*4* 悪びれないのが一番悪い。
「うぅわ……やっぱりジークさんでしたか~」
「うぅわとは何だよ、うぅわとは。随分なご挨拶だな」
「いつものご自身の行いを胸に手を当てて訊いてみて下さい。それにご存知だと思うんですけど、今日お店は定休日ですよ?」
雪かき用のスコップで雑に寄せた荷物を衝立ての向こうに隠し、師匠の背後にいる人物に眉根を寄せて文句を言えば、相手はこちらの反応を楽しむように笑った。
たとえ私の顔の包帯に引かない人だとしても、絶対面倒事を持って来てると分かってる人に対して警戒心を抱かないはずがない。出会ってから三年経つけれど、基本的に師匠以外の人は苦手だ。
灰色の短く刈り上げた髪に、同じ色の顎ヒゲ。筋骨隆々な厳つい見た目の割に、黒い瞳は意外にも優しげだ。ただし、この人に限って言えばあくまでも〝そう見えるだけ〟である。その正体は王都でも屈指の厄介ギルドである【ハーヴィー】のギルドマスター。ジーク・アモンド、五十二歳。
師匠に言わせれば間違っても実力が屈指なわけではなく、所属している人達が癖が強い厄介さんなのだそうだ。とはいえ時々お小遣い稼ぎをするためにそこに登録している師匠だって、同じ厄介系なのは否定出来ない。そもそも三年前に初めてここにやって来た時も、元から腐れ縁であると言っていた。
「悪い悪い。ただルーカスの本職の方の依頼じゃないからよ。店に持ち込むわけにもいかなくてな」
「ジーク。あんた本職じゃない方ならあたしが受けないとは思わないわけ?」
「そりゃ思わないこともなかったが、直接聞いた方が早いだろ。それにその分の報酬は弾むぞ」
悪びれずにお金の話を持ち出そうとするジークさんと師匠の間に割り込み、雪かき用のスコップを前に翳して接近禁止の意思表示をする。私がこのド厄介な灰色熊から師匠を守らなければ。
「もう! いつも言ってますけど、危険手当ては報酬の一部になりませんってば。怪我したらそのまま治療費になるんですから。うちの師匠に危ない仕事を持ち込むの止めて下さいよ」
教会に奉られている七精霊の像よりも綺麗な師匠に傷がつく。そう考えただけで胸が恐怖と不安で痛んだ。勝てる見込みなんてまるでなくても、目の前の灰色熊を相手に雪かきスコップで挑みかかりそうになるほどには。
「ルーカスが怪我をする心配してんのはアリアくらいだな」
「そうね。あたしは怪我するようなヘマしないわ」
せっかくの弟子からの心配を鼻で嗤う師匠を振り返れば、傷のない右頬をつねられて「おブスな顔しないの」と言われ、手からスコップを抜き取られてしまった。そんな私をからかうように「愛されてるなー。美形は羨ましいぜ」とのたまう熊。
けれど勢いよく振り返って睨み付ける私の顔を、それとなく師匠がたっぷりとした袖で隠してくれた。たまのこういう保護者っぽさがズルいと思う。
「弟子が師匠を敬愛するなんて普通でしょ。むしろ当然ね。崇めなさい。それより仕事の依頼なんでしょう? 聞くだけ聞いてあげるからさっさと言いなさいよ」
視界を袖に遮られたまま腕を組んで師匠の言葉に賛同して頷くと、顔は見えないもののジークさんは笑ったようだった。
「この間臨時でパーティーを組んでもらったことがあっただろ? そこに所属してた女魔法使いが、またお前さんと組んで仕事がしたいって言い出してな」
ジークさんのその発言に、師匠だけでなく私の眉間にも皺が寄った。これは……間違いなくあれだ。稀によくある、見目だけは麗しい師匠にうっかり一目惚れしてしまうやつ。うちの師匠は自分の美しさを誇るし鼻にもかけるけど、かといって見た目の良さに群がってこられるのは嫌いという我儘な人なのだ。
本人は『綺麗に咲いている花が、綺麗に咲いたのなら摘まれて飾られるべきって考えは人の傲慢よ』と言っていたことがある。凡人には分からないけれど、たぶん見目の良さを保つのは誰のためでもなく自分のためだと言いたいのだろう。
「そういうことだったら却下。あの子は風魔法の使い手だったはずよ。同属性のあたしが組んだって無駄じゃないの」
「まぁそう言うだろうとは思ってたが、お前はほぼ全属性使いだろ。回復系の水属性使いが欲しいんだとよ」
「なら水属性の奴を他にあてがえば? 確かに回復役は人気で品薄だけど、何も光属性をあてがえって言ってるわけじゃないんだし。火力重視のあんたのギルドにも水属性の魔法使いくらい何人かいるでしょう」
鬱陶しそうに手を振る師匠の言葉に、昔教わった授業の内容を思い出す。魔力持ちはそれだけでも稀少価値があるけれど、その能力値によってさらに細分化されているのだ。
確か……魔法使いは火水土金風のいずれかの魔力を法に則って行使出来る。市井の者から貴族の者まで魔力の片鱗があればこう呼ばれて、平民なら大体そのまま我流で魔法を使うけど、貴族は大抵王都やそれに準ずる大都市に出て魔法学園に入学するか、魔術師ないし魔導師に師事する――だったっけ。
次に師匠の肩書きである魔術師は、先の五属性の中で二種から三種の魔力を自分なりの解釈に則った術式に置き換えて行使出来る。研究者肌が多い魔法使いの上位互換で、魔導師まであと一歩の人達だ。けれど自由に研究出来る時間が減るのでここで留まる人も多い。
最後に頂点に立つのが魔導師。魔術師の上位互換で五属性に加え、光ないし闇の魔を術式に置き換えて行使出来る。ここまで登り詰めてしまうと、国の資源として登録する義務が出てくる。戦争が起こったりすると徴兵までされてしまう代わりに、それなりに権力も持たせてもらえるのだとか。
うんうん。教えてもらったことを全部憶えていて偉いぞ私と、自分を褒めつつ意識を二人の会話に戻せば――……。
「そう言って一度は断ったんだがなー、どうにも諦めが悪くて。身辺調査をしてみたら案の定、身分証は偽物。腕試しがしたかったお貴族様の娘だったらしい。睨まれたら面倒なんだよ」
「素直に言えば良いってもんじゃないのよ。今は特にお金に困ってもないし、お断り。適当に顔の良い魔法使いか魔術師でもあてがってやれば、そのうち熱も冷めるわ。話がそれだけならもう帰って。あたし達は今から夕飯の支度があるのよ」
――残念なことに二人はまだ揉めている真っ最中だった。しかも何だか会話内容も、離婚した夫が突然娘と暮らしてる妻の家に来たみたいなことになってる。でも私は師匠の味方しかするつもりもないので、早々にお引き取り願おうと口を開きかけたその時。
「あー、じゃあ分かった。この件はもう諦めて俺の方から先方に伝えておく。それで次の依頼話なんだがな、アリア、お前さんうちのギルドの掃除婦として雇われてみる気はないか? お前も今年で十八だろ。いつまでも引き込もってると、ここを出ることになった時に世間とのズレに苦労するぞ」
いきなりこっちに向いた話題の内容に驚いて、迂闊に〝はい?〟と返事をする前に師匠に口を塞がれてしまった。