*3* 弟子は奇妙な夢の中。
昼間に寝不足を指摘されたので今夜はしっかり寝ようと思って……というより、掃除を張り切りすぎて疲れたので、日課の籠編みもせずにいつもより早い時間にベッドに潜った。
程好い疲労感のおかげか睡魔はすぐにやってきて、あっという間に意識は深いところまで落ちていった――……はずなんだけど。
頬を風が撫でた感じがして目蓋を開けると、そこは私の住んでいるミスティカの森とは植生の違う全然知らない森だった。レモンイエローとライムグリーンの木々の葉は、薄荷色の淡い輝きを放っている。
戸惑いつつも起き上がって、その辺の葉に触れてみると少しひんやりしていたものの、すぐにホロホロと溶けて光の粒になって消えてしまった。幻想的ではあるけれど、その分瞬時に夢だと分かる夢。
でも、何故だか私はここを知ってるような気もする。時々見る悪夢とも違うし、どうせ夢なんだから直に覚めるだろう。それなら好奇心の赴くままに、この不思議な感覚の原因を確かめてみるのも悪くないかもしれない。
そう思って最初に寝そべっていた場所から離れ、歩き始めてから数分後。前方の茂みから人影が現れた。昔師匠に買ってもらった本ならここで現れるのはシロウサギで、夢の世界に落ちてきた少女の物語を盛り上げてくれるところだけど、残念ながらその人影は知っている人の見た目をしていた。
「んん~? 変な揺らぎを感じたから来てみたら、ルーカスのとこのお弟子ちゃんじゃなイ。どうしたのこんなところにいるなんテ」
「あれ、師匠のお友達の名前を発音出来ない人。でも、それはこっちの台詞ですよ。どうして私の夢の中にいるんですか? 夢に見るくらい親しくなった覚えはないのに……それに今日は輪郭がハッキリ見えますね。単に私が記憶補正でもかけてるだけかもですけど」
「あはは、そんな風に思ってたんダ? 地味にキツいこと言う子だネ」
「す……すみません」
いよいよもって変な夢だ。まるでこの森にいる植物達みたいに朧気な人だったのに、現実世界で見たよりもこの人の形が分かるなんて。それどころか顔の作りや表情まで読み取れる。
眠たそうな菫色の綺麗な二重の瞳に、金色に近い色素の薄い茶色の髪は肩口で切り揃えられ、高すぎず低すぎないちょうどいい鼻と、普通に閉じていても笑っているように見える唇。
師匠みたいに目を瞠るほどの美しさはないけれど、それでも美人の範疇にはしっかり入る。この人の顔が見えなかった前回の私は、今より寝惚けていたことになるのではないだろうか。
「面白いから謝らないでも良いけド。でもまぁ……今日は過保護なお師匠様は一緒じゃないのかイ?」
「いくら師匠が過保護でも流石に弟子の夢の中にまではついてきませんよ。その証拠にクオーツもいませんし、デッキブラシも持ってないでしょう?」
「成程ってことはつまり、ダ。お弟子ちゃんは迷子になっちゃったわけカ」
こっちの話を聞いてない受け答えがますます夢っぽい。それとも前回の会話で潜在的に私が感じ取ったこの人の印象なのかもしれないな、なんて暢気に考えていたら、不意にそれまでよりも幾分か真剣な声で「体内の魔力が乱れてるみたいだけど……ルーカスのやつ、何をしたんだカ」と呟いた。
その響きに含まれた不穏さに興味を引かれていた耳に、どこからか〝リン〟と涼やかな鈴の音が聞こえた。初めて聞いたはずの音なのにやけに心惹かれる。音のした方が気になってそっちに足を向けようとしたら、腕を掴まれて「迷子ちゃんは一人でウロウロしないノ」と言われてしまう。
思案中の彼女の手を振りほどくことも出来ないので、仕方なく待っている間に鈴の音は遠ざかって聞こえなくなってしまった。残念だけど今は本筋の夢案内人とこのよく分からない物語を楽しむべきだろう。
「んー、見たとこお弟子ちゃんは半分だけこっちに来ちゃったみたいだネ」
「半分だけってどういうことでしょう?」
「半分だけは半分だけだヨ。魂だけってこト。肉体の方はまだベッドの中。自分で座標を編んで来た訳じゃないでしょウ?」
「違いますね。ちなみに半分だけのままの時間が長く続くとどうなります?」
「死ぬネ。もしくはこっちに来ちゃうヨ。わたしみたいにネ。だから早く元の座標にいる身体に戻してあげなくちゃならないんダ。ああ、ただ君の場合みたいに座標を用いないでこっちに来ちゃう人は、大抵親族の中の誰かが精霊の加護を受けたか、その血を引いてるんだよネ」
――と、そう続いた言葉は夢らしく荒唐無稽に衝撃的で。
空が白み始めた頃に目覚めたベッドの上でも、しっかりと夢の内容を覚えていられるくらいに馬鹿馬鹿しくて。お腹の上で丸くなって幸せそうに寝ているクオーツをどけ、膝を抱えてぼんやりとしているうちに起きないといけない時間になっても、まだグルグルと頭の中を回っていた。
「そういう設定に憧れる年頃はとっくに卒業したと思ったんだけど……恥ずかしい! でもちょっと面白かったのが悔しいぃ!」
枕に顔を埋めて物語の主人公気分を味わう朝は、いつもよりちょっとだけ特別感を感じられて楽しかった。




