♞幕間♞虹硝子の宝石箱。
エドモントの視点です(*´ω`*)
『あたしは別に寄るところがあるからここで解散。そもそも飛ぶ速度が違うから、こっち側に引っ張られてへばられたら面倒だし。あんたもあたし達と一緒に仲良く王都入りなんてしたくないでしょ』
そんなルーカス・ベイリーの言葉に頷き、今回の件で得た情報の精査は後日また擦り合わせる約束を交わし、王都よりかなり手前で別れてからしばらく。
少し空が白み始めた頃、久方ぶりに見えてきた自邸の屋根に息をついた。心なしか疲れで速度を落としていたワイバーンにも力が漲る。そのまま帰還を急くワイバーンに任せて自邸の敷地内に降り立つと、すぐに屋敷の中から家令のクレバーが数人の使用人と共に出迎えに出てきた。
「グスタフ、今回は僕を乗せての長旅ご苦労だった。リリアの元に戻ってしっかり翼を休めてくれ」
彼等がこちらにやってくる前にこの旅に付き合ってくれたワイバーンを見上げ、その逞しい首筋を撫でてやりながらそう労いの言葉をかけると、小さく鼻を鳴らした。それが相槌なのか嘲りなのかは分からないものの、反抗的な色がないならそれで良かった。
二頭のワイバーンに名をつけるように言った変わり者は――、
『意思の疎通を取るのに名前はないと不便だから、ある方が絶対良いよ。ずっと種族名のワイバーン呼びだと、私達がおい人間とか、そこの猿って呼ばれるのと変わらないもの。協力なんかしてやるかって思うでしょ? 元々〝ワイバーン〟だって人間が種の区別のために設けたものだし』
――という持論を持ち出してきた。あの言い分を信じたわけではないものの、現に名前をつけてからは多少こちらの声に耳を傾けるようになった。悔しいかな、あの直感で生きている変わり者の助言は適切だったのだろう。
まだワイバーンに不慣れなクレバーが少し接近を躊躇ったのを知ってか、グスタフはこちらに向かって首を上下に振った。僕達の間で取り決めた召喚の合図だ。今の場合は帰還させる合図になる。
その合図に応じて魔術を展開させると、グスタフはゆっくりと谷へと繋がっている門に消えていった。ややあって近付いて来たクレバーが「お帰りなさいませ、エドモント様」と口にし、頭を垂れる。
老境に差しかかった彼にそうされることは未だに慣れないが、そんな感傷を無視して「留守中、母上の様子に代わりはないか」と尋ねると「何もお変わりございませんでした」という簡潔な答えが聞けた。その答えに少しだけ呼吸が楽になる。
「そうか。なら良い」
「厨房の者に朝食の用意をさせますので、すべて整いましたらお部屋までお呼びに参りますが――先に湯の支度をさせた方がよろしいですな。上空はさぞや冷えたでしょう。一度しっかり温まられた方が食事も喉を通りやすくなりましょう」
「ああ……その辺りは任せる」
「畏まりました。それではお荷物をお部屋まで運ばせて頂きます」
そう言うや無愛想な反応をものともせず、彼が僕の手にしていた荷物を取り上げると、他の使用人達も一斉にそれぞれの持ち場へと動く。荷物くらい自分で持つと言ったものの、結局クレバーに押しきられる形で部屋まで送られ、彼が出ていった室内に一人になった瞬間長旅の疲れが吹き出した。
人目を忍ぶために冬の早朝の空を飛ぶなどと馬鹿げたことをしたせいか、少し身体がダルい。けれど火の点った暖炉の前で重い旅装を解き始めた直後、背後で〝リン〟と小さな鈴の音が響いたのを聞き、先程よりさらに疲れが増した。
「……マリーナか?」
振り返った先には誰もいない。そうであるはずなのに、名を呼んだことでまた〝リン〟と鈴の音が響いた。このオルフェウス子爵家には公に出来ない娘がいる。妹は生後間もなくこちら側の世界からあちら側の世界に姿を消した。
それは魔力の多い新生児の身に時々降りかかる不運だという。鈴はその言伝えの通りになることを恐れた両親が持たせた物だった。しかしそんな呪いを嘲笑うかのように、妹は名前を得て三ヶ月ほどで母の腕の中から忽然と消えた。
当然ながらほとんど接点を持てなかった妹に対する感心も情もない。ただ腹を痛めて妹を産んだ母はそうではなかった。同じく宮廷付きではなかったものの、優秀な魔導師だった父も妹の魔力量を畏怖し、同時に大きな期待を抱いていた。
当時の僕は魔力量が七歳下の妹より劣っていたからこそ、精霊のお気に入りにならずに済んだのだ。
「僕は今見ての通り疲れている。土産の催促は後にしてくれ」
そんな最早姿の見える他人よりも縁遠い妹に土産を買うのは、六年前に亡くなった父の儀式めいたそれを受け継いだだけだ。こちらからは干渉できないあちらの世界から、妹は容易く土産物だけを持っていく。
不思議なことに精霊界とこちらの世界の時間の流れが違うということは、多くの文献に残っている。信憑性に差はあれど、どの時代にも必ず一定数発行されている以上、完全に干渉が不可能であるはずがない。
――……というのは、父の持論だった。僕にしてみれば夢想家の戯言だ。けれど夢想家は夢想家らしく、夢に溺れて死んでしまった。母と二人きりになってしまった家を支えるために下法に手を出したことを悔いるわけではない。けれど――。
『うちの生意気な弟子は少し訳有りでね。今回はそのことで調べたいことがあるんだけど、色んな情報を集めたいから宮廷魔導師様にも同行して欲しいのよ。勿論断ってくれても良いわ。ただ……あんたが知りたがってる妹のことで、何か手がかりが見つかるかもしれないわよ?』
どこで我が家の秘密を知ったのか、そう言って艶然と微笑んだルーカス・ベイリーの赤い双眸を思い出して背筋が震えた。しかし同時に潰えたはずの夢を再び僕の前にぶら下げもする。
ふと暖炉の火を注視していた耳に〝リンッ、リリンッ!〟と癇癪じみた鈴の音が響いて。重い身体を叱咤して鞄の中から取り出したのは、ルーカス・ベイリーの助言を信じて購入した掌に収まる宝石箱で。
そっとベッドに供物のように捧げたそれは、いつもの如く現れたあちらの世界から漏れ出る金色の靄に飲まれて消えた。




