない?」の声でサッと席について、温かい物は温かいうちに食すべしという教えにならって食べ始めた。時々食べたい物がかぶって手と手がぶつかる私とクオーツを見て、ワインを片手に苦笑する師匠。テーブルクロスはクオーツの席の前だけ斑模様になった。
そんな風に賑やかにお腹一杯になるまで師匠の料理を堪能し、別腹のデザートまで食べきった後は、今日一番のお楽しみ時間だ。例年と同じくお互いがテーブルの下に隠しておいた箱を取り出す。毎年先攻は師匠。
「はい、アリア。十八歳の誕生日おめでとう」
その言葉と共にテーブルの下から現れたのは、真っ赤な箱に金色のベルベットリボンが施されたとっても高級そうな箱で。視線で開けるように促す師匠の前でドキドキしながらリボンを解いて蓋を開けた。
中に納められていたのは、宝石みたいに艶々と輝く琥珀色の靴だった。踵の部分と全体をくるりと一周する縁取りは深緑色をしている。貴族の夜会とか舞踏会にでも履いていけそうな代物だ。
「うわぁ可愛い靴! しかも絶対お値段も高いやつですよね、これ?」
「そこはせめて上品にヒールって言いなさい。あと贈り物の値段を気にするなんておブスのすることよ?」
「そ……そっか、そうですよね。じゃあ、部屋に大切に飾らせて頂きます」
「は? 履けよ。靴を飾ってどうすんだ」
「いやいや、それを師匠が言いますか――というか、口調が変わってません?」
「気のせいじゃなぁい?」
一瞬驚くほど低くなった声音とガラの悪い口調は絶対気のせいじゃないと思う。でも師匠は認めないつもりらしく、ワインを飲む手を止めて楽しそうに目を細めている。すでに一人でワインを三本も開けているとは思えないほど白い肌は、精霊かと見紛うほど綺麗だ。
そのまま魔性の美しさに見惚れそうになったものの、何とか踏み留まってテーブルの下から薄い箱を取り出した。
「まぁ良いや。今度は私からですね。えっと、この靴をもらった後だと絵面的に見劣りしますけど。はい師匠、二十八歳のお誕生日おめでとうございます」
「あんたのことだからどうせまた靴下なんでしょう――……って、あら。手袋?」
「ふふふ、残念でした。師匠の綺麗な指に霜焼けでも出来たら大変ですからね。ちゃんと女性に人気の可愛いのを選びましたよ。これなら使ってくれますか?」
真っ黒な薄い箱の中から師匠が取り出した角ウサギの鞣し革製の手袋は、濃紺の地に幾重にも重なる雪の結晶を刺繍してある。師匠はそれを手にはめて――。
「素敵ね。手触りも良いわ。あんたにしては良い趣味じゃない。ありがとう」
――と、素直と言うには若干難があるけれど、嬉しそうに微笑んでくれた。しかしここで足許から這い出して来た刺客がいる。クオーツだ。口の周りをパイの食べかすで汚したまま「ギャウッ、クー!」と不満を漏らされた。
「急かさないでも分かってるよ~。次はクオーツの番だもんね。それじゃあ、これをどうぞ。いつも私の枕を取っちゃうから、クオーツ用に作ってみたよ。中身はふっかふかのゴーダー鳥の羽根です!」
そう宣言してテーブルの下から籠を取り出した瞬間、魔物の中では最強に位置するレッドドラゴンが「ギャウウウウウウー!!!」と大興奮して飛び込んだ。そして底に仕込んでおいた、ギルドでもらったお菓子に気付いてさらに大はしゃぎをしている。ほぼ全身沈み込んでいるのに実に幸せそうだ。
枕で泳ぐクオーツを視界の端に捉えつつ、師匠に向かって改めて靴のお礼を言おうと口を開いた。
「師匠、これ……本当はこんな靴にずっと憧れてたんです。だから、その、ありがとうございました」
「あら意外ね。そんなに前から興味があったの?」
「はい、それはもう。だけど私にはまだ早いわよ……って――……?」
誰が言ったんだろう。
優しくそんなことを。
言われたような気が。
急にせり上がってきた何かに心臓がギュウッと締め付けられて、咄嗟に呼吸が出来なくなった。そんな私の手を師匠が柔らかく包み込むように握ってくれて。
「ふぅん、そんなに憧れてたんなら、あたしが今からダンスを教えてあげるわ。履かせてあげるから、足を出して」
「……はい?」
「ほら、ぼさっとしてないの。履かせやすいように膝の上に乗せて頂戴」
そう言って席を立つなり私の真横にやって来て膝を折る師匠。呼吸困難から解放されたと思ったら、今度は心臓発作の危機到来だ。否応なく足首を掴まれてそっと膝の上に用意された靴に足を入れる。
物語の挿し絵みたいな状況に思わず「ひえぇ……」としか言えない私を見上げて、師匠が「いつもと逆の立場ねぇ」と笑う。その微笑みの威力の前に、私の心臓は違う痛みで爆発しそうだった。




