*15* お帰りなさい!
ジークさんから皺だらけの特許申請用紙をもらい、商工ギルドで審査にかけてもらうことになったのが一昨日。でも最初の差定額はあまり期待しないようにと、他でもない勧めてきた人に言われた。
普通はどんなものでもそうらしいが、一度お客の手に渡るように商品化してから、お客が使ってみた口コミと売れ行きでその後手許に入ってくる金額が徐々に上がるものらしい。信用が金額に跳ね返る仕組みだ。
ジークさんは『ま、最初はうちのギルドで販売する形にすりゃあ良いさ。お前さんの腕前を知ってる太い顧客がゴロゴロしてっからな。あっという間に値段が上がるって寸法よ』と、悪い顔で裏技を使うことを明言した。ギルドマスターがそんなことで良いのだろうか。
知り合いがいつか摘発されたらどうしようという心配をしつつも、やっぱり嬉しいし楽しみなことに代わりはない。特許申請を待っている人は他にも多くいるらしいので、査定の結果が出るのは早くても半年後くらいだとか。
別にすぐにお金にならなくても良い。ただ私の掃除人としての成果を帰ってくる師匠に報告するのが待ち遠しかった……のも良い思い出。本日は待ちに待った師匠とクオーツの帰還日。街の外れにある古い見張り塔の廃墟下で寝惚け眼を擦るジークさんと二人、まだ真っ暗な空を見上げていた。
風は冷たいものの一週間ぶりに師匠に会えるとあって、心はホコホコと温かい。遠目に見える時計台の時刻は早朝五時を指している。
「ふぃー……今朝は結構風が強くて寒ぃが、お前さん大丈夫か?」
「あ、はい。この服見た目よりも暖かいんです。ジークさんこそ平気ですか?」
「んー? この程度なら大丈夫だな。多少は寒さに弱くなったが、昔よりはって程度だ。お前さんの護衛くらいなら余裕だぜ」
「またまたぁ。そんなに眠そうなのに護衛とか出来ませんってば。そもそも私を攫おうだなんて物好きはいませんよ。一人でも大丈夫ですから、業務に支障が出ないようにギルドに戻って寝て下さい」
着膨れていてもそこそこ薄い胸を叩いて相棒のデッキブラシを見せつけると、ジークさんは真面目な表情を作って首を横に振ったんだけど――……。
「コラコラ、馬鹿を言いなさんな。若い娘をこんなとこに一人で置いてけるかっての。第一そんなことしたらルーカスの奴に丸焼きにされるわ。それになぁ、何よりもオレはその新しい靴下を受け取る時の奴の顔を拝みてぇんだよ」
こういうことを言うところがジークさんらしい。一瞬で終わった真顔に吹き出しつつ「そんなに師匠の喜ぶところが見たいんですか?」と言えば、何故かまた真顔になったジークさんに「どういう反応するかっつー興味はある」と言われた。
でも確かに師匠が手放しで喜ぶところを見られるのは珍しいことなので、彼の興味のほども分かる。高級店の名前が入った紙袋に忍ばせた師匠への贈り物は、前と違って完璧だからきっと喜んでくれるだろう。
何やらブツブツ独り言を言い出したジークさんを無視して、ジッと真っ暗な冬空を注意深く見つめていたら、暗闇の中で何かが白く光った。ユラユラ上下に揺れているところから、それが星ではなくて人工の灯りだと分かる。
歓声を上げそうになる口許を押さえて見守るうちに、それは急激にこの場所を目指して近付いてきて――……地響きと砂埃を巻き上げながら目の前に降り立った。砂が目に入るのを防ごうと顔の前に手を翳して目蓋を閉じ、パラパラと髪や手の甲で弾ける砂粒が止むのを待ってからようやく目蓋を開ける。
「~~お帰りなさい師匠、クオーツ!」
「ギャウウウウー!!」
「だよね、私も寂しかったよ!!」
私が声をかけた瞬間小型化して懐に飛び込んできたクオーツを抱きしめ、上空の冷たい空気で冷えきった鱗に思いっきり頬擦りする。ちょっと頬に張りついて痛かったけど、すぐにクオーツが舐めてくれたから平気だった。
「何で種族を越えて言葉で通じ合えてるのかしらね……と、悪いわねジーク。老体に早朝の空気は堪えたでしょ」
「ちょい待て、誰が老体だ誰が。お前さん達は師弟揃ってこの男前に何の恨みがあるってんだ」
少し離れた場所に降り立った師匠が先にジークさんに話しかけている間に、慌てて紙袋についた砂粒を払う。首にぶら下がったクオーツが不思議そうな顔をしているのが可愛くて、思わず鼻面に口付けてから師匠の方へ歩み寄った。
「改めてお帰りなさい師匠。お仕事お疲れ様でした!」
「ん。ただいま。元気そうね?」
「はい。この通り元気一杯ですよ!」
「はいはい、早朝から騒がしい子ねぇ。でもお利口にお留守番出来てたみたいだから、買ってきたお土産が無駄にならなくて済むわ」
そう言って微笑んだ師匠が、少し屈んで私の傷跡に口付けてくれる。けれどその柔らかい唇の感触は久々なはずなのに、それほど久々ではないような気がして内心首を傾げてしまった。
――けれどまぁ、今はそんな細かい違和感はどうだって良いのだ。
「そうだ師匠。私からも渡す物があるんですよ……って言っても靴下なんですけどね。前回の靴下は私的に可愛い柄でも、師匠の乙女さを理解出来てなくて失敗しましたけど、今回は大丈夫ですよ。何と言っても本職さんのお墨付きですから」
この熱意を伝えるべく長い前置きを挟み、ズイッと師匠の胸に差し出したほんのり良い匂いのする特別な紙で作られた紙袋。そこに書かれた店名を見た師匠が「また無駄遣いして」と呆れて笑う。
けど横からジークさんが「良いから開けてみろって」と促してくれたことで、師匠も素直に受け取って紙袋の中から箱を取り出し、私達の前で蓋を開けてくれた。
「………………」
「可愛いより幻想的に舵を切ってみました。二種類あるんですけど、一足が最果て蝶のレース編みで、もう一足が不死鳥のレース編みなんですけど……人気の職人さんの一点物らしくて、入荷したらいつもはすぐに売れちゃうらしいんです。だから運が良かったなーって。大人の女性っぽくガーターベルト付きなんですよ」
「………………」
師匠の贔屓にしているお店は舞台女優さんなんかも購入しに来る人気店なので、普通のお店よりも商品のサイズが充実している。従って師匠みたいに大きな美人さんの商品も充実しているのだ。顧客満足度が高いわけだね!
絹のレースと黒いベルベットで作られたガーターベルトは、師匠の妖しくて黙っていれば神秘的な雰囲気にぴったりだと思う。
「レイラさんとプリシラさんに相談に乗ってもらえたおかげで、やっと師匠に喜んでもらえそうなものが買えたんですよ。今度こそ履いて下さいね、師匠!」
前回と違って大正解を出せたことにご満悦な私と。喜びで小刻みに震える師匠。そんな珍しい師匠を見られて爆笑するジークさん。いつの間にか私の首から離れて向こうの方で火球を吐き出して噎せるクオーツ。それだけで寒い冬の早朝が、一気に暖かくなった気がした。




