▣幕間▣深夜の来訪者。
ジーク視点です(*´ω`*)
深夜の二時。真っ暗な執務室のソファーの上で、常識のない来訪者の気配に気付いて身を起こした。
あくびを噛み殺しながら床の一角を眺めるうちに、徐々に雪の結晶を象った魔法陣が浮かび上がり仄白く輝き出す。その中心に構築されていく人物はこちらに向かい、笑みを浮かべて口を開いた。
「良い夜ね。邪魔するわよジーク」
「ったく、毎日深夜にご苦労なこったぜ。本当に過保護な奴だな、お前さんは」
おかげでこっちはこの四日間ろくに安眠出来ていない。恨みを買った覚えなんて数知れずの身。寝首をかかれるのは御免だ。それがいきなり何の前触れもなくこうして現れられたら、知り合いだろうがおちおち眠れん。
「保護者として当然なのよ。そもそも一日多く魔力を注いだ程度で大丈夫だと信じきってるあの子が暢気すぎるの。一週間留守にする分を注いだりしたら自分がどうなるのか、ちっとも考えてないわよあれは」
「ま、そりゃ確かにそうだわな。お前さんの魔力を一週間分なんて注ぎ込まれたりした日には、あの宮廷魔導師のガキだって廃人だ」
「そういうのは昔にやったっきりだから、今もそうなるかは分からないわねぇ」
凄絶な艶やかさを纏う微笑みに、背筋が動物の本能としての恐怖に戦慄く。こいつのこの表情は生きてる間にそう何度も拝みたくはない。
これで性別が女なら間違いなくこいつは傾国美女と呼ばれるだろうが……むしろこの見た目で性別が男でも何ら問題なさそうなのが怖いところだ。
「それよりも、ほら。早くあの子の部屋の鍵を渡して頂戴」
「へいへい……年頃の娘の寝室に忍んで寝顔を見るのは感心しねぇけどな。バレたら嫌われるぞぉ?」
「魔力切れを起こして傷跡が広がるより良いわ。要はあんたがバラさなきゃ良いのよ。今夜の口止め金、これで足りるでしょ?」
「毎度あり」
投げて寄越された金貨の入った袋を受け取り、代わりにアリアの泊まっている部屋の鍵を投げ返す。それを受け取ったルーカスは「あんたはついてこないで」と毎夜の如く言い残し、さっさと愛弟子の部屋に出かけていく。
寝室に自分以外の男を入れない辺りでかなり気にかけているだろうに、何であれで過保護にしている気がないのか不思議だ。まさか留守番をさせられていると思って不貞腐れていたのに、毎晩それを命じた本人が枕元にきているとは知らないアリアに若干同情するぜ。
とはいえ拗らせたひねくれ者の元同僚の変化を喜ばしく感じる程度には、オレも人間が練れた。あいつに言ったら単に老いただけだと嗤われそうだと思いながら、重すぎる報酬の袋に免じてお高いシェリー酒と煙草を用意しつつ、ルーカスの帰りを待つことにした。
十五分後。
再び戻ってきたルーカスに顎でソファーに座るよう勧めると、無言で腰を下ろした奴の前にシェリー酒の入ったグラスと細巻きの煙草を差し出す。どちらともなく先に酒をあおり、次いで咥えた葉巻に火を点けた。
数回酒と煙草を往復して、ようやく今夜はオレから話す番らしいと気付いて話題を探し、口を開いた。
「クオーツと宮廷魔導師のガキはどうしてる」
「概ね仲良くしてるわ。あっちのワイバーンも賢い個体だし、ここでこうしてる数時間くらいなら問題なくお留守番してるわ。坊やの方も禁止魔術に手を出してる輩の情報を得られるとあってヤル気よ」
「そりゃ良かった。それでその禁止魔術に手を染めてそうな奴の炙り出しの方はどうだ。辻占い師なんて胡散臭いことやってて有益な情報は得られそうなのか?」
「この顔で占い師よ? お喋り好きな女性達が放っておいたりしないわ。おかげでまだ四日目の割に意外と情報が手に入った」
そう言って喉の奥で嗤う深紅の双眸には嫌悪の光が宿る。こいつは昔から自分の顔に釣られて集まる人間が嫌いだったっけか。少し口を滑らせただけでもこうなら肝が冷えるぜ……と。
「大体ね、今回の件の発端はあんたにもあるのよ」
「オレがかぁ?」
「ええ。あんたが流した情報に運良く∂∅℘☆₰₷%#が引っかかって十年ぶりくらいに会いに来たのよ。そしたらあいつがアリアを気に入ってね。珍しく無償で呪いに反応しない程度に夢に干渉する術をかけてくれたけど、やっぱり有益な記憶に触れる前にあの子が起きちゃうの。防衛本能だろうって言ってたわ」
「待て、誰がアリアを気に入ったって?」
「∂∅℘☆₰₷%#よ。まさか名前ももう聞き取れないの? 自分の肉体を使って座標の不足分を補おうとしたあの馬鹿よ」
呆れた様子のルーカスの声に深夜で働きの鈍った頭を回転させると、うっすらとある人物が思い起こされた。顔はまったく思い出せないものの、当時からだいぶ倫理的に問題のある奴だった気がする。
解き明かせない事象が嫌いで、そういったものに出会うとそこが戦場のど真ん中であろうが、何が何でも座標に起こしたがる奴だった。そのせいで防壁の展開が間に合わず、オレも何度か死にかけたことがある。
「ああー……いたなぁ、そんなイカレた奴が。にしても、あいつの存在がもうオレ達みたいな凡人には見つけられねぇってのは笑えんな。誰にも認識されないってのは寂しくなったりしないもんなのか?」
「納得してるわよ。魔導師だもの」
いっそ清々しい答えが返ってきたことに苦笑すると、そんなオレを見ていたルーカスが目を細めて笑った。珍しく含みのない笑みに首を竦めて見せれば、今度は皮肉げな笑みが返ってくる。昔から続くいつも通りのやり取りだ。
「あたしの進捗はそんなとこよ。アリアの方はどんな調子なの。虐められたりしてたら迎えに来た時にお礼をしなくちゃ駄目でしょう?」
「おお、そうそう。お前さんに今夜そのことで話があったんだったわ」
物騒なことを言い出した相手を前に煙草を揉み消して座り直し、アリアの魔物を加工した清掃アイテムの特許話を持ち出すと、師匠の指示を仰ぎたいと言ったことを伝える。するとルーカスは若干自慢気に「あの子の研究結果よ。好きにするように言ってやって」と言った。
その瞬間の和らいだ表情は、直前までの過去の顔とは違っていて。こいつの中であの小娘がそれなり以上の働きをしていることが知れた。だからというわけではないが、ちょっとだけお節介を焼いてやろうかと思って――、
「それよりお前さん、アリアが贈った靴下そろそろ履いてやったらどうだ。でないとこの一週間で稼いだ金の半分がまた靴下に化けるぞ」
――と切り出したのに、ルーカスは「また靴下なの? 本当に一つ覚えな子ね」とおかしそうに笑うだけで。
そんな風に言うくせにどこか満更でもなさそうな気配を滲ませる様を見て、心の中でこの天邪鬼の世話を焼くアリアの苦労を労ってやった。




