*4* 変化の一年が終わります①
あのおかしな夢を見てから二日。
特に何か物珍しいことが身の回りで起こるでもなく、追加のお告げがあるわけでもなく。少し残念な気がしつつも、まぁたった二日で何か劇的な変化があっても怖いだけかと気持ちを切り替えて迎えた今年最後の日。
仕事納めとあって朝からひっきりなしにギルドの人達が出入りするから、綺麗に水気を拭いた先から持ち込まれる雪で床はすぐにビショビショになる。
モップとしても使えてしまう相棒のおかげで膝をつくことはないけれど、それでもずっと俯きながらの作業は首にくる――……と、思っていた矢先。雪の混じった風と共に現れた新たなる人影に磨きあげた床が雪だらけになった。
溜息を飲み込んで視線を上げると、雪避けフードを跳ね上げた青年が大袈裟なくらい表情を変える。その後からすぐに入ってきた女性の方は、わざわざフードを外で払ってきてくれたのか、ほとんど雪を持ち込んでいない。
そして私とアワアワと手を彷徨わせている青年を見比べるや、青年の背中を平手打ちして「謝れ」とドスの効いた声で言い放ち、デッキブラシを握りしめる私の方へと向き直らせてくれたので、思わず背筋が伸びてしまう。
「これはわざとじゃないんだ! でもせっかく掃除してくれてるのに雪を持ち込んでごめん、アリアちゃん!」
「だから駆け込む前に雪払っとけって言ったでしょ。ほんとうちの相棒が馬鹿でゴメンね、アリア」
ちょこちょこ目にする中級クラスのこの二人。男性の方が筋骨隆々なのは良いとして、女性の方も負けず劣らず筋骨隆々。筋肉と筋肉の圧に気圧されつつ何とか踏み留まって笑顔を作った。
「いえいえ、気にしないで下さい。これが私の仕事ですから。お二人もお仕事お疲れ様です。受付ならさっき大人数で来てたパーティーの人達が帰ったところなんで、今はちょっと空いてますよ」
「おー、やった! いつもは結構待つもんな」
「だね。さっさと依頼完了の届け出して報酬もらお。有益な情報ありがとね! これお礼にあげる。掃除中にでも舐めなよ」
「どういたしまして。こっちこそ飴玉ありがとうございます」
実のところ、朝からずっと受付に向かう人達と同じようなやり取りをくり返しているので、服のポケットはクッキーや飴玉でパンパンになっている。城に帰ったらクオーツと山分けするつもりだ。
二人を見送ってからまた何人かが雪を持ち込み、お礼にクッキーや飴玉をくれて。受付の方から一時を告げる時計の時報を聞いてしばらく経った頃、またホールのドアが開いて今度は唸るような風の音と一緒に雪が吹き込んできた。
暖かいギルド内の床に落ちた細かい雪は、あっという間に霧吹きを吹いたように水滴に変わる。その上にデッキブラシをかけながら入って来た人物を確認しようと顔を上げれば、そこには前髪にくっついた雪を払うジークさんと、外套を身体に巻きつけてぐったりしているレイラさんの姿があった。
「チッ、まぁた雪が強くなってきやがったな。このままだと年始の仕事始めはクエストの依頼時期の調整がいるかもなぁ」
「そうですね。このギルドは腕の良い方達が揃っていますから、天候が荒れる日が続くと依頼を受けたがらないと思いますわ」
「はあぁこの後のギルマス同士の寄合いまでに止んでくれよぉ」
「……そっちが本音でしたか。その言い方から察するに、寄合いと言うよりは飲み会なのではありませんか?」
「バレたか。当然そっちが本命よぉ。レイラも予定がないなら来るか? ハーヴィーで名を馳せてる烈風の魔女様が来たら、連中も盛り上がるぞぉ」
「またそんなことばかり……ですが、ふふ。ちょっと楽しそうですわね」
二人のやり取りはすっかり敏腕秘書と怠惰な雇い主のそれである。意外と馬が合うみたいなのは予想外だったけど、同じ職場の人間同士仲が良いならそれに越したことはない。思わず噴き出しそうになりながら近付いて行くと、外を見ていた二人の視線がこちらに向いた。
「お帰りなさい、ジークさんにレイラさん。外の雪そんなに酷いんですか?」
「お、アリアか。そりゃもうな、視界が真っ白だぞ。お前さんは過保護なあいつの魔法陣でひとっ飛びだから平気だろうが、外仕事から帰った他の奴等に今の発言してみろ。どやされるぞぉ」
「もう、あまりそうやって彼女を脅かさないで下さい。アリアさんも冗談だから気にしないでね?」
そうすでに飲んで出来上がってるノリでガバッと両手を挙げたジークさんを見て、レイラさんが元々下がり気味な眉をさらに下げて苦笑する。ジークさんの歳上とは思えない落ち着きのなさと、娘くらい歳下のレイラさんの落ち着きの落差よ。
「大丈夫ですよレイラさん。ジークさんが冗談好きで不真面目なのは知ってますから、発言は八割方聞き流してます!」
元気よくそう返すと、ジークさんが両手を下げて「おま……そこは嘘でも良いから五割くらいにしとけよぉ」とごねたけど、微笑んで流した。その様子を見ていたレイラさんが声を殺してお上品に笑ってくれたのでよしとする。
「へいへい、そんならアリア、今日はもう上がって良いぞ。どうせルーカスの奴は今年も張り切って準備してんだろ? この天気じゃあんまり床の掃除する意味もねぇし、ギルドの連中には自己責任で転けねぇよう踏ん張れって言っとくわ」
「え、良いんですか? やった!!」
実はもうそのことで結構前から帰りたくてソワソワしていた私が、快哉と共に両手をあげてはしゃぐと、レイラさんが不思議そうに「アリアさんのところでは、今夜何かするのかしら?」と尋ねてくる。その問いかけに自分の頬がだらしなく緩むのが分かった。
「えーと……年越しと一緒に師匠と私の合同誕生日をするんです。私は拾われるより前の記憶がないから誕生日が分からなくて、師匠も自分の誕生日に頓着する人じゃないから、だったら一緒にしたら良いかって。今年からはクオーツも加盟したので、今夜は年越しと同時に皆で一歳ずつ成長します」
くすぐったいような、誇らしいような気持ちでそう告げると、二人は他のギルドの人の邪魔にならない様に控えめ拍手と
「まぁそれは素敵ね、おめでとう。でもそういうことはもっと事前に教えてもらわないと。贈り物を何も用意出来なかったわ」
「いえ、おめでとうの言葉だけで充分です。ありがとうございますレイラさん」
「そういうわけにはいかないわ。いつもお世話になっている友人だもの。年明けに一緒にプリシラのお店で何か贈らせて頂戴」
「お、そんじゃあその時は俺もちょっとだけお小遣いをやろう」
なんて少し前までは師匠以外としなかっただろうそんなやり取りをしてから、今年最後のお給金をもらい、人目を盗んで汚城へと繋がる魔法陣を踏んだ。瞬き一つのあわいの旅路。
***
「師匠、ただいま戻りました!」
「あら、どうしたのまだ二時なのに。まだ仕込み中だから何もないわよ?」
「それがですね、雪が酷くなってきたから、今日はギルドにあんまり人がいなくて。掃除する場所が少ないから帰れって言われたんです。あと、人をいつも飢えてるみたいに言わないで下さいよ」
「ああ……まぁ、そうね。あのギルドの連中は実入りが良くても、今の時期に危ない仕事はしない奴が多いから。でもそれならちょうど良いわ。手を洗ってクオーツと一緒にイモの皮剥きを手伝って頂戴」
「ギャウ、ギャウウゥ!」
「はーい、了解しました!」
エプロン姿の師匠と、邪魔にならないようリボンで翼を背中でまとめたクオーツ。そんな幸せを生み出す前の空間に飛び込んで、私もその一部になる。




