*1* 平穏が短すぎます。
師匠達が戻ってきてから三週間。
年末まであと二日な窓の外に映る森は、もう雪に閉ざされて真っ白だ。こうなってくると畑仕事がなくなるから、朝の仕事量はグッと減る。代わりに普段なら一週間に一回程度の窓掃除をするのには持って来いだ。
でもただ窓掃除をするのもつまらないので、クオーツと私でお題を出しあって曇った窓に絵を描く遊びが流行っている。意外なことにクオーツは絵心がそこそこあるので、お題によっては私が負けることもあって、ちょっと悔しい。
そんな感動の再会を演出したあの日からすっかり日常を取り戻した汚城の中で、今日も今日とて窓と床の掃除をしながら、使用済みの服とそうでないものの発掘作業に明け暮れている。
以前までなら冬場の洗濯事情は、いちいちお湯を沸かして使う必要があったのでとても面倒だったけれど、今はクオーツが瞬間湯沸かしをかって出てくれるから楽々だ。一家に一匹レッドドラゴンがいれば良いのに。
ちなみに冬場は外に洗濯物を干せないから、汚城の中でも比較的使用頻度の低い部屋を綺麗に片付けてそこに干すのだけど、これは師匠がいるとなかなか難しい。空いている床があれば何かを置いていくからだ。
昨日作った隙間が翌日にはもうない。野趣溢れるギルドのオジサン達ですら、前日綺麗にした場所を使う時は気を使ってくれるのに、一週間離れたところで師匠は相変わらず師匠だった。そんなところに安らぎを感じる特殊な弟子。ちょうど良い関係性だとは思うんだけど――。
「また……ない。ねぇクオーツ、回収してきた洗濯物はこれで全部だよね?」
大盥にひっくり返した籠の中身に目当ての物がないことを察し、汚れの種類を嗅ぎ分けられる相棒に問えば、師匠のシルクシャツに鼻先を押し付けていたクオーツが、三つある籠の中を覗き込んで「ギャウ!」と返事をしてくれる。
「だよね。今日こそ直談判せねば!」
「ギュー、ググゥグッ!」
そうと決まればということで大急ぎで洗濯を済ませ、愛用のデッキブラシで雪掻きならぬゴミ掻きをして物干し部屋を確保。ドラゴンの手を借りてテキパキ干し終えてからエプロンで手を拭いつつ、師匠がいる第四実験室へと向かった。
「師匠~、洗濯物の中にまたあの靴下がないんですけど。どうしてあれより前にあげたやつを急に履きだしたんですか? いや、これも履いてくれるのは嬉しいんですけど、この間あげたガーターベルト付きのやつを履いて……って、またこんなに散らかしてぇ」
勢い良く部屋のドアを開け放ちたかったものの、私一人通れる程度しか隙間がない床に思わず非難の声をあげてしまった。昨日の第三実験室が片付いたと思ったらもうこれだ。明日は第二か第一に追いやるしかないだろう。
「あらアリア、ちょうど良いところに来たわね。今あんたを呼びに行こうと思ってたところなのよ」
「師匠の言う〝ちょうど良いところ〟が私にとってそうだったことってないんですけど。それと、今の話聞こえてましたよね? その事について何か申し開きとかはないんですか?」
ギリギリ自立している本の陰から顔を覗かせて笑う師匠に呆れつつ、首にぶら下がっていたクオーツを下ろして先に部屋の奥に進ませながら、せりだしている荷物を押し込み。汚れた実験用のガラス器具を集め。
紙屑類はデッキブラシにかかった浄化(?)の加護で消して、クオーツが広げてくれた獣道を歩いてやっと師匠の前に辿り着いた。
「あれは普段用には勿体ないじゃない。それに最初にもらったやつも本当は気に入ってたのよ。この間もらったやつはそれ以上に気に入ったから、代わりに最初にもらった靴下を履くことにしたの」
「う、嬉しいですけどそんな簡単に絆されませんよ。履かなかったらもっと勿体ないんですってば。いくら気に入ったからって死蔵しないで下さい」
上手くはぐらかされただけだと分かってはいても、ついついにやけそうになってしまう頬肉を吸引して凹ませる。多少見た目が悪かろうとすぐに機嫌を直すと思われては困――。
「うわ、すっっっごい不細工」
師匠の心ない本気の声音に秒で止めた。美形の眉根を寄せた表情は、普通に罵倒される倍以上の負荷が心にかかるね。ついつい怒りに来たはずがスンッとなってしまった私の視界に、師匠の肩口で金色の口髭を蓄えたクオーツが映り込む。
「んんっふ……! まぁクオーツさん、その口髭とってもお似合いですわ。金色なところが高貴でよろしいですこと」
「グウウゥフ!」
こちらの悪ふざけに乗りに乗ってくれたクオーツが口髭を倍にしてくれた直後、爆笑し過ぎて私のお腹がつったことで小休止を挟んだ。勿論お手入れの行き届いた髪で遊んだクオーツは鼻面にデコピンを、私も額に一発頂戴した。
「それじゃ、今度はあたしの話を始めるわね?」
「はい~」
「ギャーウ」
「こら。そんな気の抜けた返事をしないの。詳細を説明しても分からないだろうし面倒だから、ちょっと色々と省略するけど……今から気を抜くと精神が死ぬかもしれない危ない実験をします」
「はい!?」
「ギャウ!?」
「あら、あんた達今度は良いお返事ね。やれば出来るじゃない。ただしクオーツ、あんたは今回はお留守番よ。この間行ったところを観るだけだから」
「え? いや師匠ちがっ、これは返事じゃな――、」
「ってことで、アリアは一緒に行くわよ。せーの」
そんな風に師匠の有無を言わせぬ強引な会話の打ち切りと、足許にあった床の感触が失われたのはほぼ同時だった。




